ただ歌う
暇だ。
とにかく暇。
自粛生活も一か月近くなると、いい加減俺は暇を持て余していた。
掲示板の書き込みは、過激なものを含め、書き込み自体が減ってきていた。
こうやって忘れられていくのかなあ。
不安と焦りの後、諦めが俺の心を満たした。
歌い手なんて、星の数ほどいる。
こんなもんなんだろうな、芸能界。
部屋で膝を抱えて落ち込んでいるのにもいい加減飽きた俺のマイブームは筋トレだ。
外に出る訳にはいかないので、早起きして事務所ビルの屋上を一時間くらいぐるぐる走り回る。
それから腹筋やら背筋やらを地味に頑張る。
少し休憩した後、ギターを片手に歌うのが日課になっていた。
ヨウタに教わってから一年余り。
大分上手くなったギターを片手に、ひたすら声を出す。
最近では歌う曲の構成まで考えて、一時間余りの一人ミニコンサートを毎日開催している。
といっても聞いているのは空を飛ぶ鳥だけだけどね。
「あちい」
八月の屋上は暑い。
その辺に転がっていたパラソルを広げて日陰を作っているが、昼近くになると太陽の熱に加え、熱せられたコンクリートからの暑さで息苦しくなってくる。
そろそろ休憩しようか。
俺はパラソルの下から出て、うーんと伸びをした。
「ん?」
不意に、あるはずのない視線を感じて、俺はきょろきょろとあたりを見回した。
「あ」
その視線の先に、こちらをじっと見る男性の姿があった。
四階建ての事務所ビルの周りは、商業ビルが立ち並んでいる。
それも窓を開けるようなタイプのビルではない、綺麗なオフィスビルばかりだ。
だからこそ、誰にも気兼ねなく大声で歌ってたんだけど。
ビルの外窓を掃除する清掃作業員の存在にまでは、気をつけていなかった。
「ど、どうも」
割に近い距離にいた、清掃作業員の男性に頭を下げる。
まだ若い男性だ。
彼も戸惑った様子で頭を下げた。
「あの、すみません。うるさかったですか?」
事務所ビルに閉じこもって一か月近く。
正直、他人との会話に飢えていたのかも知れない。
彼もそんな怖そうな人に見えなかったし。
「ああ、いえ、歌うまいですね。この事務所の人なんですか?」
清掃作業員の彼が答えてくれた。
俺の事は知らないらしい。
一応男性アイドルグループだしね。
「そうです」
俺が答えると彼は照れたように笑った。
「デビューできるといいっすね。いい歌だから、頑張ってください。俺、応援します」
うれしかった。
俺を知らない人が、俺の歌だけを聞いて、いい歌だと言ってくれた。
その事が、涙が出るくらいうれしかった。
「それから、下にも何人か、聞いてる人いましたよ」
え?
俺は目を瞬く。
下?
ビルの?
「……下にも、聞こえてるんでしょうか?」
俺の質問に、彼は首をかしげる。
「風向きにもよると思うけど、その声なら聞こえるかも知れないね」
俺は彼に頭を下げると、慌ててビルの正面のフェンスに駆け寄った。
俺の胸辺りの高さがあるフェンスによじ登り、下を覗きこむ。
いた。
数人の女の子たちが、上を見上げている。
「あっ!アキだ!!」
誰かが叫んだ。
「やっぱりアキだ!アキの声だったんだ!」
女の子たちがキャーッと叫んで俺に手を振った。
釣られて俺も手を振り返す。
「アキー!!歌って!!」
誰かが言った。
歌って?
俺の歌を聞きたいって言ってるの?
俺は目を見開いて、下の彼女たちをしばらく見つめていた。
「おねがい~!!一曲だけでいいから、歌って!アキ!!」




