9.完全なる真実
私は決意したのだ。
例え私が魔女だとされても、構わない。そうなればレオンス様は、私と離婚できるのだから。
私たちの婚姻は、ブルーブラッド家を存続させるためのもの。だけど、私たちの血筋にはもう未婚の女性はいない。私が排除されれば、さすがにレオンス様は他の血筋から妻を迎えることになるだろう。彼の死が回避された今なら、きっと新しい妻と幸せになれるはずだ。
彼の未来のために、私自身を投げ出そう。レオンス様が幸せになるなら、魔女になることぐらい——いや、極刑は嫌だけど。
でも極刑の可能性もゼロじゃないんだよなと、やっぱり怖気付いてしまう。結局私はまた、あの初夜のときのように、全身をガチガチに強張らせてしまったのだった。
「安心して。君を魔女だと疑っているわけではないよ」
強張る私を見て、レオンス様が優しく、淡々と告げた。
「義兄上から、君に魔女疑惑が掛けられた過去は聞いている。でも、絶対に君は魔女ではないと信じているとも。私も、そう思っている。ただ、どういうロジックで予測ができたのか、知りたいんだ。今後のために、一国の王として」
見上げると、彼もこちらを見下ろしていた。その瞳はひたすらに真っ直ぐで、私たちの間に後ろめたいことなど何もないと確信しているような、潔いものだった。
私が魔女だと言うのも、結局は嘘だ。
だからと言って、真実を告げてどうなる? こんなこと、信じてもらえるわけがない。
私は、レオンス様が私を信じてくれると、信じることができない。
——レオンス様は、私を、私たちを、信じてくれているのに。
「……」
一度深く息を吐き、気合を入れてすっくと立ち上がる。この五年間で私の背もだいぶ伸びたけれど、それでも彼の前では全然小さかった。背筋を伸ばし、その真っ直ぐな瞳をしっかりと見つめ返す。
私は、もう一度、大きな決断を下した。
「私には、前世の記憶があります。前の人生で、この世界を読んだことがあるんです」
「……うん?」
そうして、完全な真実を口にする。
もっとも、そんなぶっ飛んだことを急に告げられた側は、たまったものではないだろう。当然のことながら、レオンス様はひどく当惑した様子で首を傾げた。
「えっと。まず、前世とか転生って単語はご存知ですか?」
「ああ、哲学書で読んだことがあるよ」
良かった。そこから説明する必要があったら割と詰んでた。前世や転生という概念を知らない人に、それをどう説明すれば良いのかなんて、見当もつかない。
「前世で私は、この世界とは全く別の世界を生きていました。その世界では、この世界のことが物語になっていたんです。だから私は、父と母の本来の死因も、悲劇が起きることとその原因も知っていました」
「……」
「そちらの世界で私は十八を待たずに死に、再び意識を取り戻したときには、産まれたばかりのマリィタだったんです」
「……うん」
とりあえず、一気に説明してみた。質問は、後ほどまとめて受け付けるスタイルだ。
とはいえ、私が説明できることなどその程度しかない。全てを告げた後、どうだどうだとレオンス様の顔をうかがう。彼は眉間に深い皺を寄せて、それを伸ばすように指を当ててうーんと唸っていた。それはまあ、唸るだろう。
レオンス様の、次の言葉を待つ。
それはなかなかの静寂で……私の不安を掻き立てるには充分すぎる間だった。
私は、読んで知った物語の筋書きを思い切り変えている。この世界の神様が誰かと言えば、それはもちろん作者さんだろう。つまり私は、実際に神に背いているのだ。
これで、「それこそが魔女だ」ってなったらどうしよう。いやそれでも良いのか。それならそれで、レオンス様が幸せになるかも知れないのだから。
当初は、魔女疑惑を掛けられたら素直に受け入れようと思っていた。しかし今は、私を信じてくれる彼を、私も信じようと思っている。この十分も経たない間で、私の決意はあっちこっちへ方向転換しているのだ。何がどうなったら私がどうなってレオンス様はどうなるのか、自分でも混乱してきた。
「えっと。つまり……」
「はい」
とにかく。今、私はレオンス様の出す結論を待っていた。私の言うことを信じるか、信じないか。私を魔女とするのか、否か。
その結論によって私たちの未来は大きく変わるので、ものすごーく身構えていたのだが……。
「君は、精神的には約三十六歳ということか」
「それは今どうでも良くないですか?」
