第097話:届く刃と、断ち切る疑念
空気が爆縮し、頭上から数十トンの鉄塊が落ちてくるような轟音が大空洞を震わせた。
カルキノスの右鋏脚門。
削岩機のシリンダーじみた巨大な生体装甲が、空間の重力場を渦のように巻き込みながら、音速を超えて振り下ろされる。
逃げ場はない。
一撃で岩盤ごとミンチにする質量攻撃。
だが、今の俺には死角を埋める翼があった。
キィィィィン!
頭上に静止していた『天鷲・弐ノ刃』が、青白い反重力光を爆発させて急降下した。
俺の生体魔力と同調した遠隔長剣が、振り下ろされる巨鋏の基部関節へ、コンマ01秒の狂いもなく割り込む。
超音波の微細振動を帯びた刃先が、装甲の隙間にある腱組織を滑るようにスライスした。
ズガンッ!
落下の軌道がわずか数センチ外側へ逸れ、巨大な鋏が俺の真横の石畳へ突き刺さった。
砕け散った敷石の破片が散弾のように吹き飛ぶ。
その暴風を、俺は低く身を沈めて滑り抜けた。
靴底を滑らせながら、右手の『天鷲・壱ノ刃』を一閃させる。
狙うは、台座を踏みしめる太い歩脚の1本。
刃渡り115センチの刀身が、青白い燐光を散らしながら鋼鉄の脚部外殻へ吸い込まれた。
ギャリリリリッ!
耳をつんざく火花が散った。
生体黒鋼と星霊結晶が幾重にも癒着した超複合装甲。
表面の装甲板を深さ5センチほど削り取ったものの、芯の骨格までは届かない。
巨獣の巨体からすれば、蚊に刺された程度の浅手だった。
グオオォォォン!
カルキノスが激昂の咆哮を上げた。
残る7本の歩脚が一斉に大地を踏み鳴らす。
全方位へ向けて、空間を握り潰すような超重力サージが同心円状に炸裂した。
「くっ!」
全身の血液が足元へ引きずり下ろされそうになる。
だが、腰の両サイドから射出された2機の小型レイヴンが、俺の頭上で急速旋回を始めた。
不可視の斥力フィールドが展開され、頭上からの重圧を局所的に相殺する。
同時に、レイヴンの銃口から徹甲ニードル弾が連続で吐き出された。
パパパパパァン!
高周波ニードルがカルキノスの巨大な複眼へ正確に着弾し、赤黒い体液を噴出させる。
視界を奪われた巨獣が、左右の鋏脚を狂乱の勢いで振り回した。
吹き荒れる暴風の中、俺は足裏の感覚を研ぎ澄ませて後方へ跳んだ。
かつての記憶が、脳裏をよぎる。
防壁外のエキスポで、真壁惣一から告げられた言葉。
そして第33層の鍾乳洞で、アビス・ドリル・ベヒーモスの削岩甲殻に弾き返されたあの瞬間。
刃渡り35センチの剛鉈では、どれほど切れ味を高めても、巨大な体躯の奥深くに眠る急所まで物理的に届かなかった。
だが、今の俺の手にあるのは、ただの短い刃物じゃない。
佐伯の親父が魂を込めて叩き上げ、雫が極限まで理論を突き詰めた、二振りの長剣。
刃渡り115センチ。
そして、空を翔けるもう一振りの切っ先。
「35センチじゃ届かなかった。だがな、こいつなら届く!」
俺は息を吸い込み、全身の生体魔力を85パーセントの最高効率で励起させた。
背甲の中央、脈動を速める巨大な受肉核。
直径2メートルの赤黒い塊は、厚さ数十センチに及ぶダイヤモンド並みの硬度を誇る結晶甲殻のスリットに守られている。
普通に斬りかかれば、刃先が届く前に硬度負けして弾かれる。
解体屋の勘が、急所の解繊ルートを弾き出した。
1人での解体じゃない。
4つのスロットを完全に連動させた、四重の立体切削だ。
「レイヴン、両眼の感覚器を潰せ!」
俺の思考に同期し、2機の小型レイヴンが音速で急降下した。
残された複眼の隙間へ、不可視ニードルをゼロ距離で撃ち込む。
バシュッ、とカルキノスの視界が完全にブラックアウトした。
巨獣が苦悶の声を上げ、巨大な両鋏を頭上へ振り上げる。
その瞬間、胸部から背甲にかけての装甲スリットが、わずかに開いた。
「そこだ!」
俺は床を蹴り裂いた。
ベヒーモスの慣性質量相殺が重力の楔を断ち切り、身体が前方の弾丸となって宙へ射出される。
カルキノスの左鋏が、盲目のまま薙ぎ払われてきた。
だが、頭上を並走していた弐ノ刃が、俺の意志を受けて急旋回する。
音速の飛翔刃が左鋏の付け根にある腱へ突き刺さり、力任せに切断した。
ガクンと脱力した左鋏が、俺の足元を虚しく通過していく。
空中に躍り出た俺の正面に、背甲の裂け目が迫った。
奥底でドクン、ドクンと狂ったように脈打つ赤黒い受肉核。
逃げ場を失った過剰アストラルの奔流が、俺の全身の皮膚をチリチリと焼き焦がす。
耳元のインカムから、雫の悲鳴のような荒い息遣いが響いていた。
倒せばピラーが爆発するかもしれないという恐怖。
だが、俺の心に迷いは微塵もなかった。
未来の爆発を言い訳に、目の前で迫っている破滅を見逃す職人がどこにいる。
この刃で断ち切るのは、怪物の肉だけじゃない。
足元を竦ませる、机の上の疑念そのものだ。
「アキュラ、二重螺旋励起!」
俺は右手の壱ノ刃を両手で握り直し、切っ先を背甲の裂け目へと突き入れた。
ガガガガガッ!
