第35話 俺はこいつを殺そうと思っている
ヘレンの背中に腕を回そうとしているが、失敗して、両手がだらんと垂れ下がった。
最年少のレイフは一歩離れたところからぼーっとその姿を眺めている。ヤンは心配性な性格を隠さず、慌てふためいている。生真面目そうなアランは具合が悪いのですかとミラに聞いて、強気なロリーナはベンバドルを睨みつけ、ナタリーは全体を俯瞰するように見ていて、どうしてかほんのり笑みを浮かべている。階下からはトントンとまな板を叩く音が聞こえていた。
ベンバドルは見回すように顔を動かして、「みんな聞いてくれ」と言った。
注目が集まったところで、間髪入れずに続けた。
「俺はこいつを殺そうと思っている」
一瞬にして場は静まり返った。口を抑えていたり、目を見張っていたり、反応はそれぞれだが、共通して、怒りだとかそういった感情を持つことすらなく、ただただ唖然としている様子だった。当の本人はワンテンポ遅れて反応して、悲しんでるのやら怒ってるのやら怯えているのかもわからない複雑な表情を見せてきた。
子供たちを代表するように、困惑気味にアランが言った。
「ころすとは、あの、どういう意味でしょうか」
「そのまんまだよ。動けなくして、素っ裸にひん剥いて、さんざん苦しませてから息の根を止めてやる。わからねえか? お前らの母ちゃんを奪ってやるって言ってんだよ」
アランは、小刻みにしばたいて、唇を震えさせて、引きつった顔で半笑いになった。
口を挟んできたのはロリーナだった。
「なぜそのようなことをなさりますの!」
「うるせえ。ガキが口挟むんじゃねえ。理由だあ? お前らなんかに伝えてやる義理はねえんだよ」
「んまぁ、許されませんわ!」
「だめだよ、やめなよ、ロリーナまで殺されちゃう」
「まで!? までってなんですのっ、お姉さまが傷つけられるのを黙ってみているつもり!?」
「それは……そうだけど、と、とにかく、一旦落ち着こうよ、ね、ねえ、ってば」
殴りかかろうとするロリーナを、ヤンが必死に止める。行儀のいい坊っちゃんだ。向かってくるならいくらでも殴られてやるってのに。っと、そのようなことを思っていると、膝のあたりに軽い衝撃を感じた。
レイフだった。糸のような腕を振って、拳をベンバドルに叩きつける。臆することのない、ちっぽけな視線が突き刺さる。
「ママにいじわるするな……」
非力で痛みなど感じない。無力な拳を、レイフは何度も何度も振り上げた。そのうちヘレンもやってきて加勢する。力は倍になっても、まだ痛みは感じない。脆弱で勝ち目などないのに、二人は立ち向かうことをやめない。
ミラは相変わらず情けない顔で、その様子を眺めている。
ロリーナを止めるヤンの手は離れ、三人になる。ヤンとアランが顔を見合わせて頷いて、四人になって、五人になる。小さな力がいくつも集まり、うねりとなり、ベンバドルに立ち向かう。
「……痛えな、ああ痛え。おいガキども、お前らみたいなちっこいのがこの俺に勝つつもりか? そのへんにしとかねえとあいつよりさきにやっちまうぞ!」
追いすがって、殴りまくって、かじりつこうとしているのもいる。いよいよまともにダメージを負いかねない――そんなときに、傍観していたナタリーが声を上げた。
「ベン! おふざけはやめてなにがあったのか話しなさい!」
「おふざけだあ、おいこら、っ噛むんじゃねえ……俺は、大真面目だ、ミラを殺すって、言ったろうが」
「それは嘘! 人殺しはもっと醜い顔をしているものよ!」
「だぁから、そんなんじゃねえって、あ、こいつ、こら」
殴られ、蹴られ。我慢して、咄嗟の反撃を抑制して。よじ登って頬をつねろうとしてくるヤンを遠ざけ、ローキックを繰り出すロリーナの攻撃に耐える。アランは武器を奪取しようとする動きを見せていて、こいつが一番やっかいだ。
ナタリーは熱狂する一同をあるいは叱責するように言う。
「みんな! 騙されてはだめよ! だってベンってば本当は――」
「だああ、やめろやめろ、冷めること言うんじゃねえ。俺は悪いやつなんだよ!」
「意地っ張りね!」
「悪いかよ!」
必死に子供たちをいなしていると、視界の端でふらりとミラが立ち上がるのが見えた。
「みんな……そこまでよ……もういいの……あなたたちの気持ちはもう十分、伝わったから」
なにかを言おうとして、ミラは言い淀んだ。
「わた……私は……」
ミラから向けられた瞳を見つめ返した。
「ミラ」
時間にしてほんの数秒だっただろうか。それだけの僅かな間、視線を交わして、ミラは深く目を閉じた。胸元に拳を握りしめ、顔を伏せた。
勢いよく顔を上げて、ミラは大きく目を見開いた。
「彼を離してあげて。殺せと頼んだのは、私なのよ」




