第093話:水没バイパスの奥と、断絶の闇
地下水路の鉄梯子を降りると、淀んだ生温かい風が肌を撫でた。
足元には濁水が流れ、遠くで水滴の落ちる鈍い反響が響いている。
頭上のマンホールが閉じられ、夜の街の明かりは完全に遮断された。
「足元に気をつけろ。ここから先はギルドの管轄外だ」
俺は低く囁き、腰のライトを最小光量で点灯させた。
光の先を、葵のスワロー2機が静かに先行する。
青白い探査燐光が、濡れたコンクリート壁をぼんやりと照らし出した。
「分かってるよ。ったく、夜中にドブ川歩きとはな」
背後でタケがぼやきながら、大盾のバンドを締め直した。
「ギルドにバレたら一発でライセンス取り消し、最悪は罰金刑だぞ」
「バレなきゃいいんだよ、タケ坊」
油圧アームを背負った坂東が、ニヤリと笑った。
「机の上の連中がハンコ押すのを待ってたら街ごとドカンだ。現場の職人が裏口から泥被って直してやるんだから、感謝状ものだぜ」
「同感だな。雫の観測データに間違いはない」
最後尾の一条が、暗闇に視線を走らせながら言った。
耳元の骨伝導インカムから、微かなノイズとともに雫の声が届く。
『先生、皆さんの生体信号と位置ログ、工房でしっかり追えています。バイパスの合流地点まで、あと200メートルです』
「了解だ。周囲の魔素に変化があったら知らせてくれ」
『はい!』
濁水を跳ね上げながら、俺たちは暗渠を駆け抜けた。
*
通路の突き当たりに、崩落したコンクリートの隙間があった。
人一人がようやく通れるほどの狭い裂け目。
かつて坂東と一緒に掘り抜いた『水没結晶バイパス』の入り口だ。
「ここだな」
坂東が壁面の削岩痕を指先でなぞった。
「懐かしいな。あの時も死にかけたが、またここを通るとは思わなかったぜ」
「無駄口はそこまでだ。奥へ急ぐぞ」
身を屈めて亀裂を潜り抜けると、周囲の空気が一変した。
人工のコンクリートから、結晶化した岩盤の冷気へと湿度が切り替わる。
壁面には蒼白い帯電結晶が自生し、微弱な放電が青い火花を散らしていた。
第25層から第26層へ抜ける、ギルドの地図にない未踏坑道。
だが俺たちが目指すのは、その出口ではない。
坑道の最奥、さらに下層へと落ち込む断層壁だ。
10分ほど駆け抜けたところで、道は唐突に途切れた。
立ちはだかったのは、天井から床までを塞ぎ止めている玄武岩の断層だった。
厚さ数メートルはある巨大な岩塊。
隙間からは、熱気を帯びた地下水がシューシューと白煙を上げて噴き出している。
「これね」
葵がスワローを近づけ、透過センサーの数値を読み上げた。
「岩盤の奥に高密度の魔素反応。この壁の向こうは、深層第34層の外郭断層よ」
「厚さは約4メートル。魔素を吸ってダイヤモンド並みに硬化してやがる」
坂東がV-RIGの右腕を持ち上げ、先端の削岩ドリルを唸らせた。
「俺のドリルだけじゃビットが焼き切れる。間宮、合わせられるか」
「問題ない」
俺は背部のマウントから、右手の『天鷲』を引き抜いた。
佐伯親方が打ち直した、漆黒の刀身。
刃渡り115センチ。深層受肉種の爪と高圧魔石を溶かし込んだ鋼が、鈍く光を呑み込んでいる。
柄を握り、体内魔力を流し込んだ。
魔力変換効率85パーセント。
刀身に彫り込まれた二重螺旋励起回路Ver.2が、キィンと超音波を鳴動させた。
刃先が微細に振動し、青白いプラズマのような魔導熱が薄く立ち上る。
「おいおい、すげえな。空気が震えてやがる」
