第11章 優しさの温度
水曜の夜、時計はすでに21時を回っていた。
A社の案件は依然として難航中だった。
何度修正を重ねてもクライアントの「なんか違う」という一言で振り出しに戻る。チームの疲労もピークに達し始めていた。
「山田さん……今日も遅くなりそうですね」
高橋美咲が私のデスクに温かいコーヒーを置いてくれた。
彼女も相当残業を重ねているはずなのに、表情は明るい。
「悪い。いつも巻き込んで」
「いいえ。私もこの案件、ちゃんと結果を出したいんです」
美咲は隣の椅子を引き、少しだけ距離を縮めて座った。
「山田さん、最近本当に大変そうです。事故の後遺症とか……大丈夫ですか?」
その優しい眼差しに、胸が締め付けられた。
遥香の「やり直したい」という言葉がまだ頭の中に残っている。
でも今、この瞬間に隣にいるのは美咲だ。
「……正直、きついよ。完璧にやらないとって思いすぎてるのかもしれない」
珍しく弱音を吐いた自分に驚いた。
愛子の頃は友達に愚痴を言うのは普通だったけど、この体になってからはなるべく強くあろうとしていた。
美咲は静かに聞いてくれていた。
「山田さんはいつも一人で抱え込みすぎるんです。
もっと頼ってください。私、いますから」
その言葉が、温かかった。
23時を過ぎ、ようやく今日の作業を終えた。
「高橋くん、もうタクシーで帰りなよ。送るよ」
「じゃあ……駅までだけ一緒に歩きましょう」
夜のオフィス街を二人で歩く。
街灯の光が美咲の横顔を柔らかく照らしている。
「山田さん」
「ん?」
「もし……もしよかったら、週末に息抜きしませんか? 無理にとは言わないですけど……」
彼女の声が少し震えていた。
私は足を止めた。
美咲の頰が、街灯の下でほんのり赤い。
(この子……本気で俺のことを)
頭の中で遥香の顔と美咲の顔が交互に浮かぶ。
男の体で、女の子の気持ちに応えることの重さを、今さらのように感じた。
「……ありがとう。考えておくよ」
曖昧な返事しかできなかった。
マンションに帰宅した私は、シャワーを浴びながら深く息を吐いた。
遥香の未練。
美咲の好意。
そして仕事のプレッシャー。
全部が同時に押し寄せてくる。
ベッドに横になりながら、私は小さく呟いた。
「この体、男子ですけど何か?
今日は、優しさに触れて、余計に気持ちが乱れました……」
まだ、私は誰のことも、ちゃんと向き合えていない。




