第26話 お待ちかね、そこが知りたいアルケミア
自分ではない誰かは、憎悪の眼を向けられていた。
周りを闇に囲まれた空間に、ぽつんとベッドが置かれている。顔に銅色の斑点がいくつも浮かんだ少女が、身体はやせ細りながらも力強い瞳をこちらに向け続けている。自分ではない誰かは、黙ってその姿を見つめていた。時折なにかを口にしようとするが、やはり言葉は出てこない……。
『なんのつもり、いよいよ死期が近いからって、嘲ろうとしてるの』
誰かは戸惑うような様子を見せた後、どちらが病人かわからないほど弱々しい声で言った。
――力になれることがあれば、なんだってする
『だったら、好きにさせてよ。あたしは、あたしの意思で役目を全うしたんだ、その結果がこのザマだって、別に誰かを恨んだりしない。願いなんてひとつだけ、死に場所だって自分で選びたい』
――それは……難しい……私には皆を守る義務がある……
誰かは、やや黄色がかったシーツに視線を落とした。口を開こうとして、何度も失敗する。後ずさろうとして、すぐに気づいて元の位置に戻る。袋小路のような状態で、ただ相手の言葉を待っていた。
もう顔は見えない。ただ怒気混じりの声だけが聞こえてきた。
『傲慢なの、悪い癖だよ。人の生死なんて、あんたには支配できないんだ』
強く目を瞑って、ただ闇だけを前にして、呟くように言った。
――アイシア……ごめんなさい……
不満を体現したような舌打ちだけが返事だった。
しばらく身体を休めていたベンバドルは、目を覚ますとすぐさま物置を飛び出しミラの部屋へと向かった。
案の定鍵がかかっていて、殴りつけたくなる気持ちを抑えてノックをした。三回ほど繰り返したところで、軽く扉が開いた。ミラは目だけを覗かせて、他に誰もいないことを確かめると、ようやくベンバドルを部屋へと招き入れた。
「ナタリーにヨシヨシしてやったか? あいつ、ママに甘えたがってたんだ」
「あなたには関係ない」
「おいおいなんだよ、まさか壁をよじ登って二階から入ったから顔すら見せてねえってか? こそ泥みたいに。ビクビクしてるのも納得だぜ」
戻ってきて早々に、ベンバドルはミラの様子など確かめずに物置に入って寝た。そうすることが必要なのだと思えた。なので、どうやって戻ってきたかは知らない。
なのにミラときたら、目を見張ったかと思うと、今度は忌々しげに歪めて、それから一切こちらに視線を合わせようとせずに背を向けた。それから壁側の棚まで歩み寄って、両手をついて軽く息を吐いて、動揺などないかのように装って、言った。
「何度も言わせないで、あなたには、関係のないことよ。それよりも今後の話をしましょう」
「もちろん、そのために来た。だが一つだけ確認しなくちゃなんねえ。――ナタリーは死ぬのか」
「おかしなことを言わないで。誰も死なせないわ、ナタリーもイーディスも、あなたでさえも」
視線が重なって、見つめ合うようになった。強気に見える女は、気を抜けば噛みついてきそうだった。
ベンバドルは肩をすくめた。
「お前もな」
ミラから返事はなかった。
「方針を確かめたらもう一つ質問だ。あのクソ野郎の話は本当か?」
目を閉じて、ミラは頷いた。
「ええ。私は、伝説上の怪物を人為的に誕生させようと……そのような研究をしていた。もう十年近く前の話だけれど。あなたも知っての通り、悪夢などとても制御できる存在ではない。だから、その理論は、封印したはずだった。そう、あの悪夢が言っていたことは真実よ、ずさんな管理も含めてね」
「誰かがお前の研究とやらを盗んで、この街で実験していた。そんなことを言っていたな。まさか」
名前を出す前に、ミラは首を横に振った。
「イーディスではないわ。あの子は、三年前のあの時まで、ずっと私の側にいた。こればかりは断言してもいい。疑うべくは、あなたの知らない、別の誰かよ」
「そうか、ならその言葉を信じるぜ。お前が無関係だってんなら、それでいい」
「いいえ、全ての責はこの身にある。罰せられるべきは、この私なのよ」
「なにも知らなかったのにか」
ミラは拳を胸に抱いて、やや目を伏せた。
「それが責任というものよ」
その言葉はあまり好きじゃない。けど、ミラがそれを捨てちまわねえってんなら、尊重するのもやぶさかではない。
「お気楽には生きられねえ、か」
ベンバドルが笑みをこぼすと、ミラは顔を背けた。
「すまねえ、余計な時間取っちまって、今は生き残ることを考えなくちゃならねえってのによ」
「いえ……悪夢の出自は、あなたにも無関係ではないのだから、知る権利があるわ」
つくづく律儀なやつだ、この女は。
「さて、これからどうする。ってもだ、やることは変わらねえか。あいつを探してぶっ殺す。また、探せるんだろ」
ミラはなにか含みのあるような言い方をした。
「……それは、そうよ、居場所を特定することは容易い」
「続きがありそうだな」
「いくらか説明が必要になる。傾聴しなさい」
ミラは屈んで、棚の下から身体の幅と同じ程度の大きさの黒板を取り出した。
右手にペンを、左手に黒板を持ち、「じゃじゃん」と抑揚のない声で言った。
ふざけてるのか、と思う。けれども、ミラは大真面目で真顔のままだ。
「お待ちかね、そこが知りたいアルケミアの時間よ」
「そこが知り……お前、ずいぶん余裕じゃねえか。こんなときによ」
ベンバドルを無視して、ミラは黒板に書き込んでいく。




