7.難題
孤児院創設に関わる業務が片付いた後も、宰相と私の『レオンス様の肩の荷を1つでも減らそう同盟』は、お互いに無言のまま、密やかに継続していた。
私が十六歳ともなれば、創設者などという大義名分がなくても、王妃として何かしらの仕事はするべきだ。まあそのうちの1つが、家政の管理なんだけど。そっちは相変わらず私が何もしなくても上手く回っているので、ほぼ放置で問題はなかった。
そんなこんなで、私は宰相とこっそり示し合わせ、私でも構わないようなちまちました業務を回してもらっている。
もし私が他国から輿入れした政略結婚の駒だったなら、こんな風に王の仕事を奪うムーブは角が立つだろう。しかし私とレオンス様は、同じ血筋だ。私がレオンス様から業務をかっさらっても、怪しまれるようなことは特になかった。まあ、それで私が祖国の利益になるような行動でもしていれば不審がられただろうけど、そんなことはしてないし。与えられた業務を、ただ無難にこなしているだけだ。
「……私から、あまり仕事を奪わないでくれるかな」
ある日のこと。謁見後の話し合いで、その日発生した業務は、私が巻き取る形でまとまった。会議が終わってぞろぞろと皆が立ち去り、喧騒が広がる中……レオンス様はついに私に直談判してきたのだった。
「なぜですか? 私たちは夫婦なのですから、協力して政務にあたることを責められるいわれはないはずです。ねえ、そうですよね、宰相」
とはいえ、今の私には宰相という後ろ盾があるのだ。私たちがまた口論になりそうな空気を察して、そそくさとその場を去ろうとしていた宰相の背中に、すかさず声を掛ける。宰相は、レオンス様とは決して目を合わそうとはしなかった。明後日の方向を見つめながら「マリィタ妃が正しいかと〜」と、冷や汗を流しつつ、私に同意を示してくれる。
「何か問題があるのなら、それを仰ってください」
「問題と言うか、……困るんだよね」
「何がです?」
困るようなことなど、何もないはずだ。私が何を担当するかは、全て宰相の適切な判断が入っている。だから外交問題のような、長年の経験がものを言う重要な業務を任されたことはない。
全く見当が付かず、一体何が困るのかとその内容を尋ねると……。
「君たちが、何のために私から業務を取り上げているのかは、理解しているんだよ。ただ……空いた時間に、何をすれば良いか、分からないんだ」
レオンス様は真顔で、ワーカホリックそのものな発言を繰り出したのだった。
「何だ、そんなことですか」
宰相も見落としていた、何か重大な問題がある可能性だってあった。レオンス様のワーカホリックぶりは心配ではあったけれど……彼は、ただふと湧いた空き時間の使い方に困惑しているだけなのだ。私は思わず、肩の力を抜いてしまう。
「何だとは何だい」
「そんなこと、なんでも良いんですよ。音楽でも、読書でも。もし何もする気が起きないときは、日を浴びて『何もしない』をされても良いんです」
「何もしないをする、かぁ……」
私たちが何のためにこんな根回しをしているのか、少しでも理解しているのなら、素直に休んでほしい。そう思いながらリフレッシュできそうな事柄をいくつか並べ立てると、レオンス様は釈然としない様子で私の言葉を繰り返した。こんなことで、そんな難しい顔をしないでいただきたい。
——とは言え、後日の空いた時間に、バルコニーでただぼんやりと空を見上げているレオンス様を目撃したので、この件については経過良好として良いだろう。
◆
この国に輿入れして、レオンス様を間近で見ていると、かつての印象からだいぶ変わったなと思う。
何と言うか……意外と、危なっかしいのだ。私がちゃんと傍で見ててあげないと、なんておこがましいことを考えてしまう。まさか推しに対して、し○かちゃんの、の○太さんに対する感情みたいなものを抱くなんて、思ってもみなかった。
そう言えば、いつの間にか彼のことを『推し』と思うが少なくなったなと、ふと気付く。だからといって、幻滅したとか、そういうわけでは決してない。
彼が自分自身のことを投げやりに扱う姿勢には毎度苛々させられるが、それでも彼を嫌いになることなんて一度もなかった。
私が十七歳になった、ある昼下がりのこと。散歩の帰りに城門をくぐると、鍛錬場の方がいつも以上に賑やかだった。
何事だろうと覗き込んでみると、珍しくレオンス様が直接、若い兵士を相手に指導を付けていた。