タケが口笛を吹いた。
「坂東、ドリルで芯にクラックを入れろ。俺が割れ目に沿って分子結合を断つ」
「了解だ! いくぞオラァッ!」
坂東が踏み込み、V-RIGの油圧シリンダーが轟音を響かせた。
超高速回転するドリルが、玄武岩へ真っ向から突き刺さる。
凄まじい摩擦熱と火花が狭い坑道に爆ぜ、耳を聾する金属音が反響した。
ドリルが食い込み、岩盤に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
「今だ、間宮ッ!」
「ふっ」
息を吐き、天鷲を一閃させた。
手応えは、ほとんどなかった。
熱したナイフをバターに沈めたかのように、刃先は超硬度の岩盤を音もなく両断していった。
高周波振動と熱励起が、岩石の分子結合を瞬時に解繊していく。
刃を返して十字に斬り裂き、左手で柄を押し込んだ。
「一条、タケ、崩れるぞ!」
「任せろ!」
タケが大盾を構えて割り込み、一条が生体魔力の障壁を展開した。
ズズズと地響きが轟き、四角く切り抜かれた巨岩が前方へ倒れ込む。
激しい水飛沫とともに、岩盤の向こう側に巨大な風穴が開いた。
「抜けたぞ!」
坂東がドリルを止め、快哉を叫んだ。
*
風穴から吹き込んできたのは、肌を刺す冷気と、濃密なアストラルの匂いだった。
俺たちは身を低くし、開いた穴から向こう側へ滑り込んだ。
そこは、広大な地下空洞だった。
天井からは滝のような水流が落ち込み、底の見えない巨大な地底湖を形成している。
足元は濡れた岩棚。水深は浅いところで膝下ほどだが、十数メートル先は漆黒の水面が広がっていた。
壁面の鉱石が、ドクン、ドクンと規則正しい青い燐光を放っている。
3秒周期。
心臓の鼓動と同じリズムで、空間全体が微かに脈動していた。
『先生! バイパスの貫通を確認しました!』
インカムから雫の切迫した声が響く。
『そこは深層第34層の外郭、未踏水脈エリアです! ピラーの直下に位置するため、魔素濃度が地上の2倍近くまで達しています!』
「ああ、肌がビリビリする。完全に深層の空気だ」
濡れた足場を踏みしめ、周囲を警戒する。
その時、水面を索敵していた葵が息を呑んだ。
「みんな、止まって!」
葵のライフルが跳ね上がり、スワローが水面へ強烈な探照光を照射した。
「水中から高速熱源、6体! 急速浮上してくるわ!」
「チッ、嫌な歓迎会だな!」
タケが大盾を構え、濡れた岩盤にスパイクを蹴り込んだ。
次の瞬間、水面が爆発した。
水煙を突き破り、漆黒の甲殻に覆われた水棲捕食種が飛び出してきた。
体長3メートルを超える、深層第34層固有の変異種、アビス・リッパー。
三連の鎌腕が紫の魔導光を帯びて光り、充血した複眼が赤く濁っている。
金属を擦り合わせるような咆哮とともに、先頭の2体が水飛沫を蹴って跳躍した。
狙いは、前衛のタケだ。
「来やがれッ!」
タケが大盾を傾け、全身の体重を乗せて迎え撃った。
ガガガァンッ!
火花が飛び散り、リッパーの鎌腕が大盾の表面を激しく削り取る。
衝撃でタケの足が1メートルほど滑ったが、体勢は崩れなかった。
「凌、横だ!」
「スワロー、射線確保!」
葵のライフルから徹甲魔弾が放たれ、2体目の関節スリットを正確に撃ち抜く。
体勢を崩したリッパーへ、一条が水煙を裂いて肉薄した。
「はぁッ!」
生体魔力を凝縮させた一条の拳が、倒れかけたリッパーの胸殻を直撃した。
ドパァンッ!
