第094話:深層第34層の裂け目と、鉄喰らいの群れ
地底湖を渡りきると、巨大な石造の門が頭上にそびえ立っていた。
風化したアーチの表面には、青白い幾何学模様の星霊レリーフが刻まれている。
足元は濡れた岩肌から、精密に噛み合わされた古代の石畳へと変わっていた。
「ここが、深層第34層の境界か」
タケが大盾を構え直しながら、見上げるように呟いた。
天井は優に10メートルを超え、太い星霊合金の梁が崩落した瓦礫となって横たわっている。
第1区の正規ゲートがコンクリートで固められている中、俺たちは裏口から深層の懐へと足を踏み入れていた。
「正規ルートが塞がれてるおかげで、ここは手つかずの未踏領域だぜ」
坂東がV-RIGの油圧アームを鳴らし、周囲を照らし出した。
「だが、空気が重すぎるな。肌にまとわりつく魔素の濃さが、上の層とは段違いだ」
「当然だ。ピラーの直下に近い」
一条が静かに息を整え、両拳を握り込んだ。
耳元の骨伝導インカムから、雫の切迫した声が届く。
『先生、ピラーの脈動サイン波、依然として3秒周期で拡大しています。回廊の深部から、異常な生体反応のクラスターを検知しました。警戒してください!』
「了解だ。葵、先行スワローの感度を上げてくれ」
「任せて」
葵がライフルを構え、2機のスワローを上空の崩落天井へと走らせた。
青白い探照光が、頭上の暗闇を切り裂く。
その瞬間だった。
カチカチカチカチッ、と無数の金属片を擦り合わせるような不気味な音が、空洞全体に木霊した。
「何だ、この音は」
タケが足を止めた。
葵のスワローが照射した光の輪の先。
天井を覆う太い合金の梁が、まるで黒い波のようにうごめいていた。
「みんな、上よ!」
葵が鋭く叫んだ。
探照光に照らし出されたのは、黒褐色の硬質甲殻に覆われた無数の虫だった。
体長約40センチ。
鋭利な大顎を打ち鳴らし、ぎっしりと天井と壁面を埋め尽くしている。
「アイアン・イーターだ!」
坂東が舌打ちした。
「深層の金属鉱石を喰らう甲殻虫だ! だが、こんな数は見たことねえぞ! 数百、いや千匹以上いやがる!」
「金属を喰らう、まさか」
タケが顔色を変えた。
天井の黒い塊が一斉に赤い複眼を光らせ、俺たちを見下ろしていた。
狙いは、タケの特殊合金大盾と坂東の重装V-RIG、それに葵の魔導ライフルだ。
ギチギチギチッ!
耳を聾する羽音とともに、天井から黒い津波が雪崩れ落ちてきた。
「防陣を組め!」
タケが大盾を頭上に掲げ、全身の体重を支柱に乗せた。
バチバチバチバチッ!
激しい金属音が響き、落下してきた甲殻虫がシールドの表面へ激突する。
大顎が合金の装甲板に食らいつき、火花を散らしながら削り取っていく。
「ぐっ、重ぇ! 盾が削られるぞ!」
「どきな、タケ坊!」
坂東がV-RIGの左腕から圧縮火炎放射器を噴射した。
ゴォォッと紅蓮の炎が渦を巻き、大盾に群がる虫を焼き払おうとする。
だが、アイアン・イーターの耐熱鉱物甲殻は炎を弾き、逆に数匹が火の粉を撒き散らしながら機械腕の油圧ホースへ飛びついた。
「クソがっ! 俺の腕を喰う気か!」
「はぁッ!」
一条が水煙を蹴って跳躍し、生体魔力を纏った掌打を放った。
ドパァンッ!
放たれた『金剛勁』の衝撃波が空間を薙ぎ払い、機械腕に群がっていた数十匹を吹き飛ばす。
だが、天井からはさらに分厚い黒い雨が降り注いでいた。
葵のライフルが火を噴くが、徹甲弾は硬い甲殻に弾かれ、単体射撃では数の暴力に追いつかない。
このままでは、仲間たちの装備が数分で食い破られる。
「全員、タケの盾の裏へ入れ!」
俺は叫び、前へと踏み出した。
「間宮!?」
「頭を出すな!」
俺は背部のマウントから、右手の天鷲を抜刀した。
さらに意識を第2スロットへ直結させ、左背部の鞘を強制開放する。
ジャキン、と甲高い金属音が響き、もう1振りの天鷲が宙へと射出された。
双対長剣、両翼励起。
小型ビットを全機待機させ、全4スロットを二振りの大剣へ等価配分する。
双翼重斬モード。
キィィィィンッ!
二重螺旋励起回路Ver.2が最大共鳴を起こし、澄み切った超音波が空洞を支配した。
刃渡り115センチ、重量のある漆黒の刀身が二振り、青白いプラズマ光を纏って宙へ浮かび上がる。
俺の両手は完全に自由だった。
脳波リンクを通じて、空中の刃先が俺の視線と完璧に同期する。
重さはない。大気抵抗もゼロだ。
ただ、空間そのものを切り刻む鋭利な意志だけが、両翼に宿っていた。
「吹き飛べ」
俺が右手を振ると同時に、二振りの天鷲が音速を超えた。
ズバババババッ!
