第13話 オリヴィアの夢
カウントダウンが終わると、冬の舞踏会は幕を閉じた。大人達はその後、立食形式の新年会のようなパーティーへ移るようだが、学生のオリヴィアは早めに引き上げることになった。
王立学園は冬季休暇中なので、王都の屋敷へ帰る。自室に戻ると寝支度を整え、オリヴィアは暗い寝室のベッドに倒れ込んだ。柔らかい布団に身を預けて、思わずため息が漏れる。
「つかれたぁ」
寝返りを打って仰向けになると、オリヴィアはそっと微笑んだ。
「……でも、今日は楽しかったな」
(シエスティーナ様にパートナーを頼まれた時はどうしようかと思ったけど、上手くいったみたいでよかったわ)
舞踏会は終わったというのに、まだ心臓がドキドキしているような気がする。
緊張だけではない。
ラストのカウントダウンの演出も素敵で、まだしばらく胸の高鳴りが収まりそうにない。
(それに……)
オリヴィアは寝間着のポケットからポプリのような小さな袋を取り出した。袋の中から、小さな銀の欠片が姿を見せた。欠片を握りしめ、右手を胸の上に置く。
「……おまもりが見つかって本当によかった。メロディには感謝しないと」
(まさか、あんなことになるなんて)
オリヴィアは、銀の欠片のおまもりをなくしたあの時のことを思い返した。
◆◆◆
それは、冬の舞踏会でシエスティーナがセレディアとダンスをしている時だった。
一人になったオリヴィアは、しばらく休憩エリアで過ごしたが、今夜は人が多くて心が休まらなかった。
オリヴィア・ランクドールは公爵令嬢だ。王家に次ぐ家柄と爵位を持つ彼女を、舞踏会に参加する貴族達が放っておくはずがない。
結局、声をかけられないよう凜とした空気を纏っていなければならず、まったく休憩にならなかった。
最終的に、人目を避け続けた結果、オリヴィアはテラスの扉を抜けることとなった。外へ出ると人影はなく、オリヴィアの口から白い息がゆっくりと立ち上る。
この寒さのおかげで、誰も外へ出ようとしなかったらしい。先日、雪が多く降ったにもかかわらず、外灯に照らされた庭園には緑が広がっている。おそらく雪よけの魔法がかけられているのだろう。多少薄暗いが散歩くらいならできそうだ。
一人になり、オリヴィアはようやく安堵の息をついた。
(わたくし、シエスティーナ様のパートナーとして上手くやれているかしら……大丈夫よね?)
今のところ失敗はないはず。
そう自分に言い聞かせるが、胸の高鳴りはなかなか収まらない。
(アンネマリー様だってやれたのですもの、わたくしだって……!)
夏の舞踏会で、アンネマリーはシエスティーナのパートナーを完璧にこなした。それも当日、舞踏会の直前に突然パートナーの依頼を受けたにもかかわらず。
シエスティーナにエスコートされ会場に入るアンネマリーはとても美しかった。オリヴィアは今でもその光景をはっきりと覚えている。
(わたくしは事前に依頼を受けて、しっかり準備期間をいただいているのですもの。彼女以上に完璧にパートナーの役割をこなさなければ……大丈夫よ、オリヴィア。わたくしならきっとできるわ)
シエスティーナとはクラスメートとしてそれなりに親交を深めているが、それでも相手は隣国の皇族だ。完全に緊張を拭うことは、公爵令嬢であるオリヴィアでも難しかった。
オリヴィアはドレスのスカートに仕込んだ小さなポケットに手を入れ、ポプリのような袋を取り出す。中には銀剣のおまもりが入っていた。
袋から欠片を取り出し、そっと握り込む。
不思議と勇気をもらえる気がして、今日も持ち歩いていたのだ。右手を胸に寄せ、ひとつ息を整えて目を閉じる。
(……大丈夫。これでもう少し頑張れるはず)
その時だった。
『――闇が』
「え? ――きゃっ!?」
耳元で囁かれたような近さに驚き、オリヴィアは思わず顔を上げた。次の瞬間、右手の中でパンッと、何かが弾けたような衝撃が走る。強い静電気を浴びたような痛みに、反射的に手を開いてしまった。
弾かれた銀剣の欠片は、白い光の筋を描いて指をすり抜けてしまう。
そのままテラスの外へ、庭園の芝生へと転がっていった。
「欠片が……!」
オリヴィアは慌てて芝生へ駆け寄った。しかし、どれだけ捜しても欠片の姿は見つからない。
そこへ、ダンスを終えたシエスティーナが心配して捜しに来てしまい、オリヴィアはそのまま舞踏会会場へ連れ戻されてしまう。
本当は欠片を捜したいと言えればよかった。けれど、銀剣の欠片はおまもりと呼ぶにはあまりに無骨で、貴族令嬢としてあまり知られたくはなかった。
後ろ髪を引かれながら会場へ戻ったオリヴィアは、なんとかシエスティーナの隣で恥をかかぬよう振る舞ったが、心はずっとテラスの向こうに置き去りのままだった。
しばらく社交をこなし、再び休憩エリアへ誘われた時、オリヴィアはもう一度テラスへ向かうことができた。
そしてそこで、銀剣の欠片を拾ってくれたメロディと出会ったのである。
◆◆◆
(本当に……あの時メロディが欠片を見つけてくれて助かったわ)
あのまま一人では、最後まで見つけられなかったかもしれない。
欠片をなくした時のことを思い出しながら、オリヴィアは手にしていた銀剣の欠片を目の高さまで持ち上げた。
「……え?」
暗い寝室で、欠片がぼんやりと白銀の光を帯びていた。
それだけではない。細い光の線がすっと伸び、彼女の胸へ吸い込まれていくように見えた。
「この光は……」
オリヴィアは思わず身を起こした。
欠片の向ける光の筋は、彼女が姿勢を変えても方向を変えない。今は、まるでベッドの一点を示しているようだった。
「……まさか、この光って」
欠片を静かにベッドへ置き、オリヴィアはベッド下に手を伸ばした。引き出した大きな木箱に、すうっと吸い込まれるように白銀の光が差し込む。
その箱の中には、欠片の本体である銀剣が収められていた。
オリヴィアはベッドの上に箱を置き、そっと蓋を開ける。姿を現したのは、上半分を失った銀の剣。彼女がずっと大切にしてきたおまもりの本体だ。
手にした欠片から伸びる白銀の光は、迷うことなく銀剣へ向かっていた。正確には、欠片がもともとあった接合部を指し示すようにまっすぐ伸びている。
その導きに吸い寄せられるように、オリヴィアは欠片を接合部へそっと当てた。
瞬間、銀剣からまばゆい白銀の光が、爆ぜるように室内を埋め尽くした。
「きゃあっ!」
強烈な閃光に思わず欠片から手を放し、腕で顔を庇う。もしカーテンが閉まっていなければ、屋敷中が騒ぎになっていたに違いない。
やがて光が収まり、オリヴィアは恐る恐る目を開いた。
そして、その場で固まってしまう。
(ど、どういうこと……? 何が起きたの?)