続いた言葉は、私が想定して待っていたものとはまるで違った。
レオンス様も、さすがに自分でも反応を間違えたとすぐに気付いたのか「いや違うんだよ思っていた回答とあまりに違ったものだから」と、慌てた様子で言い訳をうんぬんかんぬん口にする。
まあ、彼の言い分も理解できた。きっと彼は、群集心理の分析とか過去の歴史の応用とか、そういう賢い返答を期待していたのだろう。それが蓋を開けてみれば「前世の知識を持ってただけです」では、肩透かしも良いところだ。
「ご期待されていたような聡明な妃ではなく、申し訳ございません」
レオンス様が少し情けない様子でつらつらと言い訳を述べるものだから、私の緊張も徐々にほぐれてきた。調子に乗っていつものツンとした口を利くと、彼も言い訳を止めて苦笑した。二人の間に、いつもの空気が戻る。
「信じてくださるのですか? 自分でも、荒唐無稽な話だと思うのですが」
「信じるよ。君が論理的に事態を予測したのなら、その論理を私に共有しない理由はない。悲劇を食い止めることが悪魔の囁きで、悲劇こそが神の意思だなんて、そっちの方が私は信じられない。それに……」
レオンス様は、そこで一度言葉を切った。それから、唸ったり言い訳したりであちこち泳いでいた目線を、もう一度私の瞳に合わせる。私は彼をずっと真っ直ぐ見詰めていたので、視線はカチリと重なった。
「転生は神の起こした奇跡かも知れないけど、その後の全ては君の判断と勇気の賜物だ。君は間違いなく、聡明な人だよ」
——そんなことは、考えたこともなかった。
私は、私だけが知っている知識を使っているだけで、いわゆるチートのようなものだ。そのからくりを白状したら、ガッカリされても文句は言えないと思っていたのに……。
「一人で、よく頑張ったね」
でも、そうなのかも知れない。私はひとりで、頑張っていたのかも知れない。
秘密を抱えることは、孤独だ。言われて初めて、私は今までの自分の状況を、はっきりと認識した。
それを今は、レオンス様と共有して、彼は私を認めてくれたのだ。
どうしようもなく、泣きそうになった。あの夏祭りの夜とは違う。上手く言えないけれど……もっとずっと、良い意味での涙だ。
目が潤んでしまっていたのだろう。気付いたレオンス様が、それがこぼれる前に拭おうと手を上げて、しかしその手は、私の頬へ触れる前に下がっていく。
離れていく手を、咄嗟に掴んだ。レオンス様の指先がピクリと跳ねる。
違う、違うのだ。私がずっと、貴方を拒絶していたのは——
「もう1つ、白状することがあります」
「……何だい?」
「私たちは、子を成せません」
しかし。それを明らかにするには、その理由も伝えなくてはならない。
「前世で読んだ物語には、私たちが子を成せない運命が記されていました。それに……そもそも根本的に、もう無理なんです」
「もう無理、とは?」
「レオンス様と私は、叔父と姪。血が近すぎるんです。私たちの血に宿る魔力は——」
レオンス様の問いに答える形で、私は血の代償について説明した。原作を熟読していて良かった。それはほとんど原作の暗唱だったが、神の文はやはり完璧なのだ。何度か質問は挟まったものの、最終的にレオンス様は私の説明に納得してくださった。「なるほど」と深くうなずいてくれる。
説明は完璧だったが、それなりに長かった。話の途中でレオンス様に促される形で、私は再度ベッドに腰を下ろした。彼もその隣に座って、私たちは月明かりを背に、隣り合って並んでいた。
「よく納得できますね」
「現に君は体が弱いからね。それに、こんなに虚弱者を抱えている血筋も、他にない」
レオンス様の理解力は助かるが、驚きでもあった。私は原作を読んでいるから理解できる。でも、彼はこの世界の価値観だけで生まれ育っているのだ。
とはいえ、レオンス様の言う通り。私の説明は、私の体やブルーブラッド家の現状をもって証明されていた。事実を事実として受け取れるのなら、すんなり納得できるものだったのだろう。
「もっと、早く言えば良かったですね……子を成せないのに、レオンス様の妃に居座ってすみません……」
もっと早く言えば良かった。全てを明らかにし、いとも簡単に受け入れられた今になってみれば、本当にそう思う。結局は、私が臆病だったのだ。
「私は、君以外を妃に迎えるつもりはないよ」
罪悪感に俯く私の顔を、レオンス様が下から覗き込むようにうかがって、言った。
