27話
十二月中旬。
美影高校は、全国の一般的な高校よりも二週間以上早く、そして長い冬休みに突入していた。
都会の学校と比べて早々に休みに入るのには、すでに進学や就職を決めた生徒たちのための「引っ越し準備期間」という、この土地ならではの理由がある。
だが、ただ真っ直ぐに「神代家の嫁」になることだけが確定している巴にとって、この長い冬休みは単なる「壮一郎と一日中一緒にいられるボーナスタイム」でしかなかった。
静かな昼下がり。
母屋の奥、薄暗い物置き場からガサゴソと何かを探し回る音が聞こえ、壮一郎はそちらへ足を向けた。
「…………お、発見!」
埃をかぶった段ボールの奥で、巴の目が輝く。
彼女が探し当てたのは、神代家で長年使われている立派な木枠のこたつだった。
「ふへ……ふへへ……やっぱ冬と言えばこれでしょう」
巴はこたつ布団の入った袋を引っ張り出しながら、いつもの不敵な含み笑いを漏らす。
そこへ、物置き場の引き戸の隙間から壮一郎が顔を出した。
「居間にも居ないと思ったら、こんな所で……何してんだ? 巴」
「お、壮一郎! いやぁ、冬と言えばこたつと思いましてねぇ……探していたんですよぉ」
巴は「よいしょ」と声を上げながら、倉庫の奥から重たいこたつの天板を引きずり出そうとする。
壮一郎はそれを見るなり、呆れたようにため息をついた。
「お前なぁ……そういうの探してたんなら俺に言えよ……。ほら貸せ。居間に運べばいいのか?」
壮一郎は巴の手から天板を奪い取ると、軽々と小脇に抱えた。
「お! ありがとう壮一郎! 気が利く旦那様でございますねぇ」
「当たり前だろ」
壮一郎は巴の茶化すような言葉に、返す刀で当然のように答え、こたつ一式を持って居間へと向かっていった。
その日の夕方。
電球の灯る母屋の台所で、壮一郎はギョッと声を上げた。
「!? お前、どこ登ってんだ!」
「ふぇ!?」
台所を覗くと、巴が丸椅子の上に危なっかしく立とうとしていたのだ。
背後からの突然の大声に、巴はビクッと肩を跳ねらせて丸椅子の上でバランスを崩しかけた。
「わっ……いきなり大声出さないでよ、びっくりするじゃん!」
「あ、あぁ、悪い。……で、なんで登ってんだ?」
壮一郎は慌てて巴の腰を支えながら、険しい顔で戸棚の上を睨んだ。
「クリスマス近いし、豚の角煮とか、普段作らないものを作るために、そのでかい圧力鍋を使いたくってぇ」
「はぁ……そんな危ない事する前に、俺を呼べよ」
壮一郎の叱責に、巴は丸椅子から降りて唇を尖らせた。
「いや、壮一郎、書斎で仕事中でしょ? 取引先とかともよく電話してるし」
「そんなの、お前の身体と比べたら大したことないだろ……」
壮一郎は言い捨てると、巴に代わってひょいと戸棚の上の重たい圧力鍋を取り下ろした。
巴は、その広く頼もしい背中を見上げながら、ぶつぶつと呟く。
「……ほぉ……なんか愛されてる、というよりは、どえらい過保護ムーブ……」
「ほら、巴。重いから気をつけろよ」
手渡された圧力鍋を受け取りながら、巴は苦笑した。
「重いって……んなただの鍋ごときで、この巴様を…………あれ? 壮一郎」
「今度はなんだ?」
鍋を抱えたまま、巴はハッとして壮一郎の顔をマジマジと見つめた。
過保護すぎる壮一郎の態度に、自分自身の身体のささいな変化を重ね合わせたのだろうか。
「…………バレてる?」
「何が?」
壮一郎が不思議そうに首を傾げると、巴はブンブンと首を横に振った。
「いや、バレてないならいい! これはサプライズイベントということで!」
どうやら、クリスマスまで内緒にしておこうと決めていた『とっておきの報告』が透けてしまったのかと焦ったようだが、そうではないと知り一人で安堵している。
「……何を考えてるんだか……。まぁ、とりあえずなんか重いモノ運ぶ必要性が出たら言えよ」
壮一郎は、巴の企みなど気にする様子もなく、ただ純粋に「怪我をさせるわけにはいかない」という態度のまま台所を出て行こうとする。
「はーい……。いやぁ……これは身重になっても安心でございますねぇ。今どき珍しい旦那ムーブですよぉ? 壮一郎ぉぉぉ?」
巴は、壮一郎が無意識のうちに、自分が「身重」になった時と全く同じように丁重に扱ってくれていることに気付き、ニヤニヤとからかうように背中へ声を投げた。
壮一郎は立ち止まり、振り返って、どこ吹く風という顔で言った。
「……はぁ……お前は変な漫画読み過ぎだ……。普通だ普通……変な自慢をよそ様にするんじゃないぞ」
壮一郎にとって、古い家系である神代の「身内第一主義」、特に自分の伴侶を守り気遣う行動は、息をするように当たり前のことだった。
だが、巴はそれを十分に理解した上で、鍋を抱えながら自慢げに安堵していた。
「ふへ……ふへへ……」
圧力鍋を大事そうに抱きしめながら、勝ち誇ったようなにやけ面を浮かべる巴。
壮一郎は、そんな彼女の顔を呆れたように見つめてから、ふっと優しく笑いかけ、その頭をポンポンと撫でて書斎へと戻っていくのだった。
*
クリスマス前日。
美影町から車を走らせた先にあるショッピングモールは、色とりどりのイルミネーションと、プレゼントを買い求める人々で賑わっていた。
