第009話:第15層の亀裂と、テストパイロット
翌朝。ギルド託児所に鈴を預け、俺は単身で浅層最深部、第15層へと潜入していた。
「りょー! ばいばー!」
出がけに満面の笑顔で手を振ってくれた鈴の姿を思い出すだけで、暗い迷宮の冷気が不思議と和らぐ。
早く安全な居住特区への推薦枠を手に入れて、あの笑顔に相応しい陽当たりの良い部屋を用意してやりたい。
俺は腰の大型解体ナイフの柄を軽く叩き、第15層の未開拓閉所ルートへと歩みを進めた。
このエリアは、通常の浅層とは明らかに空気が異なっていた。
人ひとりが身を屈めてやっと通れるような、狭く湿った岩肌の隘路。
壁面のあちこちには、浅層では見られない青紫色の結晶鉱脈が剥き出しになっており、空気中にはピリピリと肌を刺すような高密度の魔素が漂っている。
ギルドが警告していた通り、中層との境界に生じた地殻変動の亀裂だ。
その時だった。
ダダダダンッ!
狭い坑道の奥から、乾いた魔導アサルトライフルの連射音が木霊した。
続いて、大気を震わせる獣の唸り声と、激しい金属の衝突音。
「くっ、なんで中層の魔獣がこんな浅層の抜け道に!」
凛とした若い女の声。
俺は即座に身を低くし、瓦礫の陰を縫うようにして音の発生源へと駆け抜けた。
隘路を抜けた先、天井がドーム状に開けた空洞。
そこで一人の探索者が、背中を岩壁に追い詰められながら猛攻を凌いでいた。
黒髪を短く切り揃えたショートボブの女性。
機能的で無骨な黒基調のコンバットスーツを身に纏い、手にした魔導アサルトライフルから正確無比な点射を繰り出している。
胸元に光るギルドタグはCランク。
さらに、彼女の左腕には、一般的な探索者が持たない精密な計測機器や小型スキャナーが装着されていた。
だが、相手が悪かった。
女を取り囲んでいるのは、体長2メートル半ほどの漆黒の四足獣が2頭。
全身の体毛が影のように揺らめき、岩肌の闇と同化する中層特有の危険種、シャドウ・ストーカーだ。
「シャドウ・ストーカー。中層第20層の肉食獣が、なんでこんな浅層の亀裂に湧いてんだよ」
思わず小声で毒づく。
あの獣はただ足が速いだけじゃない。
影に溶け込んで死角へ回り込み、音もなく跳躍して頸動脈を噛みちぎる、暗殺特化の変異豹だ。
ギシャッ!
先頭の影豹が岩壁を蹴り、残像を残しながら女性の死角へと跳んだ。
女性は即座に左手を前に突き出し、自身の生体魔力を励起させる。
バチィィッ! と淡い青い光の障壁が展開されたが、影豹の硬質化した鉤爪が直撃し、ガラスが砕けるような音を立てて光波シールドが粉々に吹き飛んだ。
「きゃっ!?」
衝撃で体勢を崩し、女性の手からライフルが弾き飛ばされる。
無防備になった喉元へ、もう1頭の影豹が血の滴る牙を剥き出しにして飛びかかった。
迷っている暇はなかった。
「おいおい、聞いてねぇぞ!」
俺は瓦礫を蹴って飛び出し、左手の魔導拳銃を抜いた。
狙うのは影豹の胴体ではない。
跳躍する獣の真上、天井から垂れ下がっていた巨大な鍾乳石の根元だ。
バシィィン!
乾いた発射音が空洞に響き、魔力弾が鍾乳石の付け根を粉砕した。
ドガァァン! と轟音を立てて鋭利な巨岩が落下し、飛びかかろうとしていた影豹の鼻先を直撃する。
ギャンッ! と獣が驚愕して足を止め、わずかに視線が逸れた。
その一瞬の隙で、俺の間合いには十分だった。
地面を泥臭く滑り込む。
着地した影豹の懐の真下へ、地を這うように潜り込んだ。
左手のハンドガンを影豹の右前足の付け根へ押し当て、至近距離で引き金を絞る。
バシィン!
