第24話 悪夢の真実
偽物は頭上を見た。既に月は消え、朝の日差しがおぼろげに空を照らし始めていた。
「イーディスにも降りるなって、そう言ってるつもりなの」
「降りたいなら勝手に降りたらいいわ。偽物なんかが野垂れ死んでも、誰も気にしないでしょうし。とりあえず消えてくれないかしら、そこにいられるとうっかり殺しちゃいそう」
「……そう、これには死の文字だけが刻まれてるんだ」
「そ、いくら離れても平気。そのほうが闇討ちもしやすいでしょ。ほら、とっとと行って、コピーと話してるほど無駄な時間もないわ」
イーディスは「ごめんね」一度だけ振り返って、よたよたとホールの外へと歩いていった。
偽物は首を元の位置に乗せた。接点がぐにゃりと溶け、そして、次の瞬間には傷跡すらも残さずに繋がっていた。
しゃがみこんで、偽物はニコニコしながら頭を揺らす。
「気分はどう? 辱めを受けて、興奮しちゃった?」
口元にまとわりついていた触手が解けると、ミラは腹の底に溜まっていたような低い声を出した。
「お前は、何者だ……」
偽物は首を振って、大げさに嘆息した。
「顔を見ればわかるでしょう? それともあまりにも醜いから直視したくない? だったら、見せてあげる」
触手が伸び、首を釣り上げるようにして無理矢理ミラの顔を持ち上げた。
「私は『私』、他の誰でもない、わ・た・し。私はミラ。私は、ミラクリス・ディアナ・フラメリア。亡国グリムの負の象徴」
「その名を騙るな……!」
「私の目的は『私』の目的、私である『私』がそれを知らないなんて嘘。いつだって心の奥底から目を逸してまともな自分であろうとしている。ねえ、素直になりましょうよ、本当はねえ……あはははは、まだ教えてあげない、ちゃんと自分で認めてもらわないとね」
「お前などが……お前などが私であるものか……」
「下品な言葉遣い、いつもの余裕はどうしたのかしら。そうやって否定していても、本当はもうわかっているのでしょう? この顔、この姿、これは誰かを模倣したものじゃない――」
「黙れ……!!」
「こ・れ・は」
偽物はミラの頭を鷲掴みにし、鼻が触れる距離まで顔を近づけた。
それから、囁いた。
「――『私』の、真実の姿なんだから」
顔を離して立ち上がり、偽物は続けた。
「なにを言っても信じるか、という顔ね。いいわ、それじゃあ証拠を見せましょう」
偽物が指を弾くと、金属音がして、円環状の物体がミラの目の前に落ちた。
それは、銅色の指輪だった。
「ウロボロスの指輪。七つあるうちの、これは六番目。アイシアと一緒に埋葬したはずの、あの子の形見」
ミラの視線は指輪に釘付けで、その顔はひどく青ざめている。他のどの指輪を目にしたときとも異なる反応だった。
「どうして、こんなところに」
偽物は指輪を拾った。それを軽く握ると、手のひらと同化するように沈んでいった。
「どうして! こんなところに! 墓荒らしはお前だったのか! 答えは簡単。指輪は継承者に貸し与えられているだけ、正式な所有者はアルケミストの長である『私』、そして私は、『私』の切実なる思いに答えて生まれた救世主。悪夢だなんて人は呼ぶけれども、ね。わかる? 悪夢は遺物から生まれるのよ、時には本人の姿をしてねぇ!」
「違う……私が……そんなはず……私に狂った情念など……」
「そんなはずあるの。疑うなら舌でも噛み切ったら? 死んじゃえばいいよ、死んじゃえば、消えてなくなるから、私も『私』も。贖いきれない罪と一緒に」
何度も何度も、そんなはずないそんなわけがないありえない、とミラは繰り返した。悪夢はそんな姿を愉悦の表情で見下ろし、吐き捨てる。
「嬉しいねえ『私』。地面に這いつくばって、床を舐めて、ひたすらに罪を数え続ける。そんな惨めでみっともない姿を、望んでた。そうでしょ? そうに決まってるよね、嘘なんてつけるはずもない、だって私はミラ、『私』なんですもの」
「違う……お前は私じゃない……お前は名を騙るただの化け物だ……」
左腕部の拘束が、砕け散った。銀色の光を放つ鋭利な刃が、悪夢の喉元へと迫った。
「自分で生み出しておいて、無責任なものね」
だが、届かなかった。悪夢はたったの二本の指で、その一撃をいとも簡単に受け止めていた。はたき落とし、銀色の左腕を踏みにじる。ミラは抵抗するが、押そうとも引こうとも、びくともしなかった。
「強情な『私』には、愉快なお話を聞かせてあげる」
悪夢はミラから目を切って、読み聞かせるような口調で、ゆっくりと語り始めた。
「――むかーしむかし、あるところに若くて優秀な、とっても優秀なアルケミストの女の子がいました。女の子は日々努力します。我々の理想を叶えるため、アルケミアをさらに価値あるものにするため、日夜研究を続けます。そんなあるとき、彼女は革新的なゴーレムについての理論を思いつきました。人のように考え、獣のように頑丈で、長期間自律行動が出来る人形。それは理想的で、とても素晴らしいものでした」
誰の反応も待たずに、悪夢は続けた。
「空間に残留する第一質料は記憶を保持している。ある特殊な元素、第五元素とも言えるそれと結びつくことで、ときに記憶は形となって具現化することがある」
いつの間にか、ミラは抵抗をやめ、まるで歯車が外れたように動きを止めていた。なにか驚きとも困惑とも取れないような表情で、偽物の一挙一投足に注目していた。
「クロムウェルという土地には、特有の、黒霧、そして、悪夢、という現象が発生するらしい。そうか、ようやくわかったぞ、黒霧は自然発生した第五元素なのだ。クロムウェルの悪夢とは、記憶が黒霧という特殊条件下で具現化したものだったのだ」
悪夢は足を離した。ミラの身体から拘束が解けていく。しかしミラは憔悴したような表情で地面を見つめるだけで動こうともしなかった。
「もしこれが実現すれば世界は大きく変わる。アルケミストは無尽蔵の力を手に、グリムは覇権を握り、世界を牛耳ることになるだろう」
「違うっ、そんなことは考えていない、考えていなかった」
息を切らして、ミラは叫んだ。
「私は、私は確かにその研究を進めていた……けれど、途中で放棄することに決めた。あまりにも危険すぎると、抹消されるべきだと、そう指示を出したのよっ」
「そうね、あなたはそうやって指示を出した。だけどその結果まではちゃんと確認しなかった。クロムウェルで実験を繰り返し環境そのものを変えてしまったアルケミストがいたことも、研究を無断で引き継いで完成した理論を売り渡そうとしたアルケミストがいたことも、その結果グリムという国自体が足切りされたことも、全部全部、『私』は知らなかった」
なにを言っているんだ、とベンバドルは思った。
一体誰が悪夢を生み出したって? 誰が、悪夢が蔓延する原因になったって?
誰だ、こいつ、ミラが? そんな荒唐無稽な話があるものかよ。
「本当はとっくに気がついていたのでしょう? 悪夢討伐は、錬成素材になる第一質料を集めるためだなんて自分を偽って、蒔いた種を刈り取ろうとしていた」




