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水銀の錬金術師と、姉を殺しにきた妹  作者: 光
第二章 水銀の悪意

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第19話 人ではないのよ

 森を全力疾走するミラを追いかけて、開けた場所に出た。背丈を超える鋼鉄製の門と、ちょっとした公園ほどもある荒れた庭、煉瓦造りのツタの絡まる建物。正面から見えるいくつかの窓は、ところどころ割れていて、木の板で封じられている箇所もある。明かりはなく真っ暗で、敷地内は静まり返っていた。


「ここが根城か。ガキ一人にゃ贅沢すぎるぜ」


 開け放たれた門を通って庭へ入った。枯れ果てた花壇に植え込み、ひび割れた石畳。建物の入口に近づくと鴉のような鳴き声をした鳥が、どこかに飛び立っていった。


 ミラが足を止めたのと同時に、陶器が割れるような高音が響いた。どこからか、空間に反響するようにイーディスの声が聞こえてきた。


『こんばんは姉さま、それとお兄さん。招待に応じてくれて嬉しいな。迎えに来てくれる人がいるなんてあの子は幸せだね。イーディスと違って愛されてるんだ』


 ミラの肩が、わずかに揺れた。


『みんな姉さまには期待してたのに、今度は使命まで投げ出そうとしているなんて、報われないよ』


「要求の通り白い石はここにある。ナタリーを解放してくれるのならば、これをあなたに渡してもいい」


 ミラは腰のポーチから白い石を取り出して、救貧院に向かって掲げた。


「けれどその前に、話がしたい。録音ではなく本当の声を聞きたいの」


『哀れな姉さま、骨抜きになってしまった姉さま。白い石を差し出そうとするなんて、たかが子ども一人のために、我々の叡智の結晶を捨てようとするなんて、酷いよ、信じられない』


 イーディスの声に雑音が混じり始め、段々と声量が小さくなっていった。ぷつぷつと鳴り、音は間延びし、今にでも途絶えてしまいそうだった。


『でも……約束は、約束、だから……おもてなし……しましょ……中で待ってる……』


 ふっと声は消え、場に静寂が戻った。


 救貧院の入り口付近に、砕け散った石の破片が散乱していた。


「この黒い石に声を吹き込んでいたのよ。これはあの呪いにも近いケブラの一種。イーディスは、昔からそれを得意にしていた」


「あいつは才能がないんじゃなかったのか」


「いいえ……そうね、一般的なのよ、あの子のアルケミアは。この左腕のような才能を必要としない、学問としてのアルケミアを極めようとしていた。特別ではないからこそ誰よりも努力する、イーディスは、人々の規範となるような人間だった」


 ミラは誇らしいような、悲しんでいるような、複雑な表情をしていた。こちらに気づいて、咄嗟に無表情を作った。話しすぎたとでも思ったのか、そっぽを向いて先に行ってしまった。


 玄関に近づくと、重厚な木製扉はひとりでに開き始めた。エントランスホールの中央にシャンデリアが落ちていて、あたり一面に破片が散っていた。


 中に入ると、また甲高い音が響き渡った。


『イーディスはね、実験動物として捕らえられたの。愚かな侵略者はアルケミアの秘密を探りたがっていた。でも、求めていたものと違うとわかって処分されそうになった。けどね、イーディス頑張ったよ、姉さまのもとに帰ろうって、皆のところに戻ろうって、必死に逃げ出したんだ。だけど、努力は無駄だった』


 ホール内の扉のひとつに、あのウロボロスの指輪がくくりつけられていた。扉を開くと地下へと繋がる階段があった。誘われるままにそこを降りていった。


『グリムの都にはなにも残ってなかった。宮殿もフラメリアのお屋敷も、全部全部灰になってた。あいつらね、お姉さま方の指輪を集めてた。許せなくて、取り戻そうとして、その時に知ったの、ミラ姉さまは逃げ出したんだって』


 冷気の漂う石の地下道。右手に拳銃を、左手にランタンを構えて慎重に進む。


 背後からうめき声が聞こえた。振り返ると床を人間が這いずっていた。一人、二人、三人……どんどん増えていく。顔は焼け爛れ、下半身はなく、腕だけで前に進もうとしている。


 たすけて……たすけて……と声を漏らしながらにじり寄ってくる。男もいれば女もいる、中には年端もいかない子供も混ざっている。


「な、なんだってんだ、てめえらは」


 人形、違う、リアルすぎる。こいつは人間、人の死体か。あいつは亡骸を操れるのか。


 狙いをつけようとするが、手が震えて定まらない。人の形をしたものを撃つのは、苦手だ。


 長い髪をした少女の腕が、ベンバドルの足首へと伸びる。


「やめっ……」


 その瞬間、死体は動力を失ったように崩れ落ちる。見ればミラが左腕を振るい、ベンバドルを救ったようだった。亡骸はただの土塊へと変わり、親指大の黒い石が転がり落ちてきた。


「こいつらは人じゃない。イーディスの作った泥人形(ゴーレム)よ」


「ゴーレム!? わかんねえよそれじゃ!」


「人ではないのよ、人では。ただの、模造品、命を持たない、道具よ」


 ミラは忌々しそうに土塊を眺めて、絞り出すようにそう言った。


「人では……ないのよ」


 地下道は一本道だった。たびたびゴーレムは行く手を遮るように、あるいは追いすがるようにして姿を見せたが、ミラはことごとく斬り伏せた。


 ゴーレムの頭に刃を突き立てると、体液のようなものが飛んでミラの頬にこびりついた。


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