訓練用の木製の剣で、レオンス様と兵士が激しい剣戟を披露している。兵士が大きく振りかぶり、渾身の力を込めて振り下ろす。それをレオンス様が真っ向から受けて、一瞬鍔迫り合いのようになる。が、レオンス様はすぐさましなやかにそれを受け流し、勢い余った兵士の剣は地面へと突き刺さった。レオンス様はそれを素早く足で踏んで固定し、空いた手で手刀を作り、兵士の兜のてっぺんを軽くチョップする。
おぉ! と周りで囲んで見ていた兵士たちから、歓声が上がる。やり込められた若い兵士も、悔しそうにしつつも、レオンス様に尊敬の目を向けていた。
——格好良い。
一連の無駄のない動きを眺めていた私は、ふと噛み締めるようにそんな素直な感想を抱いてしまった。
彼の危なっかしさや、どうしようもなさを知ってしまった今では、かつてのように彼の一挙手一投足に逐一ときめくことはない。それでも、ふとした瞬間に見せる彼は間違いなく格好良くて、私の情緒はめちゃくちゃにされるのだ。
何を堪えているのか、自分でもよく分からない。それでも私は、ぐっと奥歯を噛み締めて、鍛錬場の様子を眺め続けた。
今日は日差しの強い、暑い日だった。鍛錬がいったん休憩となった間に、何人かの兵士が井戸から桶一杯に冷たい水を汲んで来て、仲間に容赦なくぶっかけ始めた。熱中症対策なんて言葉もない世界だが、彼らがやっていることは間違いなくそれだろう。
兵士の中には、喜んで水をかぶる者も居れば、咄嗟に水から逃げ回る者もいた。
そのとき、レオンス様は少し離れた木陰で、いつの間にかやって来ていた宰相と何やら話し合っていた。
そこへ、水をかぶりたくない兵士の一人が、勢いよく駆け込んでしまったのだ。いや、決してレオンス様のもとへわざと走ったわけではないのだろう。はしゃいで縦横無尽に走り回った結果、行き着いた先がたまたまそこだっただけだ。
その兵士に向けて、桶を持った追っ手の兵士が「オラー!」と遠慮なく水を勢いよくぶちまける。
「あ」
結果として、冷や水の洗礼は、木陰にいたレオンス様と宰相にも思い切り被ることになった。
「も、申し訳ございません、陛下! 陛下に掛けるつもりはっ」
「宰相殿までっ、大丈夫ですか!? 今拭くものを……」
途端に、その場に居た兵士たち全員が慌て出す。
ただ話をしに来ただけなのに、突然水浸しにされた宰相は、深く眉間に皺を寄せた。
レオンス様は——
「はは、ははは!」
腹を抱え、口を大きく開けて、大笑いし始めた。
「大丈夫、大丈夫だよ、はは」
それから、すっかり狼狽える兵士たちを優しくフォローする。しかしその声も、すっかり愉快そうに震えていた。
まあ、三十七歳にもなって、水浸しになることなど稀なのだろう。
……元気だなぁ。元気なら、何よりだ。
屈託なく笑い声を上げる彼の様子に、私はしみじみと、そんなことを思った。
——そして、昼時。
レオンス様は昼食の席に、いつもより十分ほど遅れて到着した。髪も服もすっかり綺麗に整えられ、つい先ほどまでの子どものようなはしゃぎっぷりは完璧に隠蔽されている。
「待っててくれたのか、すまないね。先に食べてくれても良かったんだよ」
その上、すっかり落ち着いた大人の声でそんなことを言うものだから、私は内心吹き出しそうになるのを必死に堪えた。
「いえ。なぜお遅れなのか、見当はついてましたので」
「え」
私は声が震えそうになるのをぐっと抑えて、つとめて塩な声色で告げる。席についたレオンス様は、ギクリといった様子で弾かれたように顔をこちらに向けた。
なので私は、思い切り意地悪く片方の口端を上げて言ってやったのだ。
「随分、お楽しみでしたね」
「……見られてたとは」
すると彼は、恥ずかしそうに顔を伏せ、頭を抱えてしまった。こっそり覗き見れば、耳までほんのり赤い。
その様子に、ついに私は耐えきれず、声を上げて笑ってしまった。
◆
——そうして、輿入れから五年の月日が過ぎた。
五年の間、私は業務と体調と相談しつつも、ほとんど毎日散歩をしていた。ちなみに、城下町の道制覇は、比較的早いうちにすんでいる。
レオンス様との散歩も、変わらず月1回のペースで継続していた。
ある年には、実際の海にも連れて行ってもらった。それはもう散歩と言うよりは、立派な小旅行だったけれど。海辺の近くまで馬車で向かい、二人きりで砂浜を歩いた。
すると、またレオンス様が水平線を遠く見つめて思い悩んでいるような様子を見せたので、私はその横顔に思い切り海水をぶっかけてやった。レオンス様はそれを私にやり返すような大人気ないことはしなかったけれど、私が勝手にはしゃいで転んだせいで、帰る頃には結局二人ともびしょびしょになっていた。体を拭くようなものも持って来ていなかったので、帰りの馬車の御者に平謝りすることとなったのだった。
