第41話 今度は、みんなでお茶を
「ミラの偽物、本当に来ますかね?」
「わからない……わからないけど、あいつは身体の一部を分離させて自由に操れる。だから……みんなを殺す気なら、姉さまたちと戦いながら、こっちにも手出しできる」
「失念してくれていればいいですねえ。ミラから渡された白い石も、わたしには重すぎますから。なにもしないで終われるのなら、それが一番です」
そう言ってイグネアはテーブルに見立てた椅子の残骸からカップを手にして、口元に運んだ。
「戦力の分散なんて、ミラ姉さまはなんでそんなことをしたんだろう。白い石の力だって、ちゃんと引き出せるのは、姉さまだけなのに」
「そういう人ですから。イーディスだって、知らないわけではないでしょう?」
「……わかってる、けど」
ミラは、そういう人間だ。自分が苦しい戦いを強いられることになっても、他人を守ることを優先する。本当は、……たぶん、誰も見捨てようとなんてしない。イーディスのことだって、そうしたくて助けに来なかったわけじゃない、やむを得なかったんだってわかっている。
心を痛めてたんだってこと、知ってる。
「ミラって過保護なんです。わたしの中の煤石が暴走するからって、力を使うのを許してくれない。今回は例外だって許可してくれたけど、白い石に頼れば負荷は軽減されるでしょう? そのためだと思うんです、押し付けてきたのって」
イグネアは続けた。
「グリムから脱出するのに頑張りすぎちゃって、わたしの身体はもうぼろぼろ。だからミラの言うことも理解はできますけど、ね」
「アイシア姉さまもそれで……。最近力を使ったよね……平気なの?」
クロムウェルに出現した強大な悪夢、業火の悪夢とでも呼ぶそれを水銀の悪夢が吸収し、そしてその力を模倣した。そいつを操り……操っていたつもりで孤児院を襲撃したのは、他でもないイーディスだ。
「平気、全然平気、ぴんぴんしてます。ミラを置いて、勝手に死ぬわけにはいきませんから。肩や背中が痛いくらいですかね」
冗談半分に咎めるような視線に気圧されて、意思とは無関係にイーディスの口が開く。
「ごめんな……」気づいて、言い直す。「……なら、よかった。イグネア姉さまの働きも計算に入れてるから、もう少しだけ、頑張ってもらう」
「もちろんです。かわいい妹分の失策は、姉たちがカバーして当然ですから」
ね、とイグネアはウインクをした。
あんなに酷いことをしたのに、この人もイーディスを許してくれるんだ。ミラ姉さまといっしょにいると、みんな、軟弱になっちゃうみたい。まったく、……罪づくりな人なんだから。
イグネアが勧めてきたので、紅茶を口に含んでみた。久しぶりに、とても久しぶりに、飲食物を美味しいと思った。ゴーレムが反応し、警報代わりのハンドベルが鳴ったのは、そのときだった。
イーディスはぐいっと紅茶を飲み干した。
「ありがとう。とっても、おいしかった」
子供たち、ミラ、そしてベンバドルのことを想って、言う。
「今度は、みんなでお茶がしたい、と、思う。……だから、イーディスがみんなを守る、守ってみせるから、イグネア姉さまも、力を貸して」
「はい、よろこんで。わたしたちみんなで、ミラを出迎えましょう」
イーディスは強く頷いて、敵の姿を確かめに走った。
悪夢は正面からやってきた。イーディスが建物の外に出ると、入口の先を下る道にひとつの黒い影が見えた。
迫りくる影の背丈はいつもより小柄で、ミラよりもイーディスによく似ていた。足元には黒い霧。強気な目で教会を臨み、口元だけが笑っていた。
「止まりなさい! 周辺には大量の爆発物が敷設されている。第一質料に還りたくなければ、それ以上近づかないほうがいい」
悪夢はぴたっと足を止め、イーディスを見上げた。人を小馬鹿にするように笑っている。
「ご丁寧にどうも。手の内を明かすなんてサービス精神旺盛ね、御主人サマ。それとも、ただの時間稼ぎのつもりかしら? 泣けるわね、その、悪足掻き」
「劣化した分身体のくせに、口だけは達者なんだ。その身体、水銀の比率は低そうだね」
「自己紹介どうも。『私』の劣化コピー、哀れなホムンクルスのイーディス」
悪夢が両手を身体の前に広げると、脚から伸びる影が、分裂した。ふたつになり、よっつになり、さらに倍、と増加していく。
「ホムンクルスでも、贋作でも、なんだっていい。イーディスはイーディス、他の誰かじゃない。だから、自分の不始末は、自分でなんとかする」
後方からイグネアの叫び声が聞こえてくる。
「裏手からも敵が!」
増殖する影が、教会の周囲を覆い尽くす。
そして一斉に、起き上がる。地面からめくれるように、まるで肉体があるように。
這いずるだけだった影が、人の形となり、大群となって侵攻を始めた。数を数えようにも気が遠くなりそうになるだけで、総数は見当もつかない。先頭集団が仕掛け爆弾のスイッチに触れ、地面がはぜて大爆発が起こった。大群の一部が消失するが、しかし、進行は止まらない。
炎の中に口元を歪める悪夢の姿を見た。
「私のおもちゃと、『私』のおもちゃ、どっちが優秀か、さあ勝負しましょう」
イーディスは地上のゴーレムを起動し、自らも黒い石を構え、次の仕掛けを発動させた。
空間を震撼させるほどの銃声が轟いた。軍勢の中心たる悪夢の頭部に命中し、顔面のおおよそ半分が吹き飛んだ。
けれども悪夢は笑っていた。
片方だけの目を光らせ、口元はより一層釣り上がり、笑っていた。
見ているだけで身がすくむ思いがした。
命を捨てる気で当たらないと、きっとなにひとつ守れない。
姉さまの幼稚な考え方は、浅はかだって思ってるのに。人のために命を捨てるなんてことが、人のために恐怖を乗り越えるなんてことは、夢物語でしかないと、信じていたのに。
なのに、今は、約束があって、それを守らなくちゃいけないから、姉さまのために、みんなのために、そんなことを考えてしまって
――ああ、そうか。軟弱になったのは、イグネア姉さまだけじゃないんだ。
目にかかる前髪を払って、勢いそのままに大きく手を振った。
「望むところ。あなたみたいな偽物に倒せるほど――」
臆病は、拳を固めて殴りつけた。半ば無理矢理だが、笑ってやった、笑顔を作ってみた。
「イーディスのアルケミアは簡単じゃないってこと、教えてあげる」
門番たる十体のゴーレムが投石を開始した。
日が変わるとともに、戦いは始まった。




