第2話 猫を拾う、物騒なお姫様
表から金属がぶつかるような音が聞こえてきて、意識をそちらに集中させた。
音を追いかけて、少し走って、そして理解した。今日はとことん厄日だと。
同業者に獲物を横取りされようとしている。若い女が、悪夢とやり合っていた。左腕に装着した剣らしき武器で、爪を弾いたり突進をいなしたりしていた。
「しゃあねえ、恩でも売っとくか」
ライフルを構える。コッキング、初弾を装填、狙いを付ける。照準器の中心に仮面を捉え――少女が、見上げるほど高く飛んだ。後ろ向きに放物線を描いて、ベンバドルの眼前に着地した。
灰色の長い髪をしたその少女の右手には、なぜか子猫が乗っていた。
「そのおもちゃをしまって、手を出しなさい」
「ああん? お前、一体、っ」
空間を揺らす咆哮。呼吸を短く、怒りをあらわに、悪夢が突進してきた。
「早くしなさい。あなたにほんの少しでも慈心があるのならば」
「ちぃ、俺に命令しやがって! とっととよこせ!」
半身になって両手を出すと、ぽとりと猫が落ちてきて「にゃー」と鳴いた。
「私の代わりにこの子を守ってあげて」
「やれんのか!?」
「愚問ね」
少女は、稲妻のような速さで悪夢へと肉薄した。
悪夢の腕が肥大化。垂直に叩きつけると、地面が砕けた。波紋が広がるようにクレーターが形成される。足場は崩壊した。だが、少女は空にいた。飛び上がって、悪夢の頭上で左腕を構えている。銀色に輝く刃を。
少女は脳天を真っ二つにし、流れるような動作で敵を細切れにした。八つ裂きにされた悪夢はやがて形を保てなくなり、白い光を放ちながら塩へと変わった。
「ご苦労さま。通りすがりにしては、良い働きをしてくれたわ」
戻ってきた少女は、開口一番そんなことを言った。何様のつもりだ。子猫は手のひらに爪を立てて飛び降りベンバドルが「痛っ」と叫んでいる間に、少女の足首に顔を擦り寄せていた。
「足は平気? そう。帰る場所がないなら、家に来る?」
少女は屈んで猫と話をしている。その様子を見ていて、武器がどこにもないことに気づいた。
「お前、武器はどうしたんだ? すんげえ切れ味、ちょっと見せてくれよ」
少女は「あれとお話するから、少しだけ待っていてね」などと口走りながら、立ち上がった。
銀色のツリ目が、睨むようにベンバドルを見ていた。左側だけ袖のない妙な服を着ていて、そちら側の肩を白い外套で覆い隠している。さながら宮殿から脱走してきたお姫様だ。
「申し訳ないのだけれど、あなたは招待していないわ」
「されなくて結構だよ、そんな話はしてねえ……ていうかお前」
正面から顔を見ていて、思う。
さっきのガキと顔がよく似ている。髪の色も同じだ。
「なに? 凝視されるのは、好みではないのだけれど」
「いや、家族を捨てたりしてねえかなと思って」
「あなたも八つ裂きにされたいの?」
「いや、なんでもねえ。美人と話すと口が軽くなるんだ」
へへっと笑うと、少女は無言で顔を背けた。
少女は悪夢の残骸、塩と称される粒の山に向かった。その中からブローチのようなものを拾い上げ「これではない……」と放り投げた。そして、また周辺の捜索を始めた。
ベンバドルは血のこびりついたブローチを拾い上げた。これが遺物ではないかと思う。
遺物に込められた情念が具現化したのが悪夢、というのは受け売りだが、おそらく事実なのだと思う。
顔を上げる。少女を探す。
「なあ、やっぱりこい……おい、どこ行きやがった」
いない。
上を見ても下を見ても、左右を見渡してみても。もう、少女の姿はどこになかった。
さらに、おかしなことがもう一つあった。
「塩が消えてやがる」
普段と比べて、消滅するのが早すぎる。こんなことは前代未聞だ。
「ちっ、おかしなことばっかりだぜ」
ベンバドルは頭を掻いた。
今日は仕事をしていない。報酬をもらう資格はない。決定事項だ、それは。
なのに勝手にいなくなり、勝手に決定を覆そうとしやがって。
そんなのはごめんだ。そいつは不自由ってもんだ。
少女と出会ったあの夜から数日。悪夢の噂を聞きつけたベンバドルが足を運んだのは、地名であるマグニカの名が与えられた大橋の上だった。
その場でベンバドルは、二つのものを目にした。
一つはガス灯に照らされた黒霧。
もう一つは、例の少女だった。
「よう、観光か?」
少女は街灯の上に立ち、黒霧を見下ろしていた。
「渡したいものがあって探してたんだ」
少女は一瞥もせずに答えた。
「あらそうご苦労さま。帰っていいわよ」
「そう言うな、見るだけでも――」
言いながらコートの内側を弄り、この間の報酬を取り出す。
札束を手に再び上を見ると、
「あぁ?」
いない。
そう思ったのとほぼ同時に、すとん、と音がした。振り返ると、少女が詰め寄ってきていた。
「それはなに? その札束はなに? あなたの渡したい物ってそのお金のこと?」
「あ、ああ。この間のブローチを金に変えたんだ、いるだろ?」
即答だった。
「貰うわ」




