第34話 好きになっちまったんだよ
早朝だというのに関係なくミラは起きていて、ベンバドルを部屋に招き入れた。
開口一番、ベンバドルはぶちまけた。
「あのクソッタレをぶっ倒すぞ。こいつがなにか、お前にはわかるだろ」
ベンバドルは黄金の短剣を見せつけた。
ミラは信じられないというような顔をした。ひたいに汗を浮かべ、一歩二歩と後ずさった。
イーディスから託された、と伝えても、受け止めきれていない様子だった。
「なぜ……なぜ今になってそんなものが現れるの、なぜイーディスが、なぜあなたが手にしているの」
「奴を殺せるだろ、こいつさえあれば。すっとぼけようたって、そうはいかねえぞ」
ミラは苦しそうに言う。
「……否定はしない。水銀では黄金には抗えない。たとえ悪夢であろうとも、矛盾しない」
そのように肯定してから、今度は否定してくる。
「イーディスになにを吹き込まれたのかは知らないけれど、根拠のない希望など持たないことね。あなたとて彼我の戦力差を理解できないほど愚かではないでしょう」
「うるせえ死にたがり。やる前から絶望して諦めてるやつがなに言っても、説得力なんかねえんだよ」
「なっ」
「自殺の手伝いなんて絶対にごめんだって言ってんだよ。だいたい無責任すぎるぜ、自殺した後はどうすんだよ。ガキ集めるだけ集めて最後はポイ捨てってか? あんまりだぜ」
なかなか反論が飛んでこなかったが、ようやく思いついたようでそれらしきことをミラは言った。
「配慮はする。……生活費もそれなりの蓄えがあるわ。後のことは、遺憾ながらもネアに任せることになる。……あの子達には、私は突然いなくなったと説明してもらって、心に傷は負わせないようにする」
「馬鹿かてめえは」
ミラは無言でベンバドルを睨みつけた。
「突然行方不明になればあいつらは面白おかしく愉快に生きていけるってか!? 馬鹿にしてるんじゃねえよ!」
「あ、あなたには、そんなことは無関係で、こちらの問題で、なによりも、これ以上の戦いは、不利益でしかない。本当に死んでしまうかもしれない……いいえ、死んでしまう。それなのになぜ、」
なぜ、か。
答えは単純だ。
「好きになっちまったんだよ」
「えっ」
「……お前も、この家も、イグネアも、アランも、ヤンも、ロリーナも、ナタリーも、ヘレンも、レイフも、みんな良いやつだなって……悪いかよ。あのイーディスだって、嫌いになれねえ」
ミラは虚を突かれたように両目を見開き、それからゆっくりと顔を伏せた。
「あっ、あなたという人間はっ、わた、私は真面目な話をしているの、それを、こんな、こんな……」
「嘘じゃない。俺は、お前らに、お前には幸せでいてほしいと思ってる。苦労ばっかの人生だったんだろ、だったら、報われなくちゃダメだ」
ミラの声が震える。床を見つめたまんまで、少し、呼吸が不規則だ。
「あな、あなたとは、出会ったばかりの赤の他人じゃない。ただのパートナーだって、自分でも、たった数日で私のなにがわかるのよ」
ベンバドルは顔の力を抜いた。ったく、どの口が言うんだ。
「出会ったその日から家族になれるらしいぜ」
「え……」
「ナタリーってやつから聞いたんだ。初対面の女に教えられたってさ」
「……そう……そうなのね……ナタリーはそんなふうに思ってくれて……私を……」
直接言われたわけじゃねえが、ま、近いことは言ってたしいいだろう。
ベンバドルは、震える肩にそっと手を置いた。
「いつもあいつらに教えてんだろ、自分らしく生きろって。だったら、お前もそうすりゃいいじゃねえか。罪を償いたいならそれでもいいさ。だけど、生きてこそだろ」
俯いたまま、ミラは小さく首を横に振った。そうするのが精一杯、というほどに弱々しい。
「志で命は救えないのよ……自分本位では、なにひとつとして守れはしない……ここで敗北すれば、また、また大切なものを失ってしまう……」
ミラは正面をむこうとしない。下を向いて、暗い声で言う。
「決定は覆せない。これは、私だけでも、二人だけの問題でもない……悲しませたとしても、心に傷を負わせたとしても……守らなくてはならないものがあるのよ」
「それが決断なのか。それがお前の、本心ってやつなのか」
ミラは無言で頷いた。意思は固い。言葉で攻めても、曲げられそうにない。
けどよ、認められねえんだ。
「そうかよ。はぁ、なら仕方ねえな。気が変わった、俺が、お前を――殺してやるよ」
ミラは死刑宣告を受けた囚人のような顔をした。心の弱いところをさらに抉られ、いよいよ信頼していた人間にも見放されたような、そんな姿だ。
呆然とするミラの手首をベンバドルは掴んだ。くっついたまま離れないのではと錯覚するほど強く握りしめた。一瞬だけ身体が強張ったが、すぐに力が抜けた。
「な、にを」
ベンバドルは「来い」とだけ言って、扉を目指した。
もう朝だ。太陽は昇っている。空は明るい。部屋を出れば、子どもたちの声が聞こえてくるだろう。
「離しなさいっ」と拒んでくるが、言葉だけで、力はこもらない。
「自殺の前にやることがある」
扉を開いて廊下に踏み出すといよいよミラは力を入れ始めたが、強引に引っ張ってやると、栓が抜けるみたいにすぽっと部屋から飛び出した。前のめりになって転びかけ、体勢を立て直してベンバドルを睨みつける。そして、そこでようやく気づいたようだった、いくつもの幼い視線が自分に向けられていることを。
子供たちが廊下に集まっていた。壁に背中を預けていたり、しゃがんでいたり、ナタリーとヘレンなどは子猫と遊んでいた。そんな彼らはいま、ただ一点に集中している。
子猫が近づいてきて、喉を鳴らしながらミラの足に頬を擦り寄せた。
それを追いかけるようによたよたとミラの元へ歩み寄って、ヘレンは袖を指で摘んだ。
「ママ、おかえりなさい」
ミラは崩れ落ちるように、その場にしゃがみこんだ。




