第四十六章 加藤家の暮らし
咲恵は毎朝早く家を出ると、大学に登校する前に加藤利昭の家に寄った。合い鍵で勝手に上がり込み、朝食の支度を始めた。ダイニングに美味しい匂いが漂う頃、利昭が起きてきて咲恵の頬にチュッとして、
「おはよう。毎日ありがとう」
と洗面所に消えた。いつものパターンだ。顔を洗い終えると、利昭は翼と雛を起こして着替えを済ませて皆で食卓を囲んだ。
朝食が終わると、咲恵が後片付けをしている間に利昭は出勤支度を終えて、
「咲恵さん、行ってくるよ」
と必ず声をかけた。エプロンで手を拭いながら、
「行ってらっしゃい。お気を付けて」
と利昭を送り出した。
「翼ちゃん、雛ちゃん、学校の支度早くしてよ」
翼と雛を学校に送り出すと、咲恵は登校支度を調えて家を出た。ここのとこ毎日のパターンになっている。まるで主婦だと言うより主婦をしていた。母親の君子が知ったら腰を抜かすかも知れない。
大学の授業を終えて利昭から預かっている食材費で買い物を済ませて加藤の家に戻ると翼と雛が飛びついてきた。この瞬間が咲恵にとっては至福の一時だ。ここのとこ利昭は帰りが遅い。遅い時は一二時近くにもなる。利昭は政府系事業開発投資銀行の部長をしているらしく、今は大きな案件をいくつか抱えて会議、会議で多忙だと言っていた。
「咲恵さんが来てくれるお陰で僕は仕事に集中できてすごく助かるよ」
利昭は最近口癖のように咲恵に頭を下げる。
「あたし、好きでやってるんだから気にしないで下さい」
毎日こんな生活をしているのに、利昭は未だに咲恵の身体に触れようとはしなかった。咲恵はそれだけは不満だった。若き情熱に焦がされて、咲恵はいっそのこと強行に出てみようかと何度も考えたが勇気が出ずにずるずると来てしまった。けれど、今では息子の翼と娘の雛がすっかり懐いてくれて、性への不満を少し和らげてくれるのだ。
子供たちは宿題を済ませてお風呂と夕飯が終わると寝かせ付けた。宿題は咲恵が丁寧に手伝った。だから二人とも学習塾に通わせていないが学校の成績は良かった。
雛のあどけない寝顔にチューをしてから子供部屋を出ると、自分の勉強をしながら利昭の帰りを待つ。
「ただいま」
夜遅く帰宅した利昭は咲恵の笑顔を見てほっとする様子だ。
「今夜も遅かったね。お疲れ様」
夕飯の支度を終わると、身支度をして家を出た。家路を急ぐ咲恵は幸せだった。
「毎日遅いわねぇ。いったいどこで何をしているの?」
君子はいつも同じことを訊く。父の敏夫はほったらかしで咲恵にそんなことを訊いたことがない。咲恵にしてみれば干渉されない方が良かった。
「今夜は友達の家に上がってビデオを見てたら遅くなっちゃって」
毎回違うウソをつくので、最近では帰宅途中に言い訳を考えていた。いつも同じ言い訳じゃなんとなく疑われるような気がする。なので毎回言い訳の内容を変えていた。母親は娘の言うことをそのまま信じているのか分からないが友達の家に確認の電話をするような詮索は一切しないので咲恵は助かっていた。一度でもそんなことをされたらウソがバレてしまう。
今夜も加藤の家で子供たちを寝かせ付けてから本を読んでいると突然電話が鳴った。
電話を終わると咲恵は子供たちを揺すって起こし、着替えを済ますと家を飛び出した。
咲恵に手を引かれて歩く翼と雛はいつもと違う咲恵の顔色を窺いながら黙って歩いた。