……余談だが、海のニオイと魚のニオイは似て非なるものだった。それをレオンス様に伝えると、彼は「うんそうだね」とまた生暖かい微笑みを見せた。ニオイフェチの誤解は、まだ継続しているかも知れない。
月一ペースで一緒に散歩して、たまに少し遠出もする。私たちは端から見たら、絵に描いたような円満らぶらぶ夫婦だ。だからこそ、非難と言うよりは、純粋な疑問が向けられる。
——なぜ世継ぎを作らないのか、と。
前世の私は、恐らく十八歳を前に死んだ。正直、最後の方は意識がもうろうとしていて、自分が死んだことは分かっているが、それが正確に何月何日だったのかは把握していない。確かに覚えているのは、十七歳の誕生日は迎えられたと言うことだけ。それからしばらくして、ぐずぐずと体調は悪化していったので、多分そのくらいには死んだのだと思う。
今生の私は、十八歳となった。ついに、前世より長く生きてしまった。
何となく、十八歳になるまでは、自分自身に言い訳ができた。私の、マリィタの延命は、各方面への多大な迷惑の上に成り立っている。それを十八歳になるまでは、どこか見て見ぬふりをすることができたのだ。
でも……。
(——どうしようかな)
夏祭りの夜のこと。
町中が暖かなランタンの灯りで照らされ、大人も子どもも関係なくはしゃぎまわって夜を明かす。現代の煌びやかな夜景などに比べたら、全然薄暗い。でもそのおかげで夜空が照らされることはなく、星がとても綺麗に見える。星空が上下にあるような、贅沢な景色だった。
祭りに繰り出してみたい気持ちはあったけれど、さすがにあれは無礼講と言うか、王と王妃が割って入ったらお邪魔だろう。
そんな贅沢な眺めを、城のバルコニーから、私とレオンス様は二人で静かに見下ろしていた。
海辺の砂浜でキャッキャウフフしたり、祭りの夜を二人で過ごしたり。まるで失われた青春を取り戻しているかのようだ。私はレオンス様のおかげで、前世でできなかったことを、たくさん経験させてもらっている。
だからこそ、何度もぶり返してしまう。どうしようか。何度頭の中で繰り返しても、明確な答えは出ない。
レオンス様の国も、自然主義だった。だから私たちは、離婚はできない。
ただ、1つだけ方法はある。私が、魔女になることだ。伴侶が異端者だった場合のみ、例外的に離婚は認められた。
もし魔女になっても、私は多分、極刑にはされないだろう。それでも、一生幽閉か、あるいは流刑か。狭い場所へ死ぬまで閉じ込められるのは、嫌だ。せめて流刑が良いな。いや、このひ弱な体で流刑なんてされたら、すぐに死んでしまうか。死ぬのも、やっぱり嫌だった。
「マリィタ」
ふいに名前を呼ばれて、自分が町と星の瞬きを目に入れながらも、考え事に深くのめり込んでいたことに気付く。
隣に立つレオンス様を見上げると、月に照らされた彼は、目を離すことができないくらい……厳かだった。
「最近、よく考え事をしているね。何か、気になることでも?」
その引力に促されるまま、全てを吐露できたら良かった。でも、できるわけもなかった。だから私は「レオンス様には関係のないことです」と突っぱねる。突っぱねたかったが、これ以上彼に心配も掛けたくなかった。結局私は小さく微笑んで、それを口にしていた。
レオンス様は「そう」と、ただ静かにうなずいた。
「私に君を、助けさせては、くれないんだね」
——その言葉に私は、なぜか無性に、泣きそうになった。
レオンス様には、私を責める気など毛頭ない様子だった。ただ静かな空気をまとったまま、夜空を見上げてそれを口にしたのだ。
私の延命は、何よりも、彼を傷付けることで成り立っている。
レオンス様に、幸せになってほしい。それは間違いなく私の本心だった。
でもだからと言って、自分の身を投げ出すような勇気は出ない。死ぬのは怖い、死にたくない。それもまた間違いなく、私の本心だからだ。
私は今、愛を試されていて、その難題から、ただひたすらに目を背けている。
……しかし。その問題は、私にとっては世界の全てであっても、世界にとっては、些細なことだった。
私がどれだけ思い悩み、立ち止まっていようと、時間はただただ単純に、平等に進んでいく。
私はそんな、個人的な悩みで頭がいっぱいで、すっかり忘れていたのだ。
レオンス様が三十九歳のときに訪れる、彼の——『死にイベ』を。
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