第2話:3つの身分、1つの部屋
注記: 本作は史実をもとにした歴史フィクションです。
人物の会話、心理描写、一部の出来事の流れには創作を含みます。
史実そのものの解説は、本文最後の「櫻未來の歴史メモ」で補足します。
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1789年5月5日、ヴェルサイユ。
財政危機を受けて、聖職者、貴族、第三身分の代表が集まる三部会が開かれた。
だが会場では、椅子の位置や服装までが身分の差をはっきり示していた。
「この椅子は、もう少し後ろだ」
「後ろ、ですか」
ルネは椅子の脚を持ち上げた。
「第三身分の席だ。前へ出しすぎるな」
「座れば同じ椅子なのに」
「口に出すな」
近くでエティエンヌが紙をそろえていた。
彼は小さく笑った。
「今のは、書かないでおく」
ルネが慌てる。
「聞こえていましたか」
「この部屋では、椅子の音まで身分を持っているらしい」
そこへ、地方貴族アンリが入ってきた。
「書記殿。その冗談は、紙に残さない方がいい」
エティエンヌは頭を下げる。
「冗談で済めばよいのですが」
アンリは椅子の並びを見た。
「済ませるために、我々は来たのだ。国王は財政のために三部会を開いた。秩序を壊すためではない」
「秩序が、すでに壊れかけているとしたら」
「若いな」
「はい。だから、まだ紙が白く見えます」
アンリは返事をしなかった。
ピエールが、聖職者の列からそっと近づく。
「白い紙は怖いですね」
エティエンヌが見る。
「あなたは」
「ピエールです。まだ見習いですが、司祭に付き添って来ました」
「怖いとは?」
「何を書いても、誰かを裏切る気がします」
会場の奥で声が上がった。
「投票は身分ごとでなければならない」
別の声が返す。
「人数で投票すべきだ。我々の方が多い」
「数の多さで国を動かす気か」
「税を払う数の多さは、いつも無視してきたくせに」
ざわめきが広がる。
ルネは椅子を置く手を止めた。
「あの人たちは、何を争っているんですか」
エティエンヌは紙を見た。
「税の話で集まった」
「今は?」
「誰が国を代表するのか、になっている」
アンリが苦い顔をした。
「第三身分の代表は、第三身分を代表すればよい」
エティエンヌは思わず顔を上げる。
「ですが、国を支えている人々の多くは第三身分です」
「だからといって、彼らが国そのものだとは言えない」
ピエールが静かに言う。
「でも、村の人たちはそう感じ始めています。教会に来る人々は、祈りより先にパンの話をします」
アンリは彼を見た。
「教会まで政治を語るのか」
「飢えた人には、パンも祈りも分かれていません」
議場の中で、代表たちの声がさらに強くなる。
「我々は国民の代表だ」
「その言葉は危険だ」
「危険なのは、聞かない耳だ」
エティエンヌはペンを取った。
彼は「第三身分」と書きかける。
手が止まる。
その言葉では足りない気がした。
「国民」
小さく書く。
ルネがのぞき込む。
「それは、身分の名前ですか」
「違う」
「では、何です」
エティエンヌは書いたばかりの文字を見つめた。
自分の手で、火種を書いてしまったような気がした。
「たぶん、これから争う名前だ」
アンリが低く言う。
「書記殿。その火は、部屋を暖めるかもしれない。だが、屋根を焼くこともある」
エティエンヌは紙を閉じなかった。
「それでも、もう書かれました」
櫻未來の歴史メモ
今回の出来事
1789年5月、ヴェルサイユで三部会が開かれました。財政問題を話し合うための会議でしたが、実際には、聖職者、貴族、第三身分がどのように国を代表するのかをめぐる争いになっていきます。
史実と創作
エティエンヌ、アンリ、ピエール、ルネは創作人物です。椅子の配置をめぐる会話も創作ですが、身分ごとの扱いの違いは、当時の政治的な対立を見せる象徴として描いています。
櫻からの問い
「国民」という言葉は、人々をまとめる言葉だったのでしょうか。それとも、それまでの秩序を揺らす言葉だったのでしょうか。
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