第091話:親方の火花と、二振りの天鷲
朝7時、アラームが鳴る前に目が覚めた。
カーテンを開けると、澄んだ朝日が差し込んでくる。
ベビーベッドを覗くと、鈴が毛布を蹴飛ばして大の字で眠っていた。
昨晩の鶏団子鍋のおかげか、機嫌のいい寝息だ。
毛布を掛け直し、キッチンでパンケーキを焼く。
「ぱぱ! あー!」
パジャマ姿の鈴が小走りで飛び出してきた。
洗面所で手を洗い、子供用の椅子に座らせる。
鈴は佐伯親方の銀匙を握り、器用にパンケーキを口へ運んだ。
「んま! ばなな!」
満面の笑顔で足を揺らす。
道具が馴染むというのは、こういうことなのだろう。
着替えを済ませ、保育所へ向かった。
「ぱぱ、ばいばーい!」
「ああ。17時には迎えに来るからな」
手を振る鈴を見届け、俺は背筋を伸ばした。
この当たり前の日常を守るために、現場でやるべきことがある。
*
第7区の旧工業地帯。
金属を削る音と重油の匂いが漂う一角に、佐伯鍛冶工房はある。
引き戸を開けると、熱気とともに乾いた槌の音が迎えてくれた。
「親方、おはようございます」
「おう、待ちくたびれたぞ」
革エプロン姿の佐伯親方が、紫煙を吐きながら作業台を顎でしゃくった。
その隣には白衣姿の如月雫が立ち、タブレットを操作している。
「先生、準備は整っています」
作業台には、2つの保管ケースが開かれていた。
深層第33層のベヒーモスから切り落とした、重さ30キロの漆黒の大鉤爪。
そして地下調整池で回収した、アビス・タイラント・モールの硬化削岩爪と高圧脈動魔石だ。
「親方、試作アキュラの調子は」
「これを見ろ」
親方が机に放り出したのは、中層素材で鍛えた試作アキュラだった。
ノギスを当て、目盛りを指先で弾く。
「背部の中央、コンマ02ミリの歪みが出てやがる。地下調整池のデカい土竜相手に振り回して、熱膨張と魔力圧に金属が負けたんだ」
「コンマ02ミリ」
「目で見ても分からねえが、音速で飛ばす刃にとっちゃ命取りだ。軌道がブレる。今のテメエの魔力に、中層素材の骨格が追いついてねえ」
親方の指摘に、喉の奥が乾いた。
手応えは完璧に思えたが、道具の限界は確実に迫っていた。
もし相手がさらに硬質な深層魔獣なら、刃ごと砕けていたかもしれない。
「そこで、この2つの素材です」
雫が三次元設計図を空中に投影した。
「ベヒーモスの鉤爪は桁外れの靭性を持ち、モールの削岩爪は超高密度のダイヤモンド構造です。この2つを溶かし合わせ、芯材に私の二重螺旋励起回路Ver.2を直接彫り込みます」
「理屈はいいが、問題はどう打つかだ」
親方が赤々と燃える炉を睨んだ。
「ベヒーモスの爪なんざ、うちの炉を限界まで吹かしても表面が赤くなる程度だ。鋼の繊維をほぐすには、温度も圧力もまるで足りねえ」
「俺の手ですね」
「察しがいいな。テメエの85パーセントの魔力変換効率だ。超音波の微細振動熱を爪の芯までぶち込め。俺が鎚を叩きつける瞬間に合わせ、分子結合を内側から緩めるんだ。コンマ1秒でもズレたら炉ごと吹き飛ぶぞ」
「失敗したら、30キロの素材がお釈迦ですか」
「当たり前だ。現場の解体屋なら、獲物の筋と呼吸を合わせるくらいやってみせろ」
親方の双眸に職人の光が宿っていた。
俺は息を吸い、炉の前へ進み出た。
「親方の鎚の速度、俺の魔力で全部拾います」
「雫、回路展開の準備をしろ!」
「はい!」
親方が巨大なやっとこで大鉤爪を挟み、白熱する炎の中へ突っ込んだ。
俺は炉の開口部へ右手をかざす。
変換効率85パーセントの魔力を励起させ、微細振動を指先から送り込んだ。
黒い大鉤爪の表面が、青白い燐光を帯び始める。
指先を通して、深層受肉種の硬質な組織が伝わってくる。
俺は解体包丁で筋を外す感覚を研ぎ澄まし、分子の隙間へ高周波の魔力を滑り込ませた。
「今だ、出せ親方!」
「おおおっ!」
親方が赤熱した黒鉄の塊を金床へ叩きつけた。
同時にモールの削岩爪と脈動魔石の粉末が振りかけられる。
親方の大槌が空気を引き裂いた。
ガアァァン!
