4.陰った小道と、冷たい風
謁見の時間を終えるなり、レオンス様たちは迅速に情報を整理した。それから、何人かの兵が司祭と共に向かい、子どもたちは無傷で無事に保護された。
保護された子どもたちは、全員で十人ほど。
綺麗に整備された町で、なぜ孤児がと宰相は困惑していたが……確認すると、全員、町の外から流れついた子どもだったそうだ。行商中に親を亡くしてこの町に辿り着いた子もいれば、旅芸人の座組からこの町で置き去りにされてしまった子もいた。
この町なら、なんとか生きていける。そう思わせるほど治安だったからこそ、あの裏路地が行き場のない彼らの受け皿となっていたらしい。
この町にも、教会はある。しかしそれは城門の内側、城と隣接する場所にあった。城門の門番は、町の住民なら簡単に通してくれる。だが、行き場のない子どもたちに、その門を越える術は思い付かなかったのだろう。
教会の立地が今回の事態を招いたのかも知れない。なので、城門の外側、城下町にも新たに教会を建て、そこに孤児院を併設しようという計画が立ち上がった……。
レオンス様は以前「時間は作るものだ」と仰ったが、さすがに処理すべき案件が山積みで、なおいっそう忙しそうにされていた。
とはいえ私に手伝えることもないので、せめて邪魔にならないよう、私は私の日常を静かに過ごすことに専念していた。
——そうして、一ヶ月が過ぎた頃。
「今朝は、時間が取れそうなんだ。君の散策に、ご一緒しても?」
朝食の席で、突如そう告げられた。
「仕方ないですね!」なんて言葉が喉まで出かかった。だが、あまりにもツンデレのテンプレート過ぎて、口にする直前で猛烈に恥ずかしくなってしまう。
しかし、他にちょうどいい返事も思い付かなくて……私はただ黙って、1回小さくうなずくので精一杯だった。
◆
「おや、マリィタ様! 今日はレオンス様とご一緒ですか」
「マリィタ様、レオンス様のお隣ですと大人しいですねぇ。いつもは——」
「へぇ、いつもは?」
「聞かなくて良いですから! そこの貴方も、しー! しーっ!」
城を出て城門をくぐり、賑やかな城下町へ足を踏み入れる。
城門前の大通りは商売が盛んで、いつも人通りが多い。その活気が、国王の登場によってさらに浮き足立つ。嬉しそうに声を掛けて来る町の人々に、レオンス様も穏やかに口元をほころばせて返事をしていた。
「それで、君はいつもどこを歩いているんだい?」
町の人たちの歓迎がひと段落し、行くあてもなくゆっくりと歩を進めながら、レオンス様がたずねてきた。
「どこと言うか——全部、片っ端からです」
「うん?」
「せっかくなので、全部、歩いてみたくて」
「……そっか」
レオンス様がどこか生暖かい笑みを浮かべ、一応とばかりにうなずいて見せる。自分でもちょっと変な歩き方をしている自覚はあるので、そんな目で見ないでほしい。
「じゃあ、その中で君のお気に入りになった道はあったかな」
「こっちに行くと、民家とパン屋があるんです。朝一番に歩くと、ずっと美味しそうな匂いがするんですよ」
「またニオイの話だ」
彼のその言葉には、呆れた様子など少しもなかった。クスリという音を交えたそれは、幼い子どもの微笑ましい行動を眺めるときのものに近い。
(仕方ないじゃないか! こちとら前世の病院暮らしと今生の城暮らしの中で、町のニオイに馴染みがないんだから…!!)
