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水銀の錬金術師と、姉を殺しにきた妹  作者: 光
第二章 水銀の悪意

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第32話 黄金の短剣

 イーディスは立ち上がって、手にしていた包みをベンバドルに差し出した。縦長の何かが、色褪せた朱い布切れに、何重にもくるまれている。これでもかというほど厳重に封印されていて、中身がなんなのか想像もつかない。


「受け取って。イーディスじゃなくて、必要としている人のもとにあるべきだと思うから」


「必要としている……?」


「開けてみればわかるよ。けど、ちょっとだけ待って、この距離じゃイーディスには眩しすぎるから」


 イーディスはそんなことをいうと、半ば無理矢理ベンバドルに包みを渡して、自分は五歩ほど後ろに下がった。どうぞ、と指示されて、言われるがままに包みに手を付けた。


 布は羽根のように軽い。封蝋を剥がして包みを取ると、また封蝋が現れた。


 中身が姿を現す頃になると、足元は朱い絨毯が敷かれているかのようになっていた。


「こいつは……」


 それは、太陽の如き輝きを放っていた。


 イーディスは目を細め、仰け反るような姿勢になる。


「それは白い石と対を成すグリムの秘宝。イーディスにもほんの少し水銀の血が流れている、だから、触れることすら叶わない。もちろんミラ姉さまも。それを扱えるのは、ただの人間だけ」


 手の中のそれに見惚れて、ベンバドルは呆けたように呟く。


「――黄金の短剣」


 心を奪われた気がした、いや、奪われていた。


 透けてしまいそうな程の薄刃、刀身と繋がる金色の柄。闇に放たれる採光は、常闇に浮かぶ満月を連想させる。


 美、違う、これは、真理。穢れなき真実の姿、これと比べてしまえば、目に入るすべての生物無生物は汚濁に塗れた土くれのようなもの。


 もはやベンバドルは語る言葉をもたず、気高き黄金の光に、ただ魅了されていた。


「お兄さん、お兄さんってば、大事な話をするから、帰ってきて」


「あ、ああ」


「取り扱いには注意してね。もしミラ姉さまの身体に触れたりでもしたら、一瞬で人の形を保てなくなっちゃうから」


 ミラは水銀を殺す力が存在すると言っていた。つまり、この短剣は、ミラだけではなく、あの悪夢さえも消滅させられる。そういうことだ。


 戦う力だ。与えられただけの、しかし、確かな力だ。


「こいつがあれば、やつを倒せる」


 イーディスは笑顔を消して、ベンバドルを戒めるように言った。


「簡単に行くと思わないでね。イーディスがそれを隠し持っていたこと、知られているから。接近して、刀身に触れさせなくちゃいけない。……お兄さんがやられたらおしまい、そしたら、どうしようもなくなる」


 それはそうだ。喉元に達する前に殺されちまったら、意味はない。


 勝ち目は薄い。薄いが、――ゼロではなくなった。


「だが、俺を信頼してくれたんだな」


 イーディスは顔を逸らして、どこともしれぬ場所に視線を置いた。


「ま、まあ、どうせイーディスにも姉さまにも扱うのは難しいから……」


 ぼそぼそっと、気恥ずかしそうに口を動かしている。


「それじゃ、イーディスは帰るね。姉さまに……よろしく」


 イーディスは背を向けた。ベンバドルは、短剣を握る手とは逆の腕を伸ばした。


「お前も、協力してくれないか。どうせ運命共同体だろ」


 返事はない。それに、と続ける。


「ミラも喜ぶ」


 イーディスは足を止めて、深く息を吸ったのか肩を上下させた。ほんの数秒だけ沈黙して、それから言った。


「……もう一度考えさせて」


 呟きのような一言を残して、イーディスは闇へと消えていった。


「姉さまと一緒に、待ってるぜ」


 手元の短剣が、色の変わり始めた空を映していた。


 今度こそ死ぬかもしれねえ。戦って、腹ぶち抜かれて、こんなもんは届かなくて終わる。きっとそうなる。あいつはあまりにも強い。常識なんて通用しねえ。


 死ぬ。慈悲もなく、殺される。


 ひでえ話だ。信じられねえ現実だ。


 だけど、あいつ一人で死ぬほうが、もっと信じられねえ。


 ミラ、俺は戦うよ。お前のために戦ってやるよ。


 だからお前も、もう死ぬなんて言うな。


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