第38章 少しずつ
火曜日の朝も、穏やかに始まった。
目覚ましの音で目を覚まし、いつものように身支度を整える。
鏡の前でネクタイを結びながら、自分の顔を見つめた。
以前は拒絶していたこの顔も、今では少しだけ「自分のもの」に感じられるようになってきた。
キッチンで簡単な朝食を済ませ、コーヒーを飲みながらスマホを確認する。
美咲から、短いメッセージが届いていた。
【美咲】
おはようございます。
今日も一日、頑張りましょう。
シンプルな文章なのに、なぜか胸が温かくなる。
私は「ああ、おはよう」と返信してから、家を出た。
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会社では、いつも通りの一日が流れていった。
午前中は会議が続き、午後は資料作成。
美咲とは適度な距離を保ちながらも、視線が合うたびに彼女の頰が少し赤くなるのがわかった。
そのたびに、自分の胸も小さくざわつく。
終業間際、彼女がデスクに近づいてきた。
「山田さん、今日も駅まで一緒に帰りますか?」
「ああ、行こう」
夜のオフィス街を並んで歩く。
前回より、少しだけ会話が自然になっていた。
「最近、仕事どう?」
「はい。新しい案件も少しずつ形になってきてます。
山田さんのおかげです」
「俺一人の力じゃないよ。美咲が支えてくれてるから」
彼女は俯きながら、小さく笑った。
「……嬉しいです」
駅の改札前で別れるとき、美咲が少しだけ躊躇するように立ち止まった。
「あの……もしよかったら、今度の休みに、少しだけ時間いただけませんか?
ご飯とか……」
私は少し考えてから、頷いた。
「いいよ。どこか希望あるか?」
「じゃあ……私が探してみますね」
「ああ。楽しみにしてる」
美咲は嬉しそうに何度も頷いてから、改札を通っていった。
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家に帰ると、いつもの静かな部屋が待っていた。
コートを脱ぎ、ソファに座り、ビールを一本開ける。
テレビをつけたが、画面はあまり見ていなかった。
頭の中では、美咲とのこれからがぼんやりと浮かんでいる。
デート。
二人きりでの時間。
手をつなぐこと。
もっと近い距離。
男の体で、女の子と付き合うということ。
17歳の女子高生だった頃には想像もしていなかった感覚が、今は現実になっている。
ふと、遥香のことが頭をよぎった。
彼女からは、その後も連絡は来なかった。
SNSを覗いても、特に変わった様子はない。
それがかえって、彼女の強さと潔さを感じさせた。
「……ごめん」
小さく呟くと、自分の低い声が部屋に響いた。
テーブルの上のノートを開き、今日の日付を書いてから、短く記した。
『美咲と、少しずつ距離が縮まっている。
嬉しい。
でも、遥香のことはまだ完全に整理できていない。
それでも、前に進むしかない。』
ペンを置き、天井を見上げる。
この体で生きるということ。
誰かを好きになるということ。
失ったものと、得たもの。
全部を抱えながら、私は少しずつ前に進んでいる。
「この体、男子ですけど何か?
今日は、美咲との関係が、少しだけ自然になってきました……」
ビールを飲み干し、静かに目を閉じた。
この新しい日常を、大切に育てていこう。
そう思えた夜だった。




