第12話 ひとりぼっちにさせない
実感が湧かねえな、とベンバドルは思った。あと七日で死ぬというのに、のんびりしすぎていて現実味がない。ミラときたら昼の間は部屋に籠もりっきりで、その間ベンバドルはずっと子供の相手をさせられていた。
行動を始めたのは夜になってからのことだった。
ベンバドルとミラはマグニカ橋を訪れていた。ぼんやりとした灯りに照らされた橋上に、まばらに人々が行き交っている。排気ガスで空気は濁っている。しかし、黒霧の出現はなく、悪夢の兆候は見られない。戦闘の痕跡もすでに消え去っていた。奴らの“性質”によって。
ミラはなにかの作業中だった。親指大の小瓶を手にして、あっちにいったり、こっちに来たり、と橋を何往復もしている。もう三十分以上にもなるだろうか。ミラはそれを「必要な作業よ」と言っていたが、ベンバドルにはさっぱりだった。
作業を終えて戻ったミラは、コルク栓の嵌った小瓶を腰のポーチに収納した。ひとつ、ふたつ、みっつ……小瓶はいくつも並んでいた。無色透明で内容物も確認できない。空気を集めていたとしか思えない。
「ご苦労さん。首尾は上々か?」
「ええ。採取した残留物を分析すれば、奴の居場所が割り出せるはずよ」
「はぁ、アルケミアってのは大したもんだな。宝探しも得意なんてよ」
聞いてもいないのに、ミラは自分から説明を始めた。どことなく得意げで、若干すまし顔で、気持ち早口だった。
「わかりやすく言うと、つまり、アルケミアでは物質と精神は不可分の関係にあるとされているの。物質には固有の波長があって、精神であり、人でいえば自我になる。離散してしまった第一質料……あらゆる物質の基本単位である粒子は――」
「待て。わかりやすく言ってくれよ」
ミラは睨むようにベンバドルを見て、はぁ、と溜息を吐いたかと思えば、ポーチから白い粉のついた石の棒を取り出した。しゃがんだので、合わせてしゃがむ。そして「ベンバドルくんにもわかりやすくせつめいするわね」と子供をあやすような口調になった。
その石のペンで地面に図を書き込んでいく。『だいいちしつりょう』と書かれた丸『にんげんまたはあくむ』と書かれた人型。丸から人型へと、相互に矢印が描かれている。
「こっちのまるいのは記憶なの。ベンバドルくんにもあるわね?」
「……あるね、記憶」
「わたしたちはそれが頭の中だけにあると思っているんだけど、実はそうじゃないの――まあ、記憶そのものではないけど、そう思いなさい。どうせ理解できない――それでね、遠くはなれていても、こっちとこっち」二つの図形をトントンと叩く「は繋がっていて、この丸いのを集めて調べれば、こっちの人間さんに辿り着けるの。わかったかしら?」
「……なんとなく。お前、意外と似合ってんな、先生役」
ミラは図形を完全に塗りつぶしてから立ち上がった。
「あの子達に勉強を教えるのも、私の義務よ」
ほんの少しだけ緩んでいた顔が引き締まって、いつもの仏頂面に戻る。なんという切り替えの早さ。
「さあ、帰るわよ。記憶の分析には時間がかかる」
「へいへい。お勉強してたら、眠くなっちまった。俺も記憶の分析だぁ、夢んなかでよ」
「言っておくけれど、夢を見てなにかを知った気になどならないことね」
「はーい先生。つんけんもよくお似合いだこと」
大きなあくびをして、ベンバドルはミラに続いた。
暗い、暗いだけの部屋。床に真っ黒の血がこびり付いている。黒い霧が満ちている。人だったものがみっつ転がっている。これは俺の記憶? 違う、これは……。
震える少女がいる。人形を抱えて腰が抜けたように座り込んでいる。視線の先に別の少女がいる。泣いているのか笑っているのか、見分けのつかない灰色の髪の少女。あれは、ミラだ。
「あなた、名前は」
怯える少女は口をパクパクさせて、過呼吸になりながら命乞いするように答えた。
ナタリー、と。
「そう……素敵な名前ね。……大丈夫、あなたを怖がらせる化け物は、もうどこにもいない」
ミラはしゃがみこんで、少女を抱き寄せた。
「大丈夫よ……大丈夫だから、これからは私があなたを守るから……」
どうして、なんで、ママは、パパは、お兄ちゃんは、と聞こえた。
「……私があなたを寂しくないようにする……ずっと側にいてあげる……」
同じことを何度も繰り返す少女を、ミラは強く抱きしめる。
「二度とあなたをひとりぼっちになんてさせない……私が……私を、あなたの家族にさせて……」
少女はいつまでも家族の名を呼び続けていた。
ミラはいつまでも少女を抱きしめていた。
いつまでも。




