第22話 もう一度、みんなと
イーディスは目を見開いたかと思うと、なにか堪えるように天井を仰ぎ見た。
差し込む月光が二人を包みこんでいる。それはまるで神聖な場所を守る結界のようだ。誰も手出しできない。ベンバドルも、目の前の銀色でさえも。
「姉さまのこと……許せないよ……こんなことされたって……イーディスは……イーディスは……」
イーディスは、拳を握りしめた。
「許してほしいわけじゃない。ただ、私のほうがあなたに謝りたかったの。苦しい思いをさせてしまって、ほんとうにごめんなさい」
「謝罪なんて求めないって……言ったでしょ……」
ミラはさらに強くイーディスを抱き寄せた。その拍子に腕は落ちて、指先が背中に触れた。
「全部自己満足よ。謝罪も、こうして抱き寄せるのも、そうしなければならないと思っただけ」
「馬鹿みたい……」
抱擁を解いたミラは、少しだけ下がったところから、揺れる瞳をじっと見つめていた。
イーディスの目に光るものが見える。鼻をすすって、きつく瞬きをした。
「優しくされても、昔みたいには戻れないよ。三年もの間、ずっと姉さまを殺すことだけを目的にしてきたんだもん。今更、変えられない」
ミラはイーディスの左手を取って、自らの胸に触れさせた。
「好きにしていいのよ。その代わり約束して、みんなのところに帰るって」
イーディスは俯いて、嗚咽するような声を漏らした。
「そんな約束できるわけない……」
手から力が抜けて、イーディスはミラに支えられていた。攻撃の意思はもう感じられなかった。
「ご主人様は話がわかりそうだぜ。そろそろそいつを下ろしたらどうだ。窮屈でかなわん」
言うと、銀色に反応があった、気がした。微かに首を動かしたように見えたが、気のせいだろうか。なにかを感じたのはその一瞬で、変わらず沈黙を保ち続けていた。
ミラはイーディスの頬に触れた。
「そんな顔をしないで。あなたには、笑顔がよく似合うのだから」
「忘れちゃったよ笑顔なんて……」
ミラは腰のポーチから銀色の髪飾りを取り出した。紅い宝石のあしらわれたそれを、繊細な手つきでイーディスの髪に留めた。触れられた瞬間こそびくっと反応したイーディスは、しかし抵抗することもなく、大人しくその手を受け入れていた。
そのままミラは、一度だけ、頭を撫でた。
「もう、無くしてはだめよ」
灰の髪に、銀が煌めいた。
返事はない、頷きもしない、俯いたままだ。だが、承諾した。そういうことなのだろう。
眼前の刃がゆっくりと降りていった。銀色の悪夢はくるりと回って、おそらくは顔である方を二人へと向けた。
「イーディスは、もういちど……もういちど姉さまと……みんなと……」
その先がなかなか出てこなかったが、ミラは無言で続きを待っていた。
そんなときに、ちょっとした異変があった。二人は気づきもしないが、ベンバドルの目は確かにそれを見ていた。銀色がひとりでに歩き始めたのだ。
ゆったりとした足取りで、高い足音を響かせながら進んでいる。身体の表面が、どくどくと波打っていた。鏡面状だった銀色は白くにごり、節々が溶け出している。悪いことにこの光景には見覚えがあった。あの時、業火の悪夢から今の姿へと変わったときと逆の動きをしている。
銀色は一瞬のうちに姿を変えた。
それは人の姿をしていた。人型ではない人間そのもの。後ろ姿には既視感があった。左腕の裾のない特徴的な服と、翻る小ぶりの外套。長い灰髪が腰まで垂れている。優雅な足取りは品を感じさせる。
銀色だったものは声を発した。低く落ち着いた、よく知る少女の声と瓜二つだった。
「ごきげんよう『私』、それと贋作ちゃん。感動的な見世物をありがとう」
それは、振り返って驚きに目を見張る少女と同じ姿を――ミラと同じ姿をしていた。
「最初から殺す気なんてなかったくせに『姉さまとぉ』『みんなとぅ』なんて、白々しい」
いつのまにか、足元に黒い霧が満ちていた。銀色だったもの、ミラの偽物はくすくすと笑い始めた。イーディスの顔に焦りが浮かんだ。体の前で大きく手を振って、酷く取り乱した様子で叫んだ。
「止まって! 口を利けなんて命令してない。なんで、その姿なんかに」
ミラも目を見開いて、自分と同じ姿をした相手を見つめている。攻撃をしようだとか、逃げ出そうだとか、話をしようだとか、そういった行動に移る様子はなかった。
ベンバドルも同様だった。あいつを攻撃していいのか、どう対処するべきなのか、そいつがちっとも思い浮かばない。放置していて好転する気もしないが、下手に手を出して無事でいられるとも思えない。
「イーディスの言うことが聞けないの!? 止まって、止まりなさい、それ以上近づいたらダメ。命令を聞いて!」
偽物はケラケラと人を小馬鹿にしたように笑い続けている。
「残念。元御主人さまの命令はもう聞けないの。だってほら、私は『私』、ワガママで身勝手な、悪辣なアルケミスト『ミラ』だから。この姿に戻った時に首輪は壊れちゃった」
偽物はこれみよがしに自分の首元をさすり、指揮者のように両手を広げた。
「できそこないはもう必要ない。ちゃーんと、処分、しないとね」
偽物の左腕が、一瞬にして銀色の剣へと変形した。