巨大な青いX字の光跡が、回廊の空間を斜めに両断した。
超高速で交差旋回する二振りの長剣が、落下してくる黒い津波の真っ只中を切り裂いていく。
手応えは、砂を断つよりも軽かった。
ベヒーモスの爪から鍛え出された分子剥離刃が、アイアン・イーターの超硬度甲殻を紙細工のように両断していく。
高周波の共鳴熱が断面を一瞬で焼き切り、甲殻虫の破片が青白い火花とともに四散した。
キィン、と刃が反転し、今度は水平の二重螺旋を描いて回廊全域を薙ぎ払う。
空中で旋回する漆黒の刃は、まるで意志を持った巨鷲の翼だった。
天井から降り注ぐ数百の群れが、地面に触れることすら許されず、次々と両断されて落下していく。
「す、すげえ! 長剣2本を全自動で飛ばして、空間ごと切り刻んでやがる!」
タケが盾の隙間から声を裏返して叫んだ。
だが、激しい旋回網のわずかな死角を突き、十数匹の甲殻虫がタケの足元へ低空滑空してきた。
タケの大盾の基部を狙っている。
「逃がすか」
俺は右手を伸ばした。
旋回から戻ってきた1振りの天鷲の柄を、空中で逆手にキャッチする。
モード即時切り替え。
手持ち長剣1機、遠隔長剣1機、余剰2スロットで腰の小型レイヴン2機を即座に射出!
ハイブリッドモードへシームレスに移行した。
キュイィィンッ!
小型レイヴン2機が矢のように水面すれすれを飛び交い、飛び込んできた甲殻虫の結合部をニードルで撃ち落とす。
落ちてきた残りの虫へ、俺は手持ちの天鷲を水平に一閃させた。
ズバァッ!
石畳を掠める刃が、十数匹の甲殻虫をまとめて一刀両断した。
頭上で旋回していたもう1振りの天鷲が、最後の群れを天井の梁ごと薙ぎ払い、静かに俺の背部鞘へと収まった。
カラン、コロンと、切り裂かれた甲殻の破片が石畳に転がる乾いた音だけが響いた。
戦闘開始から、わずか30秒。
数百匹に及んだ黒い津波は、一匹残らず両断され、冷たい残骸となって横たわっていた。
*
俺は手持ちの天鷲を一振りし、背中の鞘へ納刀した。
小型レイヴン2機も滑らかに腰のポッドへと戻る。
静寂が戻った回廊で、坂東がV-RIGのアームをだらりと下げ、息を呑んでいた。
「おいおい、長剣2本を遠隔で振り回して大群をミンチにした直後に、片手でキャッチして小型ビットと連動だと? 神業どころの騒ぎじゃねえぞ、間宮」
「雫の回路のおかげだ。手元でのモード切り替えに、タイムラグがまったくない」
俺は息を整えながら答えた。
以前の試作機では、モード変更時に一瞬の視界のブレが生じていた。
だが本チャン仕様の天鷲は、まるでギアチェンジのように滑らかにスロットが移行する。
「本当に信じられないわね」
葵がライフルを下ろし、吐息をついた。
「アルス社のシミュレーションでも、大型刃2機の遠隔制御は脳への負荷が限界値を超えるはずだったのよ。二重螺旋の相殺回路と、間宮さんの魔力効率が合わさって初めて成立する芸当よ」
『先生! 群れの完全沈黙を確認しました!』
インカムから、雫の興奮した声が届いた。
『長剣2機の遠隔展開中も、エネルギー循環効率は97パーセントを維持していました! 反動による魔力散逸もゼロです!』
「助かったよ、雫。おかげで仲間の装備も無傷で済んだ」
俺が言うと、タケが盾の表面を撫でながら苦笑いした。
「全くだぜ。お前がいなきゃ、俺の自慢の大盾もボロボロに喰い尽くされてたところだ」
「だが、油断はできんぞ」
一条が回廊の奥を見据え、鋭い視線を向けた。
「この先から、明確な金属反応が近づいてきている」
『先生、気をつけてください!』
雫の声が一段と引き締まった。
『ピラーのサイン波の発生源は、この先の大神殿エリアです。ですが、その手前の関門に、未知の超高密度エネルギー反応を検知しました!』
ズシン、ズシン、ズシン。
重厚な地響きが、回廊の奥底から響いてきた。
規則正しい足音。
闇の向こうから現れたのは、全身を白銀の星霊合金装甲で包んだ、全高4メートルを超える巨躯だった。
古代星霊回廊の自律防衛機構。
クロム・ガーディアンだ。
右手に巨大な魔導メイス、左手に偏向障壁を発生させる大盾を備え、青白い眼光が侵入者である俺たちをロックオンした。
「次はデカ物のお出ましってわけか」
俺は天鷲の柄に手をかけた。
「全員、気を引き締めろ。ここを突破して、一気に深部へ行くぞ」