話の流れからして、私のオススメの道をお歩きになりたいのだろう。私はツンと顔を背けると、先ほど自分が指差した方へと歩き出す。想定通り、レオンス様は私のすぐ後ろをついて来た。
「あ、マリィタ様だ! おはようございます!」
「王様だ、王様もいる! ママー! 王様だよ~っ!」
オススメの小道に入ると、そこはもう朝の食事時を終えたところだったらしい。働き手に駆り出されないくらい幼い子どもたちが、勝手気ままに遊んでいた。
子どもの一人がこちらに気づくと、その歓声はあっという間に路地全体へ伝染する。ほとんどの子が弾むような足取りで駆け寄ってきたが、うち一人は「ママー!」と叫びながら路地の奥へと走って行った。
「あの子は?」
「角のパン屋のお子さんなんです。店先にいるお母様へ知らせに行ったのでは……あ、戻ってきましたね」
興奮した様子で奥へ走って行った子どもが、そんな話をしている間に早くも駆け戻ってきた。その小さな手には、焼き立ての丸パンがいくつか詰められた紙袋が握られている。
「王様っ、これ、母からです! マリィタ様は食べられないとのことでしたが、王様なら食べられるでしょうって!」
「良い匂いだ。ありがたくいただくよ。母君にも、ありがとうと伝えてくれるかい」
「ママー! 母君だってー!!」
レオンス様の言葉を聞くや否や、子どもはくるりと振り向き、店内にいるであろう母親へ向かって叫んだ。ここからパン屋まではそこそこの距離があると言うのに、「あら〜!」という活力に満ちた女性の声が、朗らかに響いてくる。それを聞いて、レオンス様は「ハハ」と声を漏らして破顔した。
そして、その子の頭を優しく撫でてあげると、再び歩き出す。その後ろを、子どもたちがまとわりつくようにゾロゾロとついていく。まるでハーメルンの笛吹き男のようだ。私はそのさらに後ろから、のんびりとついて行くことにした。
「本当だ、ずっと美味しそうな匂いがするね」
その言葉は、もしかしたら私に向けられたものだったのかも知れない。だが、応えたのは周りを取り囲む子どもたちだった。
「これはうちの玉ねぎスープの匂い!」と一人が口火を切ったのを皮切りに、全員が今日の朝食メニューを誇らしげに披露し始める。玉ねぎ、卵、ふかしたジャガイモ……。それらの香りは、パンの香ばしい匂いと混ざり合って通りを満たしていた。
元気いっぱいの子どもたちの姿に、レオンス様は目元を優しく細める。一国の王が自国の子どもたちに笑顔で囲まれている図は、誰が見ても微笑ましい光景だった。
しかし私は、レオンス様の手にある紙袋の行方が気になって仕方がなかった。
……どうするおつもりなんだろう。
私は散策の際、町の人から食べ物を貰わないようにしていた。町の人々を疑っているわけではない。ただ、城での食事は厳重に管理されていると言うのに、外でいただいた食べ物をひょいひょいと口にするのは、何と言うか……おかしいと思ったからだ。だからいつも、「朝食後でお腹いっぱいなんです」とお断りするようにしていた。
それなのに。レオンス様は当たり前のように、それが当然の礼儀であるかのように、受け取ったのだ。どうするおつもりなのだろう。そんな疑問が頭を占めてしまい、彼と子どもたちの会話は、ただの音として通り過ぎていく。
だから、どういう流れでそうなったのかは分からない。
子どもの一人が、彼の持つ紙袋を指さした。レオンス様は微笑んでうなずくと、紙袋から丸パンを1つ取り出し——何の一瞬の躊躇もなく、パクリと口に運んだ。
その様子を見て、パン屋の子どもが鼻を高くして胸を張る。
……やがてパン屋の前も通り過ぎ、ひと区画向こうの角についた。子どもたちは家から遠く離れないよう言われているのだろう。彼らとは、そこで解散となった。
角を曲がると、そこは建物の陰になった静かな細道だった。遠ざかる子どもたちに手を振り、彼らがある程度離れたことを確認してから、私は彼と向き合う。
「お食べになるんですね、パン」
「うん?」
「私はいつも、断っていたので……」
城の中では、謀略が渦巻いている可能性はある。けれど、あんな無邪気な子どもが届けてくれた食べ物まで警戒するなんて。いくらなんでも、私は全てをひとくくりにして考えすぎていたのかも知れない。
目の前で当然のようにパンを口にしたレオンス様を見て、私は自分の臆病さが恥ずかしくなってしまった。だから、それを白状するように彼に伝えた。
「……私も、国民を信用して食べたわけではないよ」
だが。少しばかり尊敬の念すら抱いていた私の思考を、彼はあっさりと否定した。「え」と、驚きで声が漏れる。
「もしこのパンに毒が入っていたとしても、構わないと思ったんだ」
「構わないって……死んでもですか?」
「うん。国民に、死んで欲しいと思われていると言うことだからね」
陰った小道に、ざわりと冷たい風が吹き抜けた。レオンス様はそこで言葉を区切り、風がおさまるのを待つ。
「そんな王なら、死ぬべきだろう?」
それから続いた言葉は——私の脳をぐわんと強く揺さぶるほど、衝撃的なものだった。
「ハア?」
今度は、勝手に漏れ出た声ではなかった。
一音一音、私の喉が確かに発した声。それは、私が出せる限界の低音で、地を這うように低かったと思う。
レオンス様は、自分が何を仰ったのか正しく理解していないようだった。いきなり雰囲気を変えた私を、まるで心外だとでも言いたげに、口角を上げながらも首を傾げて見てくる。
「死んでも構わないって、本気で仰ってるんですか?」
「国民に、それを望まれたならね」
「誰かに望まれたからって死ぬんですか? 国民の、誰か一人にでも望まれたら、死んで見せてくれるんですか?」
「マリィタ?」
「そんなのっ、貴方を信じている宰相はどうするんです? 私だって……困ります、そんなの。人間は、死んだら終わりで、何もできなくなるんですよ! 分かって仰ってます? 国民を信じて食べて、結果として死ぬならまだしもっ」
「……死ぬなら、同じじゃないかな」
「同じじゃない! 違います、全然っ!」
彼のその態度は、私にとって最大の地雷だった。
彼は、生きているのに。
私が前世でも今生でも喉から手が出るほど欲しかった、健やかで素晴らしい肉体を持って、生きているのに。
レオンス様は国の王だ。大変で、忙しくて、羨ましいなんて口が裂けても言えない。でも、それでも——許せなかった。
だって、そんなのは、あまりにも命を軽視している。
自分の命をそんな風に雑に扱うなんて、そんなの……そんなの……!