拳から放たれた『金剛勁』の衝撃波が内部で炸裂し、厚い甲殻が粉々に破砕される。
だが、残る4体が左右の水面から跳ね上がった。
タケの死角を突き、一条の背後へと鎌腕が振り下ろされる。
「調子に乗るなよ」
俺は息を吸い、背部の第2スロットへ意識を接続した。
ハイブリッドモード、起動。
ジャキン、と背部マウントが展開し、もう1振りの天鷲が宙へ射出された。
青い二重螺旋の光を曳きながら、刃渡り115センチの刀身が頭上に滞空する。
さらに両脇へ、小型レイヴン2機が射出された。
手持ち長剣1機、頭上飛翔長剣1機、小型ビット2機。
4スロット完全連動。
頭が割れるような負荷はない。
雫の二重螺旋回路が、脳へのフィードバックを完璧に相殺している。
指先を動かすのと同じ感覚で、空中の刃の重心が掌の中にあった。
「行け」
水面を蹴り、一条の背後へ迫っていた3体目の懐へ滑り込んだ。
振り下ろされる鎌腕を半身で躱し、右手の天鷲を下から滑り上がらせる。
ズバァッ!
抵抗はゼロだった。
超硬度刃が顎下から頭部装甲を真っ二つに両断した。
紫の体液が噴き出す前に、頭上の飛翔刃へ視線を向ける。
キィィィンッ!
空気を裂く超音波とともに、飛翔天鷲が4体目の首元を横一文字に薙ぎ払った。
硬質な甲殻ごと、首が宙を舞う。
「な、なんだと!?」
坂東の口から、掠れた声が漏れた。
残る2体が水中に潜って逃走を図ろうとする。
「レイヴン、目を潰せ」
小型レイヴン2機が水面すれすれを弾丸のように飛び交い、2体の赤い複眼を正確に貫いた。
狂乱して浮き上がったリッパーの頭上へ、俺は跳躍した。
右手の手持ち天鷲を逆手に構え、頭上の飛翔天鷲を同調させる。
二重螺旋の交差斬撃。
ザシュッ!
交差した二振りの刃が、2体の高圧魔核を寸分の狂いもなく両断した。
青白い爆熱が水面を焦がし、2頭の巨体が湖底へと沈んでいく。
*
水煙が静まり、洞窟に静寂が戻った。
戦闘開始から、わずか40秒。
俺は着地し、右手の天鷲を振って体液を払った。
頭上で旋回していたもう1振りの天鷲が、音もなく背中の鞘へと収まる。
レイヴン2機も両腰のポッドへ滑らかに格納された。
坂東が呆然と呟いた。
「おいおい、マジかよ。間宮、今の、本当にさっきまでの中層用の試作機と同じシリーズか? キレとスピードが桁違いじゃねえか!」
「中層素材じゃねえからな。ベヒーモスの爪とモールの外殻を丸ごと食わせた本チャン仕様だ」
息を整えながら答えた。
刃こぼれは一つもない。歪みもゼロだ。
振り抜いた時の手応えが、まるで自分の腕の延長のように馴染んでいた。
「素晴らしい切れ味だな」
一条が感嘆の息を吐き、沈んだリッパーを見つめた。
「厚さ20センチの甲殻を、繊維一本残さず断ち切っている。雫の回路設計と親方の鍛造に、お前の解体技術が乗って初めて出せる切れ味だ」
『先生! アキュラのテレメトリー、完璧です!』
インカムの向こうで、雫の弾んだ声が響く。
『二重励起のエネルギー循環効率、98.4パーセントを維持しています! 深層の超重力場でも回路が焼き切れる心配はありません!』
「助かったよ、雫。最高の獲物だ」
俺がそう言うと、通信の向こうで雫の声が誇らしげに弾んだ。
葵がライフルを肩に担ぎ、苦笑交じりに歩み寄ってきた。
「まったく、相変わらず無茶苦茶な強さね。でも、これでバイパスの突破は成功よ。この先が深層第34層の本番ね」
葵が指差した先。
地底湖の奥底、水煙が晴れた岩壁の向こうに、巨大な石造の門が口を開けていた。
崩落した古代のアーチ。
深層第34層『古代星霊回廊』の外郭だ。
第1区の正規ゲートが封鎖された東京で、俺たちは裏口から深層の境界へと到達した。
ドクン、と足元から重い地鳴りが伝わってくる。
心臓の鼓動に似た、3秒周期の不気味な脈動。
ピラーの深部で、何かが確実に蠢いている。
「行くぞ。鈴が待ってるんだ、さっさと元凶を叩いて帰る」
俺は天鷲の柄に手をかけ、暗黒の回廊へと足を踏み入れた。




