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後編

翌日から、王都に噂が広まった。


グランヴェル公爵夫人が夜会で王太子殿下と長く語り合っていた。

殿下のほうから声をかけた。

あんなに楽しそうな殿下を見たのは初めてだ、と。


当然、その噂はエルヴィンの耳にも入った。


夕食の席で、彼はナイフを置いて低く言った。


「夜会で殿下と話したそうだな」

「ええ」

「どんな話をした」

「音楽と庭の話ですわ。他愛もないことを」

「……分をわきまえろ。殿下に変な気を起こすな」


アデライーデは微笑んだ。


「もちろんですわ」


だが、その夜から夫の目つきは変わった。

今まで見向きもしなかったくせに、彼女がどこで誰と話したのかを気にし始める。

遅すぎる、とアデライーデは思った。


次の夜会は王家主催だった。

王宮の大広間には、王都中の貴族が集っている。


そしてエルヴィンは、当然のようにシェリーを伴ってきた。


夫婦で招かれている場でありながら、妻には目もくれず、愛人を隣に置いて歩く。

シェリーもまた勝ち誇ったように彼の腕に指を絡め、わざとらしい笑みを浮かべていた。


囁き声が起こる。


「あれが公爵の愛人」

「まあ、よくもこの場へ」

「公爵夫人がお気の毒に……」


アデライーデは聞こえないふりをした。

もう、傷つく段階は過ぎている。


ほどなくして広間がざわめいた。

国王夫妻と、その後ろに続く王太子が姿を現したのだ。


レアンドルはアデライーデを見つけた瞬間、はっきりと表情を和らげた。

そして迷わず、まっすぐ彼女のもとへ歩いてくる。


会場中の視線が、一斉に集まった。


「アデライーデ殿」

「……殿下」

「来てくれたんだね」

「お約束はしておりませんでしたが」

「それでも来てくれる気がしていた」


レアンドルは微笑み、だが次の瞬間には真剣な眼差しになった。


「先週、あなたと話したあと、もっと知りたくなった」

「私を、ですか」

「ああ。噂ではなく、誰かの都合のいい評価でもなく、本当のあなたを」


広間が静まり返る。


「あなたは侯爵家にいた頃、社交界で評判の令嬢だった。音楽にも、領地経営にも明るく、夫人教育も完璧だと聞いた。慈善院への寄付も、病人への見舞いも、名を出さずに続けていたそうだ」

「……そこまでお調べに?」

「調べた」


レアンドルはためらわなかった。


「そして不思議に思った。そんな人が、なぜ結婚してから突然、無能な妻のように扱われるのかと。先週あなたと話して、確信した。おかしいのはあなたではない」


アデライーデは息を呑んだ。


こんなふうに、正面から理解されたことは一度もない。

努力も、教養も、慎みも。

夫の前では全部、価値のないものにされた。

そうして自分でも、だんだんわからなくなっていたのだ。


「改めて聞く」


レアンドルが一歩近づく。


「あなたは今、幸せか」

「……幸せとは、言い難い状況です」

「そうか」


彼ははっきりとうなずいた。


「ならば、あなたが自由になるために、俺に力を貸してほしい」

「殿下……?」

「あなたが望むなら、グランヴェル公爵夫人という立場は俺が終わらせる。そのうえで」


レアンドルは、広間中に聞こえる声で告げた。


「自由になったあなたに、求婚したい」


どよめきが走った。


「待て!」


怒声を上げたのはエルヴィンだった。

シェリーの腕を引いたまま、人垣を割ってこちらへ来る。


「アデライーデは私の妻だ!殿下といえど勝手なことを——」

「グランヴェル公爵」


レアンドルの声が冷える。


「あなたの隣にいるその女性は?」


エルヴィンの足が止まった。

シェリーの顔から血の気が引く。

会場中の視線が二人へ突き刺さった。


「こ、これは……」

「公式の夜会に妻以外の女性を同伴している。説明してもらおうか」

「それは、その……」

「男の浮気は本能だとおっしゃるなら」


アデライーデは静かに口を開いた。


夫が、ぎくりとこちらを見る。


「私が殿下に惹かれるのも、より良い子を望む女の本能ですわ。あなたが、そう教えてくださいましたもの」


一瞬の静寂のあと、広間のあちこちで忍び笑いが漏れた。


エルヴィンの顔が赤く染まり、次いで真っ白になる。


「アデライーデ、貴様……!」

「グランヴェル公爵」


今度は、さらに重い声がした。


国王がゆっくりと前へ進み出る。

その威圧に、空気が張り詰めた。


「余も一部始終を聞いていた。公式の場に愛人を伴い、そのうえ王太子の言葉を遮るとは、ずいぶんと見苦しい」

「陛下、しかし——」

「シャルダン侯爵家からは、前々より苦情が届いておった。持参金の使途が不明瞭であること、公爵夫人を社交から不当に遠ざけていること、使用人への監視を強めていること。家同士の問題ゆえ静観していたが」


国王は冷ややかに告げる。


「王家が関わった以上、もはや私事ではない。追って沙汰を下す」


エルヴィンは口を開いたまま、声を失った。

シェリーは今にもその場へ崩れ落ちそうになっている。


離婚は、驚くほど早く成立した。


王家の調査で、アデライーデの持参金がエルヴィンの遊興費や愛人への贈り物に流れていた証拠が見つかった。

加えて、公爵夫人の社交を意図的に絶ち、実家との連絡まで制限していた事実も明らかになる。


グランヴェル家は爵位を一つ落とされ、エルヴィンは長期謹慎。

シェリーは庇護を失い、王都の噂の中心に放り出された。


本能のままに生きるのなら、せいぜい好きにすればいい。

もうアデライーデには関係のないことだった。


春のやわらかな陽射しの下、アデライーデは王宮の庭へ招かれた。


噴水の音が穏やかに響く中、レアンドルが少し照れたように笑う。


「実は、最初の夜会に行ったのは偶然じゃない」

「そうでしょうね、とは思っておりました」

「侍女の一人から、グランヴェル公爵夫人が初めて夜会に出るらしいと耳にした。昔から名だけは知っていたし、ずっと気になっていたんだ」

「なぜ、そこまで」

「姿を消した理由が、どうにもおかしかったからだ」


レアンドルは真っ直ぐ彼女を見る。


「だが、最初は半分、好奇心だった。会って、話して、それが全部ひっくり返った」

「ひっくり返った?」

「あなたは噂よりずっと聡明で、噂よりずっと優しくて、そして噂のどれよりも、強かった」


アデライーデは言葉を失う。


「無理に笑わないところも好きだ。相手に媚びないところも。花や音楽の話をしている時、目が本当に楽しそうになるところも。先週たった一夜で、俺はずいぶん持っていかれた」

「殿下は、そんなふうに——」

「レアンドルでいい」


彼は一歩近づき、手を差し出した。


「本能のまま、俺の隣へ来てくれるか」


アデライーデは、思わず笑った。


三年間、ほとんど笑わなかった。

笑うたびに誰かの機嫌を窺っていた。

けれど今は違う。

胸の奥から、自然にこぼれてくる。


「本能ですので」


彼女はその手を取った。


「喜んで」

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