第31話 優しいお兄さんを信じるよ
ベンバドルは「な?」軽く二の腕を叩いた。それでもイーディスがモジモジしていたので、今度は手を掴んだ。
「ナタリーも会いたがってたぜ」
「あの子が……あっ」
軽く手を引く。抵抗があればやめようと思っていたが、イーディスの手に力は入らなかった。
少し前のめりになって、次の瞬間にはもう、芝生に二つの足が乗っていた。
それでもイーディスは「中には入りたくない……こんな時間だし……」と言った。仕方ないので、庭のベンチに並んで座った。
返した包みを膝の上において、イーディスはそれをじっと見つめていた。
いくらか沈黙があって、先に話を切り出したのは、イーディスだった。
「ねえ、お兄さん。……生きるってどんなことだろうね」
「んだよ藪から棒に。さあなあ。んなこと考えられるほど、余裕ある生活もしてねえからな」
「イーディスも……そうだったよ。人を……殺すことばかり考えて……その本質を見ようともしなかった……でも、今は、どうしても考えちゃうんだ」
イーディスの声は、消えてしまいそうなほどにか細かった。
「辛いことはこれまでもたくさんあったけど、本当に死ぬかもしれないって感じたのは、この間が初めて。ねえさま……あの悪夢はイーディスを殺すつもりだった」
「それで、ちったあ反省しようと思ったのか」
イーディスは小さく頷いた。
「あのとき……」
イーディスは言い淀んで、少ししてから、決心したようにベンバドルの目を見た。
「あのときお兄さんが助けてくれて、心の底から安堵してたの。だからね、それで自分のことを考えて、なんなのかな……って、だって、意味のない命なのに、どうして、なんで、……生きてることが嬉しいとか、思うんだろう」
言い切ってからイーディスは、途端に揺らいだようだった。不安そうに眉を垂らし、視線がうろちょろしている。
「その……でね……人を殺すのは悪いことなんじゃないかって……」
「なに言ってんだよお前は。だいたい自分だって見捨てられたってキレてたじゃねえか」
軽く息を吐いた。するとイーディスは、悲壮感たっぷりの表情になって、どんどん顔を沈ませていった。
「自己矛盾……気付かなかったの……」
アルケミストって奴らはどこか抜けてる。ミラと同じで、なんでも知ってそうで実はなにも知らないのかもしれん。まったく、かわいげのある連中だ。
「どいつもこいつも、生き死にを軽々しく考えすぎだぜ」
「それって……姉さまのこと?」
「あいつの場合、てめえ自身のことだけどな」
ベンバドルはイーディスの頭に手を乗せた。ぴくりと身体が跳ねて、オッドアイがまるまると見開いた。
「まったく、この頭にはなにが詰まってるんだか」
ベンバドルは小さく笑った。
賢いくせに当たり前ってやつを知らない。ミラも、こいつも。
イーディスが「……またニヤけてる」とぼやきながら表情を崩した。
死に顔なんかより、やっぱり笑顔のほうがずっといい。
こいつだけじゃなく、姉さまの方もきっとそうだ。
手を離すと、イーディスはまた包みに視線を落とした。それを見つめながら、考え込んでいるように見える。先程は気にしている余裕もなかったが、そういえばやたらと軽かった。
「なあ、それ大切なものだって言ってたけど、なにが入ってるんだ?」
イーディスはベンバドルを見上げた。
数秒ほどの短い沈黙があって、結んでいた口を開いた。
「お兄さんは……姉さまをどうするつもりなの」
「あ? なんだよ」
「いいから」
難しいことを聞く。だが、誤魔化してばっかりじゃいられねえ。
「あいつの言い分もわからなくはねえ、みんな仲良く無駄死にが正しいとは思えねえ。犠牲が一人で済むなら、そうするべきだ」
「そうじゃないよ。本当の気持ちを教えて。さっき言ったこと、イーディスは忘れてないよ」
「忘れろ、……とも言えねえか。ああそうさ、今は合理的な手段ってやつよりも、あの偽物野郎に小便ひっかけてやる方法がねえか探してる」
イーディスは首を横に振った。
「もっとハッキリ言って。恥ずかしがらないで」
ベンバドルは一瞬目を逸らして、すぐに戻した。
息苦しさを感じる。胸に正体不明のざわつきがある。ハッキリってなんだ、恥ずかしがるってなんだ、俺はミラをどうしたい。どうなってほしいんだ。……ああ、くそ、畜生、わかってるよ。
「お、」つっかえて、そのまま続けた。「俺は、なんだ……ミラには幸せでいてほしいって……思ってるよ悪いかよ、たくっ」
義務を果たして、今度こそ目を逸らした。イーディスはどこか満足げに「そっか……」と言った。
「これを、本当に渡していいのか、ずっと悩んでた、けど」
イーディスは笑顔だった。いつかとは違って、作り物ではない自然な表情に見える。
「優しいお兄さんを、イーディスは信じるよ」




