第29話 私以外に、誰がミラを許すの?
ランタンの間接光が眩しかった。
壁に預けた背中がずり落ちていって、そのまま尻もちをついた。ミラに報告することも億劫で、ただただなにもない場所を眺めていた。
なぜこんなところにいるのだろう。他人と関わらない、自由で気楽な、悩みなんてない仕事に従事していたはずなのに、どうしてだろう。自分のためだけに生きてきた人間に、なんで無理難題を押し付けてきやがる。どいつもこいつも、同じ顔して、死にたいだなんて、殺してくれだなんて、ふざけたことを言ってきやがる。
ガキどもの前ではあんな幸せそうにしてるのに。
「あいつ死にたいのか……」
グリムのこと、アルケミストのこと、ナタリーと悪夢のこと、イーディスのことに、アイシアってやつのことも、それから、巻き込んじまったちんけな悪夢狩りのことも、全部、自分のせいだと思ってるのだろう。アルケミストの長だか、ひとでなしだかなんだか知らないが、人間一人で背負うには、あまりにも重すぎる。割り切ろうたって、割り切れるものでもない。
あんな正直に生きているやつが、そんな人生なんだ。報われねえよ。
「それが望みで、俺がしてやれる……くそっ」
望みを叶えてやる? ふざけろ。自分が助かりたいだけじゃねえか。あいつが本当に救われるのは死なんかじゃない、もっと、違うなにかが、あるはずなんだ。幸せになる方法ってやつが、笑って生きられる明日を手にする手段が、どこかに、どこかにあるんだ。考えようとも、なにひとつ思い浮かばない。たとえ思い浮かんだとしても、自分には、実現するだけの力がない。目の前の障害すら排除できずに、未来のことを考えるのはちゃんちゃらおかしい。
そんなんだから、ミラを殺すべきかと悩んでいる。
殺してしまおうかと、思っている。
それがミラの望みだから。
「へっ……明日には家に帰れるか……悪くねえや」
おかしくもないのに、笑いがこみ上げてきた。ヘラヘラと笑って、さらに背中がずり落ちていった。酒が飲みたい。ジンがいい。この家に……あるわけねえか。まったく不自由だ、なんて不自由だ。
ちっ、と舌打ちをすると、能天気な「にゃーご」という鳴き声が聞こえた。
「夜ふかしなんて悪い子ね!」
音のした方に目を向けると、子猫を抱えたナタリーが立っていた。
「んだよ、小便ならこっちじゃねえぞ、とっとと出てけ」
悪態を吐いてみるが、ナタリーはタンタンと軽い足音を立ててやってきては、ベンバドルの真横に座った。わざと、顔を合わせないようにした。
ナタリーはなにするでも、なにを言うでもなく、子猫とじゃれていた。しばらく沈黙していたベンバドルだったが、結局自分から声をかけた。
「なにしに来やがった。俺はガキが嫌いなんだよ」
「この子と仲良くなろうとしてたのよ! とても時間がかかったわ!」
ナタリーは子猫と頬を擦り寄せている。仲良くなる計画は成功したようだが、そのせいでこんなところにいるのを見つけたらしい。
「でもほら! もう大親友なのよ!」
「そうかい、そりゃよかったな。もう十分見せつけられたから、満足したらとっとと部屋に帰って寝ろ」
「それは無理ね!」
「あのなぁ、こっちは――」
ナタリーは言った。
「ベンが寂しそうにしてるから、わたしが側にいてあげるわ!」
そんなことを、言った。
恥ずかしげもなく、言った。
思わず振り向くと、ナタリーの顔が目に入った。引っかき傷がいくつもある。腕にも、おそらく他の箇所にも。それなのに、笑顔で猫の頭を撫でている。
考えるというよりは、反射的に聞いていた。
「なんだって、お前はそんなこと」
「ずっと前にね、ミラに教えてもらったのよ! 寂しいときは一緒にいてあげるものだって!」
猫にそうするように、ナタリーはベンバドルにも笑顔を向けた。
「ひとりぼっちで泣いてたわたしを、ミラは抱きしめてくれたのよ! ひとりでいたらダメ、もっともっと寂しくなっちゃうからって!」
「だから……俺にもそうしてくれるのか」
うーん、とナタリーは首をひねって、考えるような仕草をした。
「だからなのかはわからないけど、でもそうしたほうが寂しくなくていいと思うわ!」
「なんだよそりゃ、俺の気持ちが、ねえじゃねえか。勝手だぜ、まったくよ」
座り直すと、また背中がずり落ちた。こちらを見て、ナタリーはずっと笑っていた。服で隠れているが、胸元にはあの紋様が刻まれている。だってのに、なんでそんな顔をしていられる。
ミラはこいつに伝えたんだろうか。伝えていないんだろうな。
ベンバドルは舌打ちをこらえた。
「……なあ、もしミラがお前らのことを騙していたとしたら、どうする? 例えば、……人を殺したことがあるとか、あまつさえ身近な人間の命すらも奪おうとしているだとか」
おかしなことを聞くのね、とナタリーは首をひねって、しかし答えてくれた。
「話を聞くわ! きっと、なにか事情があると思うの!」
「事情なんてない、単に、あいつのミスだったら、偶然、人の命を奪ってしまったのだとしたら、しかもそれが、…………お前らの、誰かの、大切な人だったら、どうする」
「悲しいお話ね、ミラはとっても辛い気持ちになると思うの、だから側にいてあげなきゃ!」
「許せるのか、もしあいつが殺した……殺めてしまったのが、他の誰でもない、ナタリーの大切な人だったとしても……!」
つい口調が荒くなってしまったベンバドルを、ナタリーはぽかんと見つめた。
一瞬だけ沈黙があって、ナタリーは言った。
「わたし以外に、誰がミラを許してあげられるの?」




