第28話 ミラは死にたいの
ミラは、自分を殺せと言っていた。
細胞レベルで忌避感を感じてしまい、自らに針を向けることが出来ない。だから、抑制剤を注射してくれと、冗談を言っていた。
悪夢はミラの影。主が消えれば、影もまた消滅する。そうすれば呪いは消えベンバドルと、家族は助かる、そんな馬鹿なことを言っていた。
「てめえじゃ薬を打てないだと!? ふざけるな! だったらなんで死ぬなんて馬鹿げたことを……ことを……くそっ……」
それがもっとも正しく、もっとも確実な手段だと。
現状取りうる最善策であり、賢明で、理性的な判断だと。
反感を覚え、苛立ちを感じ、しかし、それでも反論はできなかった。もっともだ、と思ってしまう心がベンバドルの口を閉ざした。
「畜生っ! あの野郎……くう、情けねえ……」
闇の中。物置で一人、奥歯を噛みしめる。拳を振り上げても、下ろす先は見つけられない。
なんのことはない。簡単な作業だ、医者の真似事をすればいい。脳を撃ち抜くわけでも、心臓を突き刺すわけでもない、ただ、針を刺してやるだけだ。おまけにその後の、作業、は自分で行うと言った。だから心配しなくていいらしい。気に病むことなんて、ないらしい。
そうだ、気にするな。あいつの選んだことじゃないか。
自由はなによりも尊い、そう思いながら、ミラの選んだ自由を、なぜ否定したがる。
死は――自由よりも重いのだろうか。
いや、わかっている。
ミラに死んでほしくない、きっとそうなのだろう。
しかし、その道は。
「俺は……俺は……!」
死は不自由だ。回避できるのなら間違いなく回避するべきなのだ。ミラとは違う、簡単に死ぬことなど選べやしない。
自由はどこにある。生きるとはなんだ。戦うとは、なんだ。
答えなど、出るはずもなかった。いくら考えても、なにが正解だなんて、わかりはしなかった。それでも結論は出さなければならない。
残り四日。死はすぐそこにある。
曖昧なままでは、いられない。
眠れないまま、夜は更けていった。なにもなくとも朝はやってくる。望まずとも、時間は前に進む。
ミラはどうしているのだろう。まだ部屋に籠もっているのだろうか、家族と穏やかな夜を過ごしているのだろうか。もし、残された時間が僅かだというのなら、後者を、
「――ああくそ、こんなところにいたら余計変になるぜ」
ぼやいてから、ベンバドルは廊下に出た。リビングに踏み入ると、すぐに気づいた。
誰かいる。
ランタンの灯がぼんやりと映し出す、揺れる人影。
玄関より繋がる扉の前に、一人の少女が立っていた。長い灰髪、凛とした瞳、細い輪郭に――嘲笑うような口元。
銃を抜いた、敵だと疑わずに突きつけた。
「てめえは何者だ――いや、そうじゃねえ、なにしに来やがった、クソ野郎!」
ピリッと、空間が静的になるような感じがした。
クスクスという笑い声が反響する。
硬質な、どこか冷めた、ミラにそっくりで、けれども、別物であるあの癇に障る声。足元には、黒い霧が立ち込めていた。
「ご挨拶ね。『私』のお家は、私のお家、違ったかしら?」
「舐めたこと言ってんじゃねえ……!」
顔を上げる。トリガーに指をかける。額を狙う。
照準の奥に立つ女――あいつは化け物、悪夢。ミラを模倣する、歓迎しない来訪者。
「俺達を……殺しに来たのか!?」
「私は救世主、ただの殺人鬼とは違う――惨めにみっともなく、地べたを這いずり回る、大罪人のような屈辱的な死、ミラが望んでいる素晴らしき死を、それをね、与えてあげたいの」
「んだと、勝手言ってんじゃねえ……! あいつがどれだけ悩んで、苦しんだのか、てめえに――」
「わかるわよ、あなたよりもよっぽど」
「てめえ……」
銃を握る手に力が入った。
「『私』は死にたいの。一秒だって生きていたくない。けれども家や使命が望みを叶えさせてくれない。だから私がいるの、『私』が欲しているものを与えてあげるの」
悪夢は両手を合わせて、ミラが子供たちに向けるような微笑みを浮かべた。
「他者に束縛されることで、命の主体性を持てないなんて、悲しいことだと思わない?」
囁きが脳内に反響する。拳銃を取り落し、耳を塞ぐ。侵入する悪意を遮断しようと頭を振る。
「是非、お手伝いしてあげて。そうすれば、あなたは生きられる」
その声はもはや音ではなく、精神に直接語りかけられているかのようで。
「『私』を殺して。お願い、ベンバドル。『ミラは死にたいの』」
「俺は……」
最初から皆殺しにするつもりなら、なにも困らなかったのに。
こいつは生きろと言っている。ミラを犠牲にして、お前だけは生き残れと。
「もし、お願いを聞いてくれないのなら、そのときは、みんな仲良くお墓に入りましょうね。もちろん、あの子達も」
薄れゆく影、消えていく姿。
「――ね、ベンバドル、それと、聞き耳を立てている悪い子ちゃん」
嫌味な笑い声を残して、敵は完全に姿を消した。




