第32話 黄金の短剣
イーディスは立ち上がって、手にしていた包みをベンバドルに差し出した。縦長の何かが、色褪せた朱い布切れに、何重にもくるまれている。これでもかというほど厳重に封印されていて、中身がなんなのか想像もつかない。
「受け取って。イーディスじゃなくて、必要としている人のもとにあるべきだと思うから」
「必要としている……?」
「開けてみればわかるよ。けど、ちょっとだけ待って、この距離じゃイーディスには眩しすぎるから」
イーディスはそんなことをいうと、半ば無理矢理ベンバドルに包みを渡して、自分は五歩ほど後ろに下がった。どうぞ、と指示されて、言われるがままに包みに手を付けた。
布は羽根のように軽い。封蝋を剥がして包みを取ると、また封蝋が現れた。
中身が姿を現す頃になると、足元は朱い絨毯が敷かれているかのようになっていた。
「こいつは……」
それは、太陽の如き輝きを放っていた。
イーディスは目を細め、仰け反るような姿勢になる。
「それは白い石と対を成すグリムの秘宝。イーディスにもほんの少し水銀の血が流れている、だから、触れることすら叶わない。もちろんミラ姉さまも。それを扱えるのは、ただの人間だけ」
手の中のそれに見惚れて、ベンバドルは呆けたように呟く。
「――黄金の短剣」
心を奪われた気がした、いや、奪われていた。
透けてしまいそうな程の薄刃、刀身と繋がる金色の柄。闇に放たれる採光は、常闇に浮かぶ満月を連想させる。
美、違う、これは、真理。穢れなき真実の姿、これと比べてしまえば、目に入るすべての生物無生物は汚濁に塗れた土くれのようなもの。
もはやベンバドルは語る言葉をもたず、気高き黄金の光に、ただ魅了されていた。
「お兄さん、お兄さんってば、大事な話をするから、帰ってきて」
「あ、ああ」
「取り扱いには注意してね。もしミラ姉さまの身体に触れたりでもしたら、一瞬で人の形を保てなくなっちゃうから」
ミラは水銀を殺す力が存在すると言っていた。つまり、この短剣は、ミラだけではなく、あの悪夢さえも消滅させられる。そういうことだ。
戦う力だ。与えられただけの、しかし、確かな力だ。
「こいつがあれば、やつを倒せる」
イーディスは笑顔を消して、ベンバドルを戒めるように言った。
「簡単に行くと思わないでね。イーディスがそれを隠し持っていたこと、知られているから。接近して、刀身に触れさせなくちゃいけない。……お兄さんがやられたらおしまい、そしたら、どうしようもなくなる」
それはそうだ。喉元に達する前に殺されちまったら、意味はない。
勝ち目は薄い。薄いが、――ゼロではなくなった。
「だが、俺を信頼してくれたんだな」
イーディスは顔を逸らして、どこともしれぬ場所に視線を置いた。
「ま、まあ、どうせイーディスにも姉さまにも扱うのは難しいから……」
ぼそぼそっと、気恥ずかしそうに口を動かしている。
「それじゃ、イーディスは帰るね。姉さまに……よろしく」
イーディスは背を向けた。ベンバドルは、短剣を握る手とは逆の腕を伸ばした。
「お前も、協力してくれないか。どうせ運命共同体だろ」
返事はない。それに、と続ける。
「ミラも喜ぶ」
イーディスは足を止めて、深く息を吸ったのか肩を上下させた。ほんの数秒だけ沈黙して、それから言った。
「……もう一度考えさせて」
呟きのような一言を残して、イーディスは闇へと消えていった。
「姉さまと一緒に、待ってるぜ」
手元の短剣が、色の変わり始めた空を映していた。
今度こそ死ぬかもしれねえ。戦って、腹ぶち抜かれて、こんなもんは届かなくて終わる。きっとそうなる。あいつはあまりにも強い。常識なんて通用しねえ。
死ぬ。慈悲もなく、殺される。
ひでえ話だ。信じられねえ現実だ。
だけど、あいつ一人で死ぬほうが、もっと信じられねえ。
ミラ、俺は戦うよ。お前のために戦ってやるよ。
だからお前も、もう死ぬなんて言うな。




