第4話 目の前で人が死ぬのを、許すな
「醜い。醜いな君は」
「――ッ!」
左腕を掴まれ、少女は宙に持ち上げられる。「ぐぅ……離し――」両足や右手を叩きつけ、逃れようとする。「――う、うう、ぐぅぁぁぁ……がはっ……」少女の腕が燃え上がる。悶絶する叫びが炎の中にこだました。
そして、沈黙したかと思うと、手足がだらんと垂れ下がった。
「冗談じゃねえっ!」
ベンバドルは、考えも策もなく飛び出した。
力の抜けた身体は、外部からの刺激になんら反応を示さない。業火に晒されているのにもかかわらず、身悶えることも叫び声を上げることもしない。――気を失っている。
どうする、どうすればいい。猶予はあるか、いや、ない。一秒だって長過ぎる。
やるだけやるしかない。
「……そこを動くなよ」
ベンバドルはライフルを構える。悪夢の腕を照準に捉え、狙いを絞る。やつの意識は少女に向いている。今なら――もう一度よく考えろ。あいつを助けるためにリスクを犯すのか。次の標的は誰なのか。見逃してくれているんだ、今のうちに、逃げよう。
ダメだ、逃げるのは許されない。
目の前で人が死ぬのを、許すな。
乾いた銃声が響いた。少女を避け、炎を纏う右腕に直撃する。着弾。ズレはない。悪夢がこちらを向いた。
表情なんか存在しないのに、陰影のせいで嘲笑っているようにも見える。
知るか。連射、弾倉が空になるまで撃ち切る。
「そいつを返してもらうぜ」
ライフルを投げ捨て、拳銃を構えて火中へと突っ込んだ。
一気に間合いを詰める。身体中の水分が蒸発していくようだ。皮膚に激痛が走る。知るか、そんなことは知るか、立ち止まれば死ぬ、なら進むしかない。
十分に接敵したところで銃口を向ける。急所と思われる部位を狙う。肘の関節、額、目、胸の白炎。悪夢がほんの僅かに仰け反る。そこだ。続けざまに銃弾を叩き込む。白炎が揺れると、同調するように身体も反応した。
悪夢が右腕を大きく薙ぐように振るうと、炎が刃状になってベンバドルを襲った。
膝を抜き、姿勢を低く、攻撃を回避。ショットガンに持ち替え、散弾を白炎に叩き込む。悪夢は仰け反る。さらにもう一撃。リロード――そんな暇はない。
背中に腕を回し、虎の子のそれを引き抜いた。細身の大きく反った刀、切断するための剣を上段に構えた。
振り下ろす。血液のように炎が吹き出す。刃が綻んでいる。あまりにも強固で強靭で強大な敵、どれだけ手を尽くそうとも、倒すことなど不可能。それでも、
「一発くらい殴らせろ……!!」
返す刀を、全身全霊の力で悪夢の左手首に叩きつけた。飛沫が吹き出す。刃は砕け散り、しかし左手から力を奪う。
少女が空中に投げ出される。がむしゃらに飛び込んで、その華奢な体を抱え込んだ。
「へ……ざまあみやがれ」
残っていた手榴弾を置き土産に、その場から逃げ出した。
複数の爆音が轟く。追撃はない。撹乱が功を奏したのか、ベンバドルは順調に悪夢から遠ざかる。あと少しだ、もう一踏ん張りでテリトリーを抜ける。無様でも生きてりゃ、こっちのもんだ。
もう少し、あとちょっと、それで
「があっ」
突如、激痛がベンバドルを襲った。
「ぐ……ごふぁ……ぐふっ……あ……あ……がぁぁぁ……!!」
正体不明の痛みが胸を駆け巡る。内臓が破裂しそうな感覚。
膝をつく。呼吸ができない。視界が赤く染まる。
前のめりに倒れ伏す。意識が朦朧とする。
わけもわからずに手を伸ばし地面を這いずった。
「くそ……こんなところで……」
意識が消えるその瞬間、ベンバドルはまぶたをぴくりと動かす少女の顔を見た。
ベンバドルはどこか見知らぬ場所にいた。
ランプが照らす薄暗い部屋。天井は高く、家具は王族の執務室のように格調高い。窓の外は暗闇で、星のひとつさえも見えない……。
自分は自分ではなかった。椅子に座っていた。目の前に女の子がいた。灰色の髪の、まだ幼い、凛とした、闇の奥深くまでも見通せそうな銀色の瞳をした女の子。
知っているようで、知らない。知らないようで、知っている。記憶の中の誰かと顔は同じなのに、表情が違う。凛々しくて、力強い、両目でしっかりと世界を見据えて、自信に満ち溢れている。こんな顔は知らない……。
――ミラクリス・ディアナ・フラメリア、今日からそう名乗りなさい
自分ではない誰かが、そんなことを言った。
ミラクリスと呼ばれた女の子は、口を結んだまま頷いた。エネルギッシュな動作で、本当は今にも飛び跳ねたいと思っていそうな、そんな我慢が顔に浮かんでいた。
『ありがとうございます、お養父様』
自分ではない誰かは、宝石箱のようなケースから、銀色に輝く指輪を取り出した。
蛇の頭が象られた、見事な細工の指輪。その指輪をミラクリスの手に置いて、自分の手で包み込むようにして握らせた。
――命を惜しまぬことだ。私人としての自分を忘れ、公人として生きなさい
ミラクリスは目を輝かせる。手を開いて、指輪をうっとりと眺めて、噛みしめるように何度も何度も頷いた。しばらくそうした後、再び握りしめて、拳を胸元に抱き寄せた。
『私、ミラクリスは、必ずや赤い石を見出し、故国グリムに永劫の繁栄をもたらすと、ここに誓います』
そこで景色は固まる。先などないかのように止まってしまった。
ミラクリス、何者だ。
ミラクリス、彼女は……。
ミラク――ミラ――ミラお姉さま!