BGMとして流れるクリスマスソングの中を、壮一郎と巴もまた、並んで歩いていた。
「なんか欲しいもの、あるか?」
壮一郎は、通りがかったアクセサリー店のショーウィンドウに視線を向けながら、隣を歩く巴に声をかけた。
「おぉ……買ってくれるの?」
「お前が欲しいって言うならな?」
今年の誕生日にはネックレスを贈ったが、クリスマスとなればまた別だ。
実家が神社であり、年末の準備に追われるのが常だった彼にとって、これまでクリスマスは「他所の家の行事」でしかなかった。
だが、婚約者として迎える初めての聖夜、巴が喜ぶならいくらでも付き合うつもりでいた。
「アクセサリーはもう、壮一郎に貰ったネックレスがあるしなぁ……。欲しいものねぇ……もう既に手に入ってると言えるしなぁ……」
巴はそう言うと、ネックレス越しに自分の胸元へ手を添え、壮一郎を見上げてニヤリと笑った。
「そうか……やっぱプレゼントは、サプライズじゃないとダメかぁ」
物欲のなさに壮一郎が苦笑すると、巴は立ち止まり、真っ直ぐに壮一郎を見つめた。
「……ま、今年のクリスマスはあたしからのサプライズプレゼントがあるから、楽しみにしててよ」
「こないだ言ってた、サプライズイベントってやつか?」
「そう! このプレゼントだけは、何があっても受け取ってほしいんだ、壮一郎」
いつものふざけたトーンはない。
珍しく真剣な眼差しで見つめてくる巴に、壮一郎は少しだけ驚きつつも、優しく微笑み返した。
「わかったわかった。何がもらえるか、楽しみにしてるよ」
そう言って巴の頭を撫でると、巴は心地よさそうに目を細めた。
「とは言っても、折角来たんだし、アクセが要らないって言うなら……せめて高いケーキでも買って帰ろうか」
「んほっ!? いいねいいね! 壮一郎!! 今年は甘さ控えめで上品なケーキがいいなっ!」
壮一郎の提案に、巴は先ほどの真剣な顔から一転、飛び跳ねるようにして喜んだ。
「んじゃぁ、決まりだな。あそこの、行列ができてた店を見に行こうか」
「やったっ! 壮一郎大好きっ!」
人目も気にせず腕に抱きついてくる巴の重みを感じながら、壮一郎はやれやれと口元を綻ばせた。
その後、二人は目当ての上品なケーキとクリスマスチキンを抱え、冷たい風の吹くショッピングモールを後にするのだった。
*
そして、クリスマス当日。
出してきたばかりのこたつに入り、二人は買ってきたチキンを平らげ、上品な甘さのケーキを食べてふっと一息ついていた。
並んでこたつで温まる穏やかな時間の中、不意に、巴がいつになく真剣な表情で壮一郎を見た。
「壮一郎に、プレゼントがあるんだ……」
「ん? 昨日言ってたやつか。何をくれるんだ? 巴」
「これ……なんだけど……」
巴が懐からそっと取り出し、こたつの天板に置いたもの。
それは、一本の妊娠検査薬だった。小さな窓には、はっきりと陽性の線が浮かび上がっている。
「これって……」
「デキてしまいました……」
巴は、身を縮めるようにして恐る恐る壮一郎を見つめた。
しかし、壮一郎の内に驚愕も戸惑いも湧き起こることはなかった。
彼にとっては、最初からそうなるように進めてきた結果に過ぎない。
壮一郎は普段通りの、巴を包み込むような優しい表情のまま、静かに口を開く。
「巴…………役所が開いたら、籍入れような」
壮一郎はそう言うと、隣に座る巴の肩を抱き寄せた。
「……いやぁ……まさに『壮一郎っ!』って感じの反応で安心したよ」
巴は壮一郎の腕の中で、張り詰めていた糸が切れたように深く息を吐いた。
「漫画とかドラマだと、彼氏にデキちゃったって言ったら、彼氏が急に態度豹変したりしてたのを見たからさ。本当は怖くって怖くって……」
「……まぁ、俺の場合は、デキるの前提だったからな」
「そこが、ほんと壮一郎って感じだよ……」
巴は「へへっ」と笑って壮一郎の胸に顔をすり寄せる。
「しかし、案外予想よりだいぶ早くデキちゃったなぁ……。漫画とかドラマだと、それこそ何十話って流れの中で、月日も一年以上経ったあとに、ようやくって展開が多いのに……たかだか二ヶ月足らずであっさりと……」
「だから、フィクションと現実をごっちゃにするのはやめんか。……そもそもあっさりって言うけど、あれだけ身体を重ねたのに、あっさりなのか?」
「……まぁ、確かに十一月のあの犬耳カチューシャつけたわんわんプレイは、全然あっさりじゃなかった気がする……。むしろ、あれで身籠った気がする……。ママとしては複雑ぅぅぅぅ」
「…………お前、それ誰にも言うなよ…………」
壮一郎の声が、思わず一段低くなった。
「大丈夫大丈夫……いくらあたしでも、惚気ついでにぽろっと言うなんてないない……。…………朱音はどんな表情するかな」
「やめろ、それは流石に俺の世間体が死ぬ……」
本気で頭を抱える壮一郎を見て、巴はその反応が面白くてたまらないというように、至極楽しそうに笑い声を上げた。
学校では不愛想で、何事にも無気力な月城巴。
だが、壮一郎の傍だけは、彼女は誰よりも生き生きと、本当に幸せそうな顔をしているのだった。




