第2章 初出勤
山田悠真のマンションから最寄り駅までは徒歩8分。
通勤ラッシュの電車に揺られながら、私は(いや、もう「俺」と呼んだ方がいいのかもしれない)必死に平静を装っていた。
周りの人たちの視線が違う。
女子高生だった頃は「可愛いね」と言われることはあっても、こんな風に「カッコいい」「イケメンだな」と無言で評価されることはなかった。隣に立っているサラリーマンがチラチラとこちらを見てくる。視線に敵意はない。むしろ好意的というか、羨ましそうな感じだ。
(……なんか落ち着かない)
吊革につかまる腕の力強さに、まだ慣れない。腕時計(悠真のもの)はシンプルで高級そうなデザイン。スーツの生地も、愛子が着ていた制服とは比べ物にならないくらい良い。
会社に着いたのは9時前。
「星野アドバタイズ」本社の27階でエレベーターを降りると、すでにオフィスは活気に満ちていた。
「おはようございます、山田さん!」
「山田さん、おはようございます。体、大丈夫でしたか?」
次々と声をかけられる。みんなが当然のように「山田さん」と呼ぶ。悠真の記憶がスラスラと反応して、自動的に笑顔を作り、名前を返していく。
「みんな心配かけてごめん。もう大丈夫だよ」
自分の口から出る低い声と自然な笑顔に、自分で驚く。
デスクに着くと、すぐ隣の席から20代後半の男性が声をかけてきた。悠真の同期で、名前は佐々木。
「悠真、ほんとに大丈夫か? 事故のニュース見たときはビビったぞ。頭打ったって聞いたから、記憶とか飛んでない?」
「ちょっと混乱してるけど、大丈夫。ありがとう」
佐々木は安心したように頷きながらも、どこか探るような目でこちらを見ている。悠真は優秀で、ちょっと完璧主義なところがあったらしい。同期としてはライバルでもあり、友人でもある関係だ。
そこへ、若い女性が資料を抱えて近づいてきた。
「山田さん、おはようございます! こちら、先週のA社との打ち合わせ資料のまとめです。10時からの会議に使います」
清楚な白いブラウスにタイトスカート、黒髪のセミロング。名前は高橋美咲、23歳。悠真の直属の部下で、入社2年目。
(……かわいい)
愛子としての感覚が、つい出てしまう。女子高生の頃なら「先輩、可愛いな~」と思ったタイプだ。でも今は、自分より背が高く、肩幅もある男の体で彼女を見下ろしている。
「ありがとう、高橋くん。助かるよ」
「はい! 山田さんが戻ってきてくれて本当に良かったです……」
美咲は少し頰を赤らめながら微笑んだ。悠真は部下思いで、面倒見が良い上司として慕われていたらしい。その記憶が、妙な居心地の悪さを生む。
会議室に入ると、10人ほどのチームメンバーが集まっていた。
私は悠真の記憶を頼りに進行を始めた。クライアントの新キャンペーン提案について。数字の話、競合分析、予算……女子高生だった頃は全く縁のなかった世界だ。
でも、不思議と頭が回る。
「ここはもう少しビジュアルを強調した方が刺さると思います。ターゲットの20代女性は、感情に訴えるクリエイティブを好む傾向が強いので」
口から出る言葉に、自分でも驚いた。悠真の知識と愛子の感性が、意外と良い化学反応を起こしている。
会議が終わった後、佐々木が肩を叩いてきた。
「相変わらず冴えてんな、お前。事故で死にかけたってのに、むしろ鋭くなったんじゃね?」
「そんなことないよ」
笑いながら答えたが、心の中は複雑だった。
午後にはクライアントとのオンライン打ち合わせが二件。
夕方には提案書の修正。残業は22時までかかった。
帰り道、会社の近くのコンビニで弁当を買ってマンションに戻る。
エレベーターの中で、ふと自分の姿が壁に映った。疲れた顔をしたイケメンサラリーマン。
風呂に入りながら、今日一日を振り返る。
(仕事、意外と面白い……)
女子高生の頃は「勉強も部活も面倒くさい」と思っていたのに、今は違う。責任感と達成感が、妙に心地いい。でも、同時に寂しさもあった。
誰も知らない。
この体の中が、実は17歳の女子高生だということを。
ベッドに横になり、天井を見つめる。
「高橋さん……美咲ちゃん、ちょっと可愛かったな」
そう呟いた瞬間、自分の声の低さにハッとした。
「……って、私何言ってるの!?」
男の体で女性にときめく感覚。
まだまだ慣れないことだらけだ。
この体、男子ですけど何か?
今日は特に、いろいろありすぎました。




