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地蔵堂の鈴と、解体屋の黒い刃 〜保育所のお迎えに間に合わせるため魔獣を解体していたら、勝手に伝説の解体士と呼ばれていた〜  作者: 草むしり50年
第13章:異常な数値と、遺されたもの編

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第099話:異常な数値と、技官の悲鳴

 カーテンの隙間から差し込む柔らかな朝陽が、ダイニングのテーブルを白く染めていた。


 昨夜の賑やかな宴の片付けは綺麗に終わり、シンクには洗い立ての皿が整然と並んでいる。

 早朝の澄んだ空気の中に、ことことと小さな湯沸かしの音が響いていた。


「ぱぱ、あむ!」


 子供用のハイチェアに座った鈴が、小さなスプーンを両手で握りしめていた。

 口の端にヨーグルトの白い泡をつけながら、満面の笑顔で短い足をぱたぱたと揺らす。

 奇跡の銀匙で一口大にすくったバナナを差し出すと、鈴は器用に口を開けてパクリと咥えた。


「おいし!」


「よしよし、上手に食べられたな」


 濡らしたガーゼで口元を拭ってやると、鈴は満足そうに目を細めて「んふー」と鼻を鳴らした。

 第35層の暗黒大空洞で、命を削って刃を振るった痕跡は、この部屋のどこにも残っていない。

 あるのは、朝の柔らかな空気と、娘の確かな体温だけだった。


 8時半過ぎ、特区の認可保育所へ鈴を送り届ける。


「ぱぱ、ばいばーい!」


 保育士の先生に抱き上げられた鈴が、小さな手をちぎれんばかりに振った。

 俺も片手を軽く振り返し、保育所の門を出る。


 17時のお迎えまで、およそ8時間。

 普段なら装備の手入れや買い出しで潰す時間だが、今朝はギルドから呼び出しがかかっていた。


   *


 第7区、ギルド特区出張所。


 朝のロビーは、第1区の深層ゲート崩落と全面凍結の余波を受け、浅層・中層の依頼板を取り囲む探索者たちでごった返していた。

 受付カウンターの脇を抜け、奥の業務通路へ進むと、待っていた長谷川さんが足早に歩み寄ってきた。


「おはようございます、間宮さん。朝早くから呼び出して申し訳ありません」


「いや、構わないが。定期測定だったか」


「はい。先日の大規模防衛戦から一定期間が経過したBランク以上の探索者に対し、ギルド規定第14条に基づき、最新の【生体魔力測定】の更新が義務付けられています」


 長谷川さんが手元のタブレットを操作しながら、廊下の突き当たりにある生体スキャン室を指差した。


「本来ならもっと早く受けていただくはずだったんですが、都市の復旧作業や諸々の混乱で遅れてしまいまして。あちらのブースへどうぞ」


 案内された測定室に入ると、部屋の中央に白銀の金属シリンダーが鎮座していた。

 以前、Bランクライセンスを取得した際に入った、あの最新鋭の生体測定器だ。


 コンソールデスクの前には、見覚えのある白衣の専属技官が座っていた。

 眼鏡の奥の目で俺を一瞥し、キーボードを叩く。


「間宮凌探索者ですね。前回の測定から約3週間。外郭防壁での激戦もありましたから、魔力回路の損耗や微小な断裂がないか、しっかり診察させてもらいますよ」


「ああ、よろしく頼む」


「靴を脱いでプレートの上に立ち、両側の生体感知グリップを握ってください。全身の力を抜き、体内の魔力を自然に循環させてくださいね」


 俺は靴を脱ぎ、ひんやりとした金属プレートに素足で上がった。

 左右の黒いグリップを握り込むと、手のひらの皮膚を通じて微弱な測定パルスが体内に染み込んでくる。

 言われた通り、全身の神経と筋繊維へ、体内を巡る魔力をゆったりと流した。


 ブゥゥゥゥン。


 シリンダーが低音を唸らせ、青白いスキャンリングが頭上から足元へと滑らかに下降する。

 最初は端末のモニターを退屈そうに眺めていた技官が、ふと眉をひそめた。


「ん? おいおい、なんだこの初期波形は。基底値のゼロ点が狂っているのか?」


 技官が首を傾げ、コンソールの校正ボタンをパチパチと叩いた。


「おい、センサーのノイズフィルターを、」


 技官の台詞は、最後まで発せられなかった。


 ピピッ、ピピピピピピピピピピピピピッ!