「そんなのっ、全然格好良くないですよ!!」
——それは、まるで必殺技を放つような声量だった。
なので、音はジン……と反響して、それがおさまると、残ったのはいたたまれないほど静寂だった。
違う、間違えた。
私は自分が何を言ったのかを自覚して、顔を両手で覆ってしまう。
命を飄々と話す彼に、腹が立ったのだ。その様子を見て、「格好付けやがって」という気持ちがふっと湧いて、それがまず最初に口から出てしまった。彼に、自分の命を大切にしてほしいと伝えたかっただけなのに。これではまた、変なことを言っていると流されてしまう。
けれど、口から飛び出してしまった言葉を取り消すことはできない。
これで彼がいつものように余裕ぶった笑みを浮かべたら、どうしよう。私は、彼に何と伝えればいいのだろう。そんな途方に暮れた気持ちで、恐る恐るレオンス様の顔をうかがうと——
「……」
彼は、仮面を剥がされたような無防備な表情を晒し、唖然として固まっていた。
その反応があまりにも予想外すぎて、私も呆けてしまい、続く言葉が出て来ない。
「……痴話喧嘩?」
「お母さん呼んできた方が良いかな……」
そうして沈黙だけが残った路地に、背後から子どもたちのひそひそ声が届いた。
しまった。ここはまだ、先ほどの路地のすぐ目と鼻の先だった。大声を張り上げれば、子どもたちが心配して戻って来るに決まっている。
「今のは失言でした。国王陛下に対して、大変おこがましい口をきき、申し訳ございません」
これで本当に親御さんを呼ばれでもしたら、気まずいどころの騒ぎではない。そうでなくても、今の私の発言はあまりにも失礼極まりないものだった。頭を下げたからと言って許されるとは思わないが、とにかく謝罪を口にし、深く頭を下げる。
「私、やっぱり、一人で歩きます」
それから、それだけ告げると、私は踵を返した。このギクシャクとした状況で、彼との散策を続けることなどできないと思ったからだ。
……その間、レオンス様はずっと無言のままだった。彼にしてみれば、自分の死生観を少し口にしただけなのだ。それを年下の小娘から突然大声で怒鳴られたのだから、当然の反応だろう。
けれど、言葉は拙く失言だったかも知れないが、私のあの怒りだけは本物だった。だから私は、一人佇むレオンス様を、一度だって振り返るまいと足早に歩き出す。
「マリィタ」
だが、名前を呼ばれた。
……それを無視して歩き去ることは、どうしてもできなかった。
威圧的な声だったからではない。
まるで、迷子の子どものように、不安そうに揺らいで聞こえたからだ。
たった数秒前に、絶対に振り返らないと決めていたのに。私は何を考えることもなく、当たり前に、彼の方へと振り返っていた。
「海は、見たくない?」
彼は、やっぱり笑っていた。
けれどそれはいつもの余裕に満ちたものとは違っていて、どこか、少しだけ寂しそうに見えた。
きっと彼には、私がなぜあれほど声を張り上げて怒ったのか、理解できていないのだろう。
けれど、その話を蒸し返すようなことはしないし、形ばかりの謝罪を口にすることもして来ない。それでいて、このまま私と気まずく別れることだけは避けたいのだ。だからやむなく、私が飛びつくであろう魅惑の餌をぶら下げてみせたのだろう。以前、私が「海を見たことがない」と言ったのを覚えていて。
本当に、何も分かっていない。私はいっそ悲しくなってしまった。
でも、だからといって……彼のその誘いを、振り切る気にもなれなかった。
「仕方ないですね」
返した言葉は、まるでツンデレセリフだった。
けれど、これは紛れもない、私の心からの言葉だった。
本当に、仕方のない人だなと……心の底から、そう思ってしまったのだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
もし楽しんでいただけたのなら、
ご感想やレビュー、ブックマーク・評価などいただけますと、嬉しいです!
よろしければ、続きにもお付き合いいただけますと幸いです<(_ _)>




