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水銀の錬金術師と、姉を殺しにきた妹  作者: 光
第二章 水銀の悪意

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第30話 俺が許してやる

 混じり気のない澄んだ瞳をしていた。見つめられて、力も、気も抜けた。


 架空の話だとしても、いや、たとえ現実に起こった話だったとしても、それでもミラを許してしまえる。ナタリーはたぶんそういうやつだ。


 誰もがナタリーのように考えられるわけじゃない。ミラ自身のように、罪を許せない人間もいる。悪夢が生まれたのも、その罪悪感のせいだ。あれは人の心の暗い部分が具現化した存在なのだから。


 どうやったらあいつは自分を許せるのやら。


 ベンバドルはふっと息を吐いて、ほのかに笑みを浮かべた。


「……そうだな、そうかもしれん」


 さてどうしたものか、と思う。顔を正面に戻して、暗い天井を見上げた。


 ナタリーに倣えば、やはり最後まで一緒に戦ってやる、ということになろうが。


「ベンもミラも、あのイーディスって子のことで悩んでるの?」


「ん、どうだろうな、……あいつも無関係じゃないか」


 そもそもミラの悪夢はなぜ生まれた、という話になる。悪夢とは自然発生するものであるとされているが、行動を共にしていたあたりイーディスは人為的に誕生させた可能性がある。


 理屈や仕組みは不明だが、あるいは元凶なのかもしれない。


 あいつが、復讐心に囚われていたから、こんなことになった。


 そういうことなのかもしれない。


「また悪いことをしたのね! もう、素直に謝れば、一緒に暮らせるのに!」


「……そいつは無理だろうよ、あいつは、それだけのことをしちまったんだ。お前だって、怖い目に合っただろ」


「わたしのことはいいの! 全然怖くなかったわ! それより、あの子のほうが心配ね!」


 なにも知らないからそんなことが言えるんだ、と思った。思ったが、口にする前に引っ込んでいった。


 知ったところで同じか、こいつは。


「イーディスを怒らないであげて、きっと寂しいだけなのよ!」


「なんでお前があいつの肩を持つんだ。被害者のくせにたくましすぎるぜ」


「お願い。もし聞いてくれたら、しばらく午後のおやつはベンにあげるから」


 祈るように手を組んで、上目遣いで見上げてくる。たまらず目を逸らしたベンバドルは、痒くなった首筋をかいた。


「……仕方ねえ、そこまで言われちゃ、怒ってばっかじゃいられねえな。つっても、本人がどうだか、それが一番問題だがな」


「きっと大丈夫!」


 真っ直ぐに前を見つめて、ナタリーは根拠もなくそんなことを言った。


 それからもいくらか話をして、やがて船を漕ぎ始めたナタリーを二階まで連れて行った。もう寂しくないからと言って聞かせて、しゃがみこんで手を振ると、大きなあくびをしながら部屋へと入っていった。


 窓の外から笛の音が聞こえてきたのは、そんなときのことだった。


 裏庭に出てみると、芝生の切れ目の奥にイーディスの姿があった。


 イーディスは片手にサンガマと呼ばれるあの笛を、反対の手に朱い布で包んだ何かを握っていた。銀色の髪飾りが、闇夜にキラリと輝いた。


「こんばんは、お兄さん。――姉さまは、死ぬ気なんだね」


「物知りだな、誰から聞いたよ」


「経験と知識からの推測……イーディスは姉さまを徹底的に苦しませようとして、袋小路になるように仕向けてて……だから、あの悪夢は、それを引き継いだだけなの」


 イーディスの視線は、足元を向いた。ミラに用事があって来たのだろうに、そこから一歩も動こうとしない。


 ベンバドルもまた、その場から動かずに呼びかけた。


「そんなとこに突っ立ってねえで、こっち来いよ。茶の一杯くらい出すぜ、おれんちじゃねえけど」


「……ここでいい」


 ベンバドルはくくと笑った。やはりしょげてる姿は年相応だなと思う。寂しいだけ、その通りかもしれん。らしくねえこと、してみるか。


 ベンバドルはイーディスに近づいて、抱えた包みを奪い取った。予想外だったのだろう、抵抗もなく手放して「ちょっ」と間抜けな声が聞こえてきた。


 羽根のように軽いそれをベンバドルは両手で抱えて「もーらい」庭の中ほどまで駆け足で下がっていった。


 イーディスが手を伸ばした。奪い返しに来ようとしていたようだったが、また足元を見てあからさまに躊躇した。


「返してっ、それは大切なものなの!」


「だったら自分で取りに来いよ。難しいこと言ってんじゃない、こいつがなんだか知らねえが、ここまで来るならちゃんと返してやるよ。別に億劫じゃねえだろ、それともなにか」


 ベンバドルは、庭と外の境界線に目を向けた。イーディスのつま先は、ピタリとその前で止まっていた。


「自分は敷居を跨ぐ資格なんてない、そんなふうに思ってるのか」


 イーディスは顔を上げようとしなかった。


 目を伏せたまま静かに「……そうだよ」と呟いた。


 イーディスは震えを止めるように、自らの腕を押さえつけた。


「殺されそうになって……わかったんだ……イーディスは……イーディスは……何もかもを甘く考えすぎてた……自分がなにをしているのか理解してなかった……」


 鼻をすするような音が聞こえる。暗がりに薄っすらと浮かんだ目元に、光るものが見えた。


「死ぬってことがどんなことなのか、全然わかってなかったんだよ……! 幸せを妬んで……恨んで……禁忌に手を出してしまった……」


 イーディスは顔を両手で覆い、嗚咽するような声を漏らした。


 大丈夫だとナタリーは言った。ミラはこれっぽっちも憎んでいなかった。


 目の前でガキが泣いている。


 だったらこう言ってやる。


「俺が許してやる。だからこっちに来い」


 イーディスの赤く染まった目が、大きく見開いた。


「なんでお兄さんがそんなことを言うの。どうしてそっちにいるの……意味もわからず巻き込まれただけなのに、なんで……笑ってるの……!」


 笑っているのか俺は、とベンバドルは思った。


「一歩踏み出してみろよ、わかるぜ。きっと、いいや、絶対に誰もお前を責めたりなんてしねえからよ」


「そんなの……イーディスには……」


「信じられない、ってか、たく、仕方ねえな、じゃあ交換条件だ」


 肩を揺らしながら、ベンバドルはゆっくりとイーディスに近づいた。膝立ちになって、その小さな腕にそっと手を添えた。


「お前もミラを許してやってくれ。それで手打ちってやつだ、そうすればあいつも生きようって気になるかもしれねえからよ」


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