 突如、測定室の防音壁を震わせるほどのけたたましい警報音がスピーカーから噴き上がった。

 モニターの液晶画面が激しく明滅し、幾何学模様のグラフが天蓋を突き抜けるように跳ね上がる。


「な、なんだッ!? 出力波形が限界計数域を突破したぞ!? 計器が壊れたのか!?」


「えっ!? ちょ、ちょっと先生、何が起きてるんですか!?」


 長谷川さんが血相を変えてモニターへ駆け寄る。

 技官は椅子から転げ落ちそうになりながら、カタカタと震える指で画面を指差した。


「ば、馬鹿な! こんな数値、理論上あり得んッ!!」


 モニターの中央に、赤い警告枠とともに更新された測定結果が表示されていた。


『生体魔力測定結果:間宮 凌(25歳)』

・魔力保有量:1240(前回測定値:480)

・瞬間最大出力:280(前回測定値:95)

・変換効率:92パーセント(前回測定値:85パーセント)

・実効瞬間出力:258(算出値:280 × 0.92)


「ひ、ひぃぃぃぃぃッ!?」


 技官が両手で頭を抱え、喉が裂けんばかりの悲鳴を上げた。


「魔力保有量が1200超えだとぉぉぉッ!? 前回から2.5倍、初期値の131から見たら9倍以上だぞ! 瞬間最大出力も3倍近い280!? しかも何だこの変換効率は! 92パーセントだと!? 90パーセントの大台を超えた人間なんて、国内の魔導アカデミーの歴史上、過去に3人しか観測例がないぞ! エネルギーの散逸がほぼゼロじゃないかッ!!」