「それは、そうでしょう。自然主義は離婚を禁じて——」
「そうではなくて」
……ベッドに腰を下ろす流れで、私たちの手は一度離れていた。レオンス様は私の言葉を優しく遮って、でもそれ以上は何も言わずに、ふと手を差し伸べてきた。促されるように、それがごく自然なことのように。私はよく考えもせず、その大きな手へ自分の手を重ねる。
私の手を、レオンス様はきゅっと握った。
相変わらず何も仰らないが、見れば少し照れたように困った眉で微笑んでいた。
「私と、愛し合うつもりはないと仰っていたのに」
「そんなこと言った……?」
私は、驚きと、照れ隠しで。そんな五年も前のでき事を、つい蒸し返してしまう。案の定と言うべきか、レオンス様はきょとんとされた。
「仰いましたよ。私が輿入れして、初めての夜に、この部屋で」
「……ああ、」
だが、レオンス様がいくらとぼけても、私は完全に覚えていた。なので事細かに状況を説明してやれば、さすがに彼も身に覚えがあったらしい。大きくうなずいてから、「あれはそういう意味で言ったわけではないよ」などとうそぶく。そういう意味でないなら、どういう意味だと言うのだ。
「あのとき、君は十三歳だっただろう。子ども相手に言葉を選んだんだけど……誤解させてしまったね。あれは、要は、その……」
「はい」
「今は君と、するつもりはないよという意味で……」
「——あっ、あ〜! なるほど!」
つまり、「私は君と愛し合うつもりはない」=「(今は)私は君と××するつもりはない」という意味だったのだ。あの夜、恐慌状態だった私を安心させようとした台詞だったのだろう。合点が言って妙に大声でうなずく私に、レオンス様は可笑しそうに静かな笑い声をこぼす。
「妃と迎えた人を生涯愛さないなんて、そんな薄情な宣言はしないよ」
まあ、言われてみればそうである。例え二十歳離れていようが、妃は妃だ。私だって、ここで、レオンス様の妃として生きていくしかない。あのときは自分の命のことばかりを考えていたから無邪気に喜んでしまったが、彼がわざわざ私を孤独に陥れるようなことをするはずがなかった。
「でも、どうしたら……」
しかし、根本的な問題は解決していない。レオンス様が私以外を妃としないと宣言された以上、むしろ問題は明確になった。このままでは、この国の王家は断絶してしまう。
「それこそ、君一人で抱える問題ではないよ。考えよう、二人で」
「……ふたりで」
「うん」
二人で。その言葉は、私にとっての光だった。
私はきっと、ずっと、ひとりだった。それが今やっと、レオンス様と二人になったのだ。たまらなくなって、何かどうにか言葉にしようとして——そう言えば、大事なことを伝えられてないことに気が付いた。
「レオンス様。あと1つだけ、言わなくてはならないことがあります」
「……何だろう。もう何を言われても驚かないよ」
レオンス様の手を強く握り返して、彼の目を真っ直ぐに見る。自分の心臓の音が、うるさいくらい、耳の奥で鳴っている。
「私は、レオンス様のことが……」
「うん」
「生まれる前から、推しで」
「……オシ?」
聞き慣れない単語に、レオンス様が不思議そうに目を瞬かせる。ごくたまーに見せる、そういう無防備な表情も、私は大好きだった。
「でも、今はもっと好きです。本当は、抱きしめてほしいし、キスもしたい、本当は——」
前世の頃から、彼という存在は私の特別だった。物語の中の彼は強くて賢くて、哀しくて、それでもひたすらに気高かった。
でも、目の前にいる実際の彼は、私の想像よりもずっと不安定で、あどけなくて……温かい。原作にない彼を知っても、彼への感情が損なわれることは、一度もなかった。
「私……」
そうして私は、震える声で、真っ直ぐに伝える。
「私も、貴方のことを、愛しています」
——これでやっと、私の全てを彼に明け渡すことができたのだ。
喜びと共に、彼をうかがう。すると、「もう何を言われても驚かない」と言っていたくせに、レオンス様は目を丸くして、ひどく驚いた顔をしていた。
でもその顔は、すぐに破顔した。それは、これまで見たことないほど鮮やかで、晴れやかな笑みだった。
そうして。レオンス様はまず、私のこと抱きしめてくれる。
彼の腕の中で、深く息を吸うと……そこは熱くて落ち着く、生きてる匂いがした。
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