第一話 姉を殺しにきた妹を、悪夢狩りは助けてしまう
墓荒らしの形跡があった。土は乱され、芝生が剥がれている。
ミラが掘り起こすと、銅のリングケースだけが残され、中身が消えていた。
「強固な封印が施されていたはずなのに……一体誰が……」
銅の指輪。アイシアの遺品。遺体すら残らなかったあの子の、たったひとつの記憶。
灰色の長い髪が揺れる。空っぽの箱に視線を落として、ミラは呟いた。
「また……また私は失態を犯したのね……」
ひとつ、ふたつ、数えても数え切れない。一万人を殺して、妹を見捨てて、あまつさえ家族の尊厳すらも守れない。
どうしていつも、こんなことばかり。
「ごめんね。必ず取り返すから、そこで待っていて」
墓標には目を向けず、ミラは箱を埋め直した。
クロムウェルの街は、もうすぐ夜になろうとしていた。
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ベンバドル・ブラッドフォードが銃を抜いたのは、0.3秒前のことだった。
「おいガキ、耳をふさげ。こいつをぶっ放す」
ガス灯がぼんやりと照らす深夜のストリート。薄ら笑いの仮面、クロムウェル土着の怪物「悪夢」は、ボロ布のフードを被った子供に、関心を寄せていた。
しゃがみ込む子供は、顔も上げずに言った。
「待ってよ。あの子がびっくりしちゃう、怪我してるの」
黒い霧の満ちた路面に目を向けると、前足を浮かせた白猫が座っていた。
「じゃあそいつの耳もだ。俺はあの悪夢の相手をしなきゃならん」
ウッドストックを脇にあて、ベンバドルは肩の力を抜く。照準器を覗くと、穴の向こうで悪夢がケタケタと笑っていた。五十メートルあるかないか、やつらにとっては目と鼻の先。
長く伸びた鋭利な爪と、赤銅色の体毛。前傾するように背中は丸まっていて、足元を見れば、枷から錆びた鎖が伸びている。
ベンバドルがトリガーを引くと、タイヤが破裂するような音が響いて、薬莢が地面に転がった。
銃弾は頭部に直撃、しかし、仮面にヒビが入るだけで致命傷には至っていない。
悪夢は爪を立て、自らの顔面を掻きむしった。面が朱に染まり、指先から滴り落ちる血が刃のようになる。血を撒き散らしながら咆哮。空間が振動する。レンガのビルが、石畳の床が震えている。
歪んだ笑いが、闇に揺れていた。舌で背中を舐められているような感覚がして、ベンバドルは額の汗を拭った。
「ちぃ、簡単には終わらせてくれねえか。おい、お前、平気か」
白猫が毛を逆立てて走り去っていく。子供は目で背中を追いかけ、つぶやいた。
「また置いていかれちゃった」
「猫だっててめえのことはてめえでやってんだよ、お前は来いっ」
手を取ると、子供はフードの下から銀色に光る片目を覗かせた。
「そんなに慌ててどうした――うわっ」
ベンバドルは無理やり子供を抱きかかえた。その拍子にベストのボタンが飛んでいった。腕の筋肉だけで支えて、まるで荷物みたいに持って一目散に走り出す。
「いいから行くぞ!」
「てめえにやらせてないじゃん」
背後から金属を叩きつけるような音が聞こえてきて、ベンバドルは振り返らずに聞いた。
「んなことよりあいつはどうしてるか教えろ!」
少し間があく。飛び込めそうな裏路地を見つける。もう一踏ん張り。
「真打ち登場みたいな――そんなことより、お兄さんはなにをしてる人なの? どうして助けてくれるの?」
「ああっ!? なに言って――」鈍い衝撃音が、空気を伝わってくる。ベンバドルは、地面を蹴って裏路地に飛び込んだ。
中程まで進んでから、子供を地面におろした。その拍子に、はらりとフードが除けられた。
頬のこけた、灰がかった髪の少女。見れば素足で、足首から下は傷にまみれている。だが、そんなありふれた姿よりも、ベンバドルはその瞳が気になった。
銀と黒のオッドアイ。薄闇の中で片方だけが光を帯びていて、反対側は潰れているようにも見える。しかし瞳孔が拡大していくのがわかって、すぐに勘違いなのだと気づいた。
「ありがとうお兄さん。ちょっと楽しかったよ」
「たくっ、暢気しやがって。おまえ、アレがなんだかわかってんのか、マジで死ぬとこだったんだぞ」
「お兄さんは、わかるの?」
「見りゃわかんだろ、バケモンだよ。人食っちまうんだ」
「そっか、お兄さんは悪夢を殺す人なんだ。みんなのためにえらいね」
「ああそうだ。世のため人のために悪夢をぶっ殺して飯食ってる。わかったら、邪魔すんのはやめてとっとと家に帰んな」
少女は銀色の瞳を手で覆い隠すような仕草をした。
「あればあんなところにいないよ」
目を逸らす。いつまでもくっちゃべっていられないと思う。
「そうかい、だったら命だけでも大切にしろ。じゃあな、もう邪魔すんなよ」
「イーディス」
「あ?」
「名前。もしかしたら、また会うかもしれないから、覚えておいてね」
「そうか」とだけ言って、ベンバドルはイーディスに背を向けた。
ライフルを構える。表通りの様子を確認しようとしていると、背後から声が聞こえた。
「――ねえ、優しいお兄さん」
つい、足が止まる。
「アルケミストには関わらない方がいいよ」
振り向くも、もう、イーディスの姿はどこにもなかった。