銀剣の欠片が、元の場所にぴたりと戻っていた。
まるで、一度も割れたことがなかったように。
「そんな……わたくしのおまもりが……え?」
嘆きかけた口が、ふと止まる。銀剣全体が、欠片と同じ白銀の光を帯びていたのだ。
存在を主張するような輝きは次第に弱まり、やがて消えていった。残ったのは、ただ静かに光を反射する銀色だけ。
オリヴィアは呆然としながら剣を手に取り、角度を変えてみたり軽く動かしてみたりした。しかし、それ以上の変化は何も起こらない。
「本当に……何が起きたのかしら」
その呟きに答える者はどこにもいない。今夜の出来事があまりにも常識外れで、考えれば考えるほど混乱した。
今日に限ってなぜこんなことが。昨日までと今日で、欠片に何か変化はあっただろうか?
その時、欠片を拾ってくれた黒髪の少女の姿が思い浮かんだ。オリヴィアは否定するように首を横に振る。
(メロディは欠片を拾ってくれただけ。でも、それなら、どうしてこんなことが……?)
オリヴィアはこの銀剣の出自を知らない。学生寮から王立学園へ続く路地の傍らに落ちていた剣を拾っただけだ。
答えなど分かるはずもなかった。オリヴィアは小さく息をつき、剣を木箱へ戻す。蓋を閉じ、ベッド下へ押しやった。
胸の奥が酷く寂しかった。おまもりを失ったという思いがじわじわと広がる。
彼女はベッドへ潜り込み、そのまま布団の温もりに身を委ねた。
やがて意識はゆっくりと沈み、オリヴィアは静かに眠りへと落ちていった。
◆◆◆
(……あら? ここは……?)
オリヴィアはそっと目を開けた。寝室ではない。
暖かい木漏れ日が差すどこかの森の中に、寝間着姿のまま裸足で立っている。
足元から視線を上げると、目の前には銀の台座があった。
精巧な細工が施され、中央には細長い穴が空いている。
(これは、何かしら? ……あら、声が)
思わず息を呑む。あまりに非現実的な状況だというのに、声が聞こえた。
『――闇が』
(え? ……この声は!)
耳元で囁かれたかと思った瞬間、オリヴィアは後ろを振り返る。
しかし、誰もいない。
その声には聞き覚えがあった。
舞踏会にて、テラスで銀剣の欠片をなくした時に全く同じ声と言葉を聞いたはずだ。
『――闇が、目覚めようとしています』
再び囁くような声。やはり振り返っても、影一つ見えない。
『……大地の底で、私さえ気付かなかった闇が、蠢こうとしています。どうか、お願い……剣を』
(剣……? 台座に?)
オリヴィアは自然と視線を下ろす。
台座の中央、細長い穴が剣を差し込むのにちょうどよい。
(台座……あなたは一体……?)
問い掛けるも返事はない。
すると、台座全体が小刻みに揺れ始めた。
(――っ!?)
思わず後退る。揺れはどんどん大きくなり、地面まで震え始める。オリヴィアは膝をつかずにはいられなかった。
その瞬間、穴から巨大な闇が吹き上がる。間欠泉のように空へ噴き出し、あっという間に空を黒く染めていく。曇天よりも深い闇が、ぐにゃりと揺れ、恐ろしく悍ましい姿を見せた。
(……闇が、蠢く)
『……銀の剣を、台座へ。聖女の力を……大地へ』
オリヴィアの視界は黒く塗りつぶされた。
「――はっ! ……夢?」
次の瞬間、明かりの消えた寝室に戻っていた。体を起こし、周囲を見回す。変わったところはなく、オリヴィアは一度大きく息を吐き、呼吸を整えた。
「闇……剣……台座……ただの夢、よね?」
答えてくれる者はいない。少し怖いが、眠気には勝てず、オリヴィアは再びベッドに体を預ける。
静かな寝息が室内に優しく響く。
不思議と夢はもう見なかった。
ベッド下の木箱の中で、銀剣が白銀の光を帯びていることに気付く者は、誰もいなかった。
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