 狭い測定室に技官の絶叫が反響し、防音ガラスがビリビリと震えた。

 長谷川さんは口元を手で覆ったまま、完全に石化している。


「ま、間宮さん?」


 冷や汗をたらりと流した長谷川さんが、恐る恐るこちらを振り返った。


「あなた、深層が全面封鎖されていたこの数週間、一体どこでどんな無茶をなさっていたんですか? 何か、禁止薬物でも投与されたんじゃ」


「失礼なことを言うな。俺がそんな危ねぇ薬に手を出すわけないだろ」


「じゃあ何なんですか、この化け物染みた数値の急上昇は!」


「何って、朝起きて鈴に飯食わせて、保育所に送って、夜は早川さんちと鶏肉の煮物食って寝てただけだ。毎日鈴を抱っこしてたのが筋トレになったのか?」


「育児で魔力保有量が3倍近くに跳ね上がる人間がいるかぁぁぁッ!!」


 技官が机を激しくバンバンと叩きながら叫んだ。

 その時、プシューと音を立てて測定室のドアが開いた。


「騒がしいと思ったら、やっぱり先生の測定値でしたか」


「ガハハ! 廊下の外まで技官の悲鳴が丸聞こえだったぞ!」


 入ってきたのは、タブレットを抱えた如月雫と、作業着姿の倉田巌だった。

 二人ともアルス社の腕章をつけており、長谷川さんが「あ、如月さんに倉田チーフ」と息を吐いた。


「雫、倉田。なんでお前らまでここにいるんだ」


「先生の定期測定があると長谷川さんから伺っていたので、生体データを工房でリアルタイム共有していただいていたんです」


 雫が眼鏡のブリッジを指先で押し上げ、モニターの数値を真剣な眼差しで見つめた。


「魔力保有量1240、瞬間最大出力280、実効出力258。完全にAランク上位探索者の標準スペックです」


「やっぱりそうなのかよ。おい倉田、機械の故障じゃねぇのか」

「機械は正常だ、間宮。お前さんの身体の中で、とんでもない変化が起きてる証拠だよ」


 倉田が首筋のタオルで汗を拭いながら、不敵に笑った。


「普通の探索者は、魔獣が消滅する瞬間の過剰魔素、いわゆるアストラル残滓を、離れた位置でわずかに浴びるだけだ。だがお前は違う。解体屋時代からずっと、ゼロ距離で魔核に刃をねじ込んできた」

「そりゃ解体屋の仕事だからな。核を傷つけずに腱を外すには、密着しなきゃ手元が見えねぇ」

「それが異常なんです!」


 雫が語気を強めて一歩踏み込んできた。


「先生は一生涯かけても浴びない量の残滓魔力を、皮膚から、毛穴からシャワーのように浴び続けているんです。普通なら魔力中毒で神経が焼き切れます」

「だが間宮には、変換効率90パーセント超という異常な自己制御がある。焼かれる前に外来魔素を無理やり体内回路へ押し流し、血肉に変えちまったのさ」


 倉田がタオルを肩に掛け直し、締めくくるように言った。


 測定室の中が、しん、と静まり返った。


 俺は自分の右手を持ち上げ、手のひらを握ったり開いたりしてみた。

 確かに、最近は刃物を握った時の魔力の通りが異様に滑らかだった。だが、それは単に道具の調整が上手くいっているからだと思っていた。


「シャワーって言われてもな。返り血と焦げた煤で作業着がダメになるだけだ」


「この期に及んで作業着の心配ですか」


 長谷川さんが額に手を当て、深々と長いため息を吐いた。


「まあ、間宮さんらしいといえばらしいですが。先生、このデータでギルド本部へ公式登録をお願いできますか」

「あ、ああ。信じられん、こんな規格外の検体、学会に論文を出したいくらいだ」


 技官がブツブツと呟きながら、震える手で承認キーを叩いた。

 ピロン、と長谷川さんの端末に処理完了の通知が届く。


「間宮凌探索者。データ更新が完了しました。数値上はAランク上位の基準を満たしていますが、深層全面凍結の状況とご本人の希望を考慮し、ライセンス表記は【Bランク(特級基準適合)】として据え置きます」


「それで十分だ。ランクが上がっても税金が高くなるだけで碌なことがねぇ」


「税金の話もしないでください!」


 長谷川さんが苦笑しながら、新しいライセンスカードを手渡してきた。


「実は、この測定結果と如月さんの観測報告書が揃うことで、深層探索の限定的な正式再開に向けた審査が動き出します」


 雫が静かに頷いた。

 先日、俺たちが非公式に切り拓いた水没バイパス、そしてアビス・カルキノスを討伐したことで得られたピラーの沈静化データ。

 それが、公の舞台で意味を持ち始めるということか。


 俺は壁の時計を見上げた。

 10時15分。


「難しい話は長谷川さんと雫に任せるよ。俺は現場の解体屋だからな。夕方までまだ時間があるし、帰りに駅前のスーパーで特売の挽肉でも買って帰る」


「えっ、挽肉ですか?」


「今夜はハンバーグにする約束なんだよ。鈴がケチャップつけたがっててな」


 長谷川さんが呆れたように、けれどどこか安心したように小さく吹き出した。


「ふふ、相変わらずですね。分かりました、こちらの手続きは責任を持って進めておきます。美味しいハンバーグを作ってあげてください」


「ああ。じゃあな」


 俺は軽く手を挙げ、測定室を後にした。

 廊下の窓から差し込む光を浴びながら、財布の中の会員カードでスーパーの特売時間を頭の中で数える。


 挽肉と、鈴が好きなケチャップ。あと卵も切らしていたはずだ。


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