第15話:終わらない広場
注記: 本作は史実をもとにした歴史フィクションです。
人物の会話、心理描写、一部の出来事の流れには創作を含みます。
史実そのものの解説は、本文最後の「櫻未來の歴史メモ」で補足します。
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今回の登場人物
ジャン・ボーモン:パン屋。王の処刑後も変わらず店を開ける。
マドレーヌ:王がいなくなったのに不安が残ることに戸惑う少女。
テレーズ:市場の女性。怒りが次の相手を探し始めていることに気づく。
エティエンヌ:書記。王ではなく市民の名が増えていく文書を見る。
ガスパール:処刑人の助手。処刑台の仕事が終わらないことを知っている。
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1793年初め、パリ。
ルイ16世は処刑されたが、パンの値段も戦争の不安もすぐには消えなかった。
人々は、終わったはずの不安がまだ残っていることに戸惑い始めていた。
「王は死んだ」
パン屋の列で誰かが言った。
ジャンは扉を開けながら返す。
「粉は生き返ってない」
笑いは起きなかった。
マドレーヌは籠を持って並ぶ。
「王様がいなくなったら、皆、安心すると思ってた」
テレーズが隣で言う。
「安心したかったんだよ」
「違うの?」
「安心は、欲しがるほど逃げることがある」
列の後ろで声がした。
「あの女、処刑の日に泣いていた」
皆の目が、通りの向こうの女性へ向く。
マルグリットという洗濯女だった。
マドレーヌも知っている。
前に、母の布を安く洗ってくれた。
「王党派か」
「息子を兵に取られたから泣いていただけだろ」
「それならなぜ、あの日に泣く」
テレーズが低く言う。
「泣く日まで決められるようになったのかい」
男が振り向く。
「かばうのか」
「馬鹿を止めてる」
「反革命を見逃せば、皆が危ない」
「反革命って言葉は、便利な桶だね。何でも放り込める」
マドレーヌは声を出したかった。
あの人は悪い人ではない。
そう言いたかった。
だが、列の目が怖かった。
ジャンがパンを渡しながら、そっと言う。
「知っている人でも、知らないふりをしたくなる日がある」
「それは悪いこと?」
「悪い」
「じゃあ」
「でも、人は怖いと悪いことをする」
エティエンヌはその日の午後、名簿を見ていた。
そこには王の名はない。
代わりに、市民の名が並んでいた。
仕立屋。
洗濯女。
司祭。
粉屋。
書記。
最後の職業に、彼は息を止めた。
隣の役人が言う。
「何を見ている」
「名前です」
「名前を見るのが仕事だ」
「いいえ。最近は、名前の向こうに首が見えます」
役人は顔をしかめた。
「不謹慎だ」
「不謹慎で済むならいいのですが」
夕方、ガスパールは広場を片づけていた。
マドレーヌが遠くから見ている。
彼は刃に布をかける。
テレーズがマドレーヌの肩に手を置いた。
「見るな」
「あの人、毎日ここにいるの?」
「仕事だからね」
「仕事なら、怖くないのかな」
ガスパールは彼女たちに気づき、少し頭を下げた。
その顔は、怖い人の顔ではなかった。
疲れた人の顔だった。
夜、エティエンヌは名簿を閉じた。
「王の名を書く方が」
彼はつぶやいた。
「まだ怖くなかった」
外では誰かが叫んでいた。
「疑わしい者を知らせろ」
王がいなくなった広場に、次の名前を求める声が響いていた。
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櫻未來の歴史メモ
今回の出来事
王の処刑後も、戦争、食料不足、反革命への恐怖は消えませんでした。不安の向かう先は王だけではなく、隣人や司祭、商人、政治的に疑わしい人々へ移っていきます。
史実と創作
この話は橋渡し回としての創作です。王の処刑がすべての問題を終わらせたわけではなく、恐怖政治へ向かう空気を日常の会話から描いています。
櫻からの問い
人々は敵を見つけたから疑ったのでしょうか。それとも、不安が消えないから敵を必要としたのでしょうか。
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