第13話 敵は、家にいる
朝。今日もまたナタリーと隣り合わせでスープを啜る。そのナタリーは飯もろくに食わず、わいわいがやがやと騒いでいる。やれ一等賞だとか、みんなまだまだね、だとか、席を立ち上がって汚れたヘレンの口を吹いてやったりもしている。面倒見のいいやつ。
頭の中がチカチカしていた。ぼーっとしている感覚に、時折フラッシュバック。暗い部屋と惨劇の光景がこびりついていた。
戻ってきてパンを頬張るナタリーに、聞いた。
「おまえ、いま幸せか?」
ナタリーはぽかんとしてこちらを見上げている。ああ、らしくないこと聞いちまったな。寝ぼけてやがるぜ。まったく。
やがて、ナタリーは胃もたれするほどの笑顔になった。
「あたりまえじゃない! ベンにも分けてあげたいくらいだわ!」
パンをかじる。飲み込んでから、言う。
「そうか、よかったな」
なぜかナタリーの頭に手を乗せていた。撫でる、というやつ。
らしくねえ、やっぱりらしくねえ、と、また思った。
ナタリーが人生相談のようなことを――こっちがされる側――してくるので、適当にあしらっているとミラがやってきた。愛情なんてなさそうなツラ。笑ってみりゃいいのに。
「私はこれから作業に入る。なにをしててもいいけど、離れすぎないように、それと、子供たちに手出しをしようものなら――」
「わーってるよ。ったく、信用がねえ。そっちこそ、引きこもったまま時間切れなんてゴメンだぜ」
テーブルに肘をついて、スープを飲み干した。
「あ、そうだ、おい、後で俺の野暮用に付き合えよ。ドンパチはそれからだ」
「意味があるとは思えないけれど、まあいいわ、僅かな時間なら提供してあげる」
ミラは振り返りもせずに、階段に向かっていった。
日常を子供たちと過ごして、夕方になってからベンバドルの自宅に向かった。
一ポンド粉砕法。ベンバドルが武器庫から、展開して背丈ほどにもなるその巨大な銃を持ち出すと、ミラは眉間にシワを寄せた。
「その鉄塊でヤツを殴打するつもりなの?」
「おう、こいつは知り合いのガンスミスに作らせた特注品でな、腹筋だろうが城壁だろうがなんだろうがゲンコツ食らわせてやれるぜ」
本来なら車輪付きの野戦砲に用いられる一ポンド弾を、無理やり携帯火器にねじ込んだスペシャル。重い、長い、取り回ししにくい、装弾数は一発限り、銃そのものが使い捨てだ。こんな冗談みたいな武器を、本当に使う日が来るとは。
「そう。無駄にお金がかかっていそうね」
「ん、まあなぁ、安くはなかったが、こういうときのための保険だよ」
「どのくらい?」と聞いてくるので「このくらい」と手を広げ、この前の報酬五回分くらいだということを教えてやった。
ほんの一瞬だけ目を見開いたかと思うと、ミラはそっぽを向いて踵を返した。
「独り身の金銭感覚というものは理解できないわね」
振り返ることもせず、ミラは部屋を出ていった。その背中を見送り、ベンバドルはつぶやく。
「……なんだあいつ」
思わず、苦笑していた。
マグニカ地区を望む大鐘楼。地上一二二メートルに及ぶこの街のシンボルに並び立つものはなく、最上階にはその名に恥じない大鐘を備えている。ミラはこの街で一番高い場所を求めた。敵を見つけるためにはそこにいかなくてはならないと。
完全に日は落ちて明かりは一切存在しない。足を踏み外せば奈落へと真っ逆さまだ。
ミラは、なびく風に髪を揺らしながら、足を半分突き出して塔の縁に立っている。右手にはいつか見た例の小瓶を手にしていた。中にはサラサラとした、砂のようななにかが入っていた。
「地図を」
ベンバドルは、事前に預けられていた古びた地図を取り出した。
ミラは小瓶の中身で自分の左手の甲に山を作り、そこに針を突き立てた。細く折れそうな銀色に輝く針。垂直に立ったそれを引き抜くと、ぶわっと弾け飛んだ。粒子が舞い散り、ちかちかと空中で明滅。
鐘楼室がぼんやりとした光に包まれた。
「地図を見ろと命じたはずなのだけれど、なぜこっちを見ているの?」
「あ、ああ、すまん。ええと、ん」
手元に視線を落とすと、地図に光の点が浮かんでいた。そこが貧民窟であるとすぐに気がついた。
「なあ、こいつはお前んちの辺りじゃ――」
ミラは大きく目を見開き、半歩後ずさった。「なぜ」とつぶやいて、ベンバドルから地図を奪い去った。首を振り、東を向いて、ものすごい勢いで飛び出した。
「お、おいっ、待てよ、急にどうしたんだ」
「黙って付いてきなさい!」
ミラは真っ直ぐに空を目指した。そして、縁に足をかけて、躊躇せずに、跳んだ。
「まじかよっ!」
どうする。いや、どうするもこうするもない。塔の高さ的に、ミラが落下を続ければ呪いが発動してしまう。そうなれば共倒れだ。けど、跳べ、と? ここから飛び降りろと要求するのか。無茶言うな、こっちは普通の人間だ、そんなマネができるか。迷っている暇なんてない、地面まで何秒だ。
「ちくしょうっ、ふざけんなぁっ――」
覚悟を決めた、その瞬間に強烈な力に引っ張られた。銀の糸が手首に絡みついていた。おそらくはミラがいつの間にか仕込んでいた手綱。なんて女だちくしょう。
「勝手に行くんじゃねえええ」
勢い任せで床を蹴った。張力よりも速く走って、大空へと身を投げだした。
一瞬の浮遊感。すぐに反転。重力に引っ張られる。血液も、内臓も、筋肉も、逆流するような感覚。意識よりも速く、身体は落ちていく。
死んだか。
死んだ。
思う。
ごめんなバカ親父。母さんも、ごめん。今そっちに行くから、昔よりは優しく――。
ぽーんっと、身体が跳ねた。地面と一メートルほどの地点で、不可視のネットのようなものに受け止められた。近くにいたミラは、こちらを一瞥してすぐに駆け出した。
唐突にネットが消える。ベンバドルは体勢を崩しながらも、なんとか着地に成功した。
「ってぇ……おいこらてめえ」
「こっちよ、付いてきなさい!」
「ああん――なっ」
東の空が明るくなっていた。貧民窟の方角から煙が上がっている。
「まさか、あの野郎……くそっ、そいつはご法度なんだよ」
ミラの反応に行動、おまけにあの焦り方。赤い空と煙、浮かんでくる答えは一つ。
ミラの術は確かに敵の居場所を割り出した。
ただその居場所は、考えうる最悪の場所だった。
ガキどもが、危ない。




