第086話:瓦礫の下の日当と、唸る影
ガリッ、とスコップの先端が砕けたコンクリート片を引っ掻いた。
武田健太は腰に力を込め、土砂と鉄筋の塊を一輪車へと放り込んだ。
額から滴り落ちる汗が、埃まみれの作業着の胸元を濃く濡らしていく。
「おいタケ、こっちの土嚢が足りねぇぞ! 早く運んでくれ!」
「へいへい、今行くよ!」
タケは背筋を伸ばし、荒い息を吐きながら外郭第3防壁を見上げた。
昨夜の激闘で抉り取られた胸壁の上空には、クレーン車のアームが何本も立ち並び、溶接の青白い火花が飛び散っている。
午前中に第1区の深層進入ゲートが完全に崩落し、ギルド本部から深層探索の【無期限全面凍結】が正式に通達された。
その余波は、瞬く間に一般探索者の現場へ直撃した。
行き場を失ったBランクやCランクの中堅クランが、浅中層、第10層から第20層の狩場へと雪崩れ込んできたのだ。
魔獣は根こそぎ狩り尽くされ、市場に溢れた一般魔石の買い取り価格は一気に3割暴落した。
タケのような特定の固定パーティーを持たないフリーランスの大盾使いにとって、状況はさらに過酷だった。
普段ならギルドの掲示板で野良の前衛募集に拾われるか、単身で浅層の素材採取に潜るが、上位ランカーに狩場を荒らされた今、野良の募集枠など皆無に等しい。無理に潜っても、ポーション代と大盾の補修費で赤字になるのは目に見えていた。
そこで飛びついたのが、このギルド公募による防壁修復作業だ。
日当12000円。瓦礫撤去に伴う魔獣残党への警戒を含むため、危険手当が3000円。
手取り15000円の肉体労働だった。
「12時だ! 昼飯にすんぞ!」
現場監督の甲高い笛の音が響き、タケはその場にスコップを突き立てた。
*
防壁の内側、日陰になったコンクリートブロックの上に腰を下ろす。
朝の点呼で同じ第4班に割り振られたのは、タケと同じく仕事にあぶれた野良の探索者たちだった。前衛剣士の小野寺、斥候の佐野、駆け出し魔導士の三島。それぞれコンビニ袋から冷たいおにぎりやパンを取り出し、泥だらけの手で包みを開ける。
「はぁ、腰が割れそうだ。ダンジョンでリザードと戦うより、スコップ握ってる時間の方が長いってどういうことだよ」
小野寺が湿布の貼られた肩を回しながら、ツナマヨおにぎりを頬張った。
後衛の三島も、泥のついた眼鏡を指で押し上げながら苦笑する。
「でも、日当15000円は確実に現金で手に入りますからね。今の