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水銀の錬金術師と、姉を殺しにきた妹  作者: 光
第二章 水銀の悪意

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第29話 私以外に、誰がミラを許すの?

 ランタンの間接光が眩しかった。


 壁に預けた背中がずり落ちていって、そのまま尻もちをついた。ミラに報告することも億劫で、ただただなにもない場所を眺めていた。


 なぜこんなところにいるのだろう。他人と関わらない、自由で気楽な、悩みなんてない仕事に従事していたはずなのに、どうしてだろう。自分のためだけに生きてきた人間に、なんで無理難題を押し付けてきやがる。どいつもこいつも、同じ顔して、死にたいだなんて、殺してくれだなんて、ふざけたことを言ってきやがる。


 ガキどもの前ではあんな幸せそうにしてるのに。


「あいつ死にたいのか……」


 グリムのこと、アルケミストのこと、ナタリーと悪夢のこと、イーディスのことに、アイシアってやつのことも、それから、巻き込んじまったちんけな悪夢狩りのことも、全部、自分のせいだと思ってるのだろう。アルケミストの長だか、ひとでなしだかなんだか知らないが、人間一人で背負うには、あまりにも重すぎる。割り切ろうたって、割り切れるものでもない。


 あんな正直に生きているやつが、そんな人生なんだ。報われねえよ。


「それが望みで、俺がしてやれる……くそっ」


 望みを叶えてやる? ふざけろ。自分が助かりたいだけじゃねえか。あいつが本当に救われるのは死なんかじゃない、もっと、違うなにかが、あるはずなんだ。幸せになる方法ってやつが、笑って生きられる明日を手にする手段が、どこかに、どこかにあるんだ。考えようとも、なにひとつ思い浮かばない。たとえ思い浮かんだとしても、自分には、実現するだけの力がない。目の前の障害すら排除できずに、未来のことを考えるのはちゃんちゃらおかしい。


 そんなんだから、ミラを殺すべきかと悩んでいる。


 殺してしまおうかと、思っている。


 それがミラの望みだから。


「へっ……明日には家に帰れるか……悪くねえや」


 おかしくもないのに、笑いがこみ上げてきた。ヘラヘラと笑って、さらに背中がずり落ちていった。酒が飲みたい。ジンがいい。この家に……あるわけねえか。まったく不自由だ、なんて不自由だ。


 ちっ、と舌打ちをすると、能天気な「にゃーご」という鳴き声が聞こえた。


「夜ふかしなんて悪い子ね!」


 音のした方に目を向けると、子猫を抱えたナタリーが立っていた。


「んだよ、小便ならこっちじゃねえぞ、とっとと出てけ」


 悪態を吐いてみるが、ナタリーはタンタンと軽い足音を立ててやってきては、ベンバドルの真横に座った。わざと、顔を合わせないようにした。


 ナタリーはなにするでも、なにを言うでもなく、子猫とじゃれていた。しばらく沈黙していたベンバドルだったが、結局自分から声をかけた。


「なにしに来やがった。俺はガキが嫌いなんだよ」


「この子と仲良くなろうとしてたのよ! とても時間がかかったわ!」


 ナタリーは子猫と頬を擦り寄せている。仲良くなる計画は成功したようだが、そのせいでこんなところにいるのを見つけたらしい。


「でもほら! もう大親友なのよ!」


「そうかい、そりゃよかったな。もう十分見せつけられたから、満足したらとっとと部屋に帰って寝ろ」


「それは無理ね!」


「あのなぁ、こっちは――」


 ナタリーは言った。


「ベンが寂しそうにしてるから、わたしが側にいてあげるわ!」


 そんなことを、言った。


 恥ずかしげもなく、言った。


 思わず振り向くと、ナタリーの顔が目に入った。引っかき傷がいくつもある。腕にも、おそらく他の箇所にも。それなのに、笑顔で猫の頭を撫でている。


 考えるというよりは、反射的に聞いていた。


「なんだって、お前はそんなこと」


「ずっと前にね、ミラに教えてもらったのよ! 寂しいときは一緒にいてあげるものだって!」


 猫にそうするように、ナタリーはベンバドルにも笑顔を向けた。


「ひとりぼっちで泣いてたわたしを、ミラは抱きしめてくれたのよ! ひとりでいたらダメ、もっともっと寂しくなっちゃうからって!」


「だから……俺にもそうしてくれるのか」


 うーん、とナタリーは首をひねって、考えるような仕草をした。


「だからなのかはわからないけど、でもそうしたほうが寂しくなくていいと思うわ!」


「なんだよそりゃ、俺の気持ちが、ねえじゃねえか。勝手だぜ、まったくよ」


 座り直すと、また背中がずり落ちた。こちらを見て、ナタリーはずっと笑っていた。服で隠れているが、胸元にはあの紋様が刻まれている。だってのに、なんでそんな顔をしていられる。


 ミラはこいつに伝えたんだろうか。伝えていないんだろうな。


 ベンバドルは舌打ちをこらえた。


「……なあ、もしミラがお前らのことを騙していたとしたら、どうする? 例えば、……人を殺したことがあるとか、あまつさえ身近な人間の命すらも奪おうとしているだとか」


 おかしなことを聞くのね、とナタリーは首をひねって、しかし答えてくれた。


「話を聞くわ! きっと、なにか事情があると思うの!」


「事情なんてない、単に、あいつのミスだったら、偶然、人の命を奪ってしまったのだとしたら、しかもそれが、…………お前らの、誰かの、大切な人だったら、どうする」


「悲しいお話ね、ミラはとっても辛い気持ちになると思うの、だから側にいてあげなきゃ!」


「許せるのか、もしあいつが殺した……殺めてしまったのが、他の誰でもない、ナタリーの大切な人だったとしても……!」


 つい口調が荒くなってしまったベンバドルを、ナタリーはぽかんと見つめた。


 一瞬だけ沈黙があって、ナタリーは言った。


「わたし以外に、誰がミラを許してあげられるの?」


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