ダイヤモンド装甲の硬質な抵抗が、両腕の骨を軋ませる。
だが、止まらない。
刃身に彫られた二重螺旋回路が眩い青白のプラズマを噴き出し、超音波の微細振動が硬化組織の分子結合を瞬時に解いていく。
そして、空中にあった弐ノ刃が、俺の背後からマッハの速度で突入してきた。
ガギィィィィン!
弐ノ刃の切っ先が、俺が握る壱ノ刃の柄頭へ、寸分の狂いもなく直撃した。
追突質量加速。
二振りの天鷲が放つ共鳴衝撃波が、壱ノ刃の刀身を一気に深部へと押し込む!
ズブリ。
手応えが変わった。
硬質な装甲を突き破り、刃渡り115センチの刀身が、最深部の受肉核のど真ん中を貫通した。
「解体、完了だ!」
俺は全身の捻りを利かせ、壱ノ刃を水平に一気に引き抜いた。
ビシィィィィッ!
空洞全体に、巨大なガラスが砕け散るような澄んだ亀裂音が響き渡った。
直径2メートルの赤黒い受肉核が、真っ二つに両断されていた。
カルキノスの動きが、ピタリと止まった。
8本の多脚が硬直球のように固まり、巨大な鋏が力なく垂れ下がる。
次の瞬間、両断された受肉核から、眩いばかりの純白と蒼穹のアストラル光が噴き出した。
『きゃっ!?』
インカムから雫の短い悲鳴が上がった。
だが、恐れていた臨界逆流爆発は起きなかった。
噴き出した光の奔流は、ピラーの主幹回路へ逆流するのではなく、天鷲が刻んだ分子切断面を通じて、大空洞の床面と周囲の結晶鉱脈へと穏やかに散逸していった。
過剰に溜め込まれていたアストラルが、深層の広大な大地へと大地そのものの呼吸のように溶け込んでいく。
サラサラと、カルキノスの巨大な甲殻が灰のように崩れ落ちていった。
3秒周期で街の地下を揺らし続けていた、あの不気味な心拍音が、完全に消滅した。
訪れたのは、信じられないほどの静寂だった。
異常な重力サージが潮のように引き、俺の肩にかかっていた重圧がすっと消え去る。
着地した俺の足元に、カランと澄んだ音が鳴った。
天鷲の弐ノ刃が、静かに鞘へと戻っていく。
壱ノ刃の切っ先を改めるが、ダイヤモンド装甲を貫いたにもかかわらず、刃こぼれはコンマ1ミリも存在しなかった。
「親方の鎚と、雫の回路。いい仕事してやがる」
息を一つ吐き出し、俺は天鷲を背中のホルダーへ収めた。
『先生! 先生、ご無事ですか!?』
静寂を破ったのは、インカム越しに響いた雫の震える声だった。
「ああ。終わったぞ。怪物は片付けた」
『嘘、テレメトリーデータの魔素濃度が急降下しています! ピラーの異常脈動が、危険水域から完全に脱落しました!』
雫の息を呑む気配が、そのまま感極まった吐息へと変わった。
『臨界爆発は起きませんでした。過剰魔素は深層の鉱脈へ分散吸収されています!』
「そうか」
『はい、でも』
雫の声が、ふっと小さくなった。
『完全にゼロには戻っていません。魔素のベースラインは、以前の通常値より少しだけ高いままです。まるで、このさらに深い場所で、別の何かが眠っているような気配がします』
「先のことは、生きて帰ってから考えればいい」
俺は灰になりかけた巨獣の残骸を見下ろしながら、淡々と言った。
「現場の歩兵にできるのは、今そこにある脅威を確実に捌くことだけだ。ピラーの根源がどうとか、そんなものは学者先生たちが一生かけて解き明かせばいい」
通信の向こうで、雫が小さく微笑む気配がした。
『はい。先生の仰る通りです』
『間宮さん! 無事だったのね!』
割り込んできたのは、葵の弾んだ声だった。
『退路は確保してあるわ! バイパスの崩落も、坂東さんのV-RIGで完全に支えてる! 早く戻ってきて!』
『おい凌! 生きてんなら早く顔見せろ! 心臓が縮むかと思ったぞ!』
タケの怒鳴り声と、一条の安堵した溜息が重なって聞こえてくる。
「すぐ戻る。退路を頼むぞ」
俺は通信を切り、崩れた台座の灰の中に手を伸ばした。
カルキノスの受肉核が消滅した跡地に、深紫色の特大魔石が転がっていた。
さらに、砕け散った甲殻の中から、最も密度の高い星霊重装甲の破片をいくつか拾い上げる。
歩留まりとしては十分すぎる収穫だ。
佐伯の親父への土産にも、ギルドへの裏処理素材としても文句はない。
道具を収め、俺は大空洞に背を向けた。
薄暗い回廊の向こう、仲間たちが待つバイパスへと歩き出す。
胸ポケットの時計を見る。
予定通り、明日の夕方には地上へ戻れる。
鈴の待つ家へ、温かい夕飯の時間に、確実に間に合わせるために。