骨と腱を砕く鈍い音。
俊敏さを誇る影豹がバランスを崩し、前のめりに崩れ落ちた。
そこへ、右手に握りしめた刃渡り30センチの大型解体ナイフを逆手で振り抜く。
キィィィン!
高周波振動刃が甲高い共鳴音を上げた。
首の軟骨と動脈が集中する急所へ、無駄のない角度で肉厚な重刃を突き立てる。
ズドォッ!
相手が前のめりに倒れ込んでくる自重と突進力をそのまま利用し、刃先を根元まで滑り込ませた。
一刀両断。
中枢を断ち切られた1頭目の影豹が、痙攣する暇もなく青白い光の粒子となって霧散した。
「はい1頭」
「えっ!?」
尻餅をついていた女性が、信じられないものを見るような目で息を呑んだ。
だが、休む暇はない。
もう1頭の影豹が、相棒の死に激昂して俺の背後から跳躍してきた。
影の中から音もなく迫る凶刃。
「後ろっ!」
女性の鋭い警告と同時に、彼女が咄嗟に拾い上げたライフルから鋭い3点バーストが放たれた。
タタタンッ!
見事な援護射撃だった。弾丸が影豹の右耳を掠め、軌道がわずかにミリ単位で外れる。
その僅かなブレを見逃す俺ではない。
俺は振り向きざまに低空スライディングを敢行し、飛び越えようとする影豹の下腹部へ滑り込んだ。
毛皮の薄い下腹部へ、30センチの大型ナイフを両手で真上に突き上げる。
ズバァァッ!
高周波振動刃が下腹部から胸骨の継ぎ目までを一気に切り裂いた。
内臓と中枢を両断された2頭目の影豹も、そのまま宙で光の粒子へと変わり、霧散していった。
戦闘開始から、わずか十数秒。
空洞には、静寂だけが戻っていた。
足元には、2つの輝くドロップ品が転がり落ちていた。
通常の魔石ではない。
掌サイズの、青紫色に淡く脈動する透明な結晶。
結晶の内部には、銀色の微細な粒子が星屑のように煌めいている。
「ん? なんだこの魔石。普通のD級やC級と全然違うぞ」
俺が不思議そうにそれを拾い上げた、その時だった。
「あ、あなた、一体何者なの!?」
息を荒げた女性が、信じられないといった顔で立ち上がり、俺を凝視していた。
間近で見ると、キリッとした涼しげな目元が印象的な、整った顔立ちの女性だった。
年齢は俺より少し下、23歳か24歳くらいだろうか。
「怪我はないか? ここは浅層だが、中層の魔獣が迷い込んでる。早く戻った方がいい」
「あ、うん助けてくれてありがとう。でも、それどころじゃないわよ!」
女性はコンバットスーツの泥を払うことも忘れ、ずかずかと俺に詰め寄ってきた。
「あなた、量産型の魔導ハンドガンと解体ナイフだけで、あのシャドウ・ストーカー2頭を瞬殺したの!? 中層の俊敏種よ!? 普通の歩兵なら一瞬で首を狩られてるわよ!」
「解体屋の経験で急所を知ってただけだ。あんたの援護射撃が良かったんだよ」
「そんなわけないでしょ! それにえっ!?」
女性の視線が、俺の作業着の胸元にあるギルドタグに留まった。
「Eランク!? 嘘でしょ、あなたがEランクなわけないじゃない!」
「正真正銘のEランクだ。昨日今日の話じゃない」
俺が素っ気なく返すと、女性の左腕に装着された小型端末が、ピピピッと甲高い電子アラートを鳴らした。
端末のホログラム画面に、先ほどの戦闘で計測された俺の魔力波形が高速で展開されていく。
「な、何この数値!? 魔力保有量は131しかないのに、エネルギーの変換ロスがほぼゼロ!? 変換効率、80パーセント!?」
女性は画面と俺の顔を交互に見比べ、驚愕のあまり口元を押さえた。
「ちょっと待って、あなた! その驚異的な変換効率と三次元の身体操作、まさか、ネットで世界トレンドになってる『謎の歩兵』って、あなたなの!?」
最大の秘密をズバリと言い当てられ、俺は思わず天を仰ぎそうになった。