激突音とともに、金色の火花と青い衝撃波が工房を揺らした。
槌が触れた瞬間、俺は魔力の周波数を打撃の圧力へ同期させ、外の衝撃と内の熱を衝突させた。
硬質な外殻が軋み、鋼の繊維がたわむ。
「まだまだァッ!」
二撃、三撃。
槌が落ちるたびに床が震え、火花が嵐のように舞う。
額から汗が流れ落ち、腕の筋肉が熱く軋んだ。
手元は1ミリも狂わせない。
「雫、回路を流し込め!」
「二重螺旋励起術式、注入開始!」
雫が金床の上へ手をかざし、青い魔力光を刀身の芯材へ注ぎ込んだ。
打撃の熱と術式が、金属の内部で螺旋を描いて絡み合っていく。
何千回もの打撃の末、黒い塊は細く鋭い二振りの刀身へと姿を変えた。
「焼き入れだ! 退いてろ!」
親方が二振りをやっとこで掴み、冷却油の槽へ突き入れた。
ジュボオォォッ!
激しい蒸気が立ち上り、油の匂いが満ちる。
張り詰めた静寂の後、親方がゆっくりと油槽から獲物を引き揚げた。
*
「どうだ」
親方が油を拭い、作業台の上に置いた。
そこにあったのは、言葉を失うほど研ぎ澄まされた二振りの長刀だった。
全長約140センチ、刃渡り約115センチ。
大太刀とロングソードの利点を併せ持った剛身だ。
地鉄は漆黒で、表面には青白い霞のような乱れ刃紋が浮かんでいる。
背部には極細の二重螺旋レールが寸分の狂いもなく刻まれていた。
茎には、力強く『天鷲』の文字が刻まれている。
「持って、魔力を通してみろ」
柄を握ると、吸い付くように掌に収まった。
重心が手首の関節と同調し、115センチの刀身が羽毛のように軽い。
軽く意識を向けると、魔力が滑らかに流れ込んだ。
キィィン、と澄んだ共鳴音が響く。
レールが青白く発光し、刃先から極薄の魔力膜が立ち上った。
抵抗感はゼロだ。
「同期率99.2パーセント!」
雫が画面を見つめて声を上げた。
「慣性質量相殺フィールドが正常に起動しています。遠隔で音速巡航させても、脳波への負荷は小型レイヴン以下です」
「親方、裏で試していいですか」
「おう、好きなだけ振ってこい」
工房裏の資材置き場へ出た。
標的は、厚さ30センチの超高硬度魔導合金ブロックだ。
防弾装甲材として使われる鉄塊である。
右手に天鷲を構え、呼吸を整えた。
砂利を踏み締め、手首を返す。
ヒュン。
微かな風切り音だけが鳴った。
力は込めていない。重力に従って刃を滑らせただけだ。
手応えは、空気を切ったのと何も変わらなかった。
天鷲を鞘に収めると同時だった。
ズザザザッ。
鈍い音を立て、30センチの合金ブロックの上半分が斜めに滑り落ちた。
切断面は鏡のように平滑で、青空を映し出していた。
ベヒーモスの分子剥離とモールの高周波削岩が、硬度を無視して両断していた。
「息を呑むような切れ味です」
雫が言葉を失ったように立ち尽くし、親方が煙草の煙を吐き出して笑った。
「35センチの鉈じゃ届かなかった深層の急所も、こいつなら骨ごと撫で斬りだ。持ってけ、凌。お前の腕に追いつく本物の獲物だ」
「ありがとうございます、親方。最高の獲物です」
二振りの天鷲を背部の専用マウントへ収めた。
カチリと心地よい音が響き、背中に固定される。
これで、手持ち刃、飛翔刃、小型レイヴン2機による完全な四重立体機動が可能になった。
その時、雫の白衣のポケットから鋭い警告音が鳴った。
「あ」
雫が慌てて端末を開く。
その表情から、先刻までの高揚感が消え去った。
「雫、どうした」
「ピラーの観測波形です。昨晩の3秒周期の脈動が、急激に振幅を拡大させています。通常値の1.4倍から、1.6倍へ。地下深部での魔素蓄積が、危険水準に達しつつあります」
雫の声が、工房の空気を凍りつかせた。
画面には、心電図のように跳ね上がる赤い波形が映っている。
背中の二振りの天鷲が、主の魔力に共鳴するように微かに震えた。
俺は息を吐き、特区の中心にそびえる巨大な金属柱を見上げた。
「ギルドへ行こう。現場で何が起きてるのか、確かめる必要がある」
17時のお迎えまで、まだ時間はあった。
だが、足元で眠る闇は、確実に目を覚ましつつあった。
お読みいただきありがとうございます。
ここまでで第11章が区切りとなりました。
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