第3話 札束が燃えた夜
さあよこせ、と言わんばかりに右手を突き出して迫ってくる。もとよりそのつもりであったし、なんのためらいもない、のだが、思った以上の食いつきっぷり。なんだこいつ。
「今更翻意しようとしてももう遅いわ、渡しなさい」
「……しねえって。ほらよ、こいつはお前のもんだ、受け取ってくれ」
「あなた、見た目より誠実なのね」
「貸すのはいいが、借りってやつは好きじゃないんでな」
札束を少女の手のひらに乗せ、
――突如、発火。
札束が燃え上がる。「ッ」少女が咄嗟に手を引くと、地面に落下。火柱が上がる。一瞬のうちに、札束だったものは灰へと変わっていた。
灰に手を伸ばしかけた少女は、途中で諦めてベンバドルを睨みつけた。
「言っとくがな、俺がチンケなイタズラをしたと思ってるなら、そいつは見当違いだ」
「……わかっているわ」
鋭い目つきのまま、少女は橋の中央に視線をやった。
大気中のチリや埃が、音を立てて燃え上がった。ベンバドルは姿勢を低くして、コートの内側に隠していたライフルを抜いた。
「金はだめだ、金は誰も助けない。心がない、君たちには」
黒山羊のような頭。捻じくれた鋭利な角。鳩尾の穴に燃える白炎。常人の二倍はあろうかという巨大な体躯。皮膚は赤黒く焼け爛れ、肩から胸部にかけて白骨に覆われている。間違いない、悪夢だ。
「先走るなよ。あいつは――」
「あいつは私がやる。邪魔しないで」
少女が地面を蹴った。
むき出しの左腕を伸ばし――銀色の槍へと変わった。
「腕が溶けた……? 仕込みナイフ……いやそんなもんじゃねえ」
少女の先制攻撃、槍に変わった左腕を突き出し、全身で悪夢に突進していく、
しかし、攻撃は表皮一枚のところで食い止められる。局所的な火炎噴射が槍と拮抗。炎は穂先を起点に拡散、放射状に広がり全身を覆い尽くそうと迫る。
「離れろ! 肺が焼けるぞ!」
少女は跳ね返るように後退し、姿勢を低く勢いそのまま地面を削った。
「今度はこっちの番だ」
ベンバドルはライフルを構え、トリガーを引いた。弾倉が空になるまで撃ち尽くす。が、ダメ。致命傷どころか、かすり傷にもならない。
「くそ、これじゃ無理か」
リロード、舌打ち、同時。
「弱いな、心なき者たちよ」
悪夢が突き出した腕を中心に炎が渦巻き、まるで嵐のように吹き荒れる。
「やばいぜアレは――」
「させないわ」
少女はタクトを振るうように左腕を踊らせた。
悪夢の全身が小刻みに震え、火勢が衰えを見せる。見れば空間に銀色の糸のようなものが張り巡らされ、その巨体を縛り上げていた。
拘束しようとしている、が、少女は苦しそうに身をかがめた。
悪夢の筋肉が肥大化し、糸を引きちぎろうとしていた。
「くぅ…」
「離れろ!」
「!?」
有効射程まで駆ける。コートの内側から擲弾発射機を取り出し、即座にトリガーを引く。銃口から硝煙が噴出、擲弾が山なりに発射される。
数秒の滞空時間。着弾、炸裂。爆炎が悪夢を襲う。
それとほぼ同時に少女は飛び退き、ベンバドルの傍らへと転がりこんできた。
「私を殺す気なのね」
ベンバドルはリロードしながら言った。
「そう言うな、あいつほどじゃねえ」
噴煙の中から捻れた角が姿を見せる。頭、胴体、下半身、そのどれもが無傷のまま。
二発目を発射、回避されず、いや、回避せずに直撃。当然、結果は同じ。
「気にいらねえ、眼中にもねえってか」
悪夢が右手を上げる。荒れ狂う炎が周辺の空間を飲み込もうと吹きすさぶ。
どうする、一旦引くべきか。アレを持ち出して後日お礼参りしてやってもいい。だが、それまでにこいつが暴れ放題というのも気に食わない。とはいえ、意地張って死ぬのもごめんだ。
「策は? 逃げるか戦うか即決しろ。俺は逃げたい」
「さっきの爆弾を寄越しなさい」
「擲弾だと? お手玉には向いてねえぞ」
「口より手を動かして。迅速に」
「大事に使えよ、最後の一発なんだ」
擲弾を差し出す。少女はそれを左手で受け取り、
「本当はね、火薬って嫌いなの」
とつぶやいた。
今度はベンバドルの目の前で、見間違うことなく腕が水銀の如く液状になり、擲弾にまとわりついた。
「……そんなふうに使うやつを見たのは、はじめてだぜ」
少女は一直線に突進した。火炎旋風の中で左腕が膜のように広がり赤熱する。
髪先を燃やし、衣服の一部を燃やし、皮膚の一部を業火に晒しながら弾丸となって突き進み、敵の喉元へと達する。姿勢を低く、左腕に全体重を乗せ、銀の弾頭を荒々しく、
「還りなさい!」
敵腹部へと叩きつけた。
瞬間、大爆発が悪夢を襲った。
「なんてこったよ、化け物ばかりか」
一人でおどけてみるが、目は離せない。
あいつ本当に人間かよ。変な力があるからって、めちゃくちゃやりすぎだ。死ぬ気かっての。だが、あれだけやりゃ、いくらふざけた悪夢でも――
悪夢は微動だにしていなかった。少女は目を見開く。まさか、と口元が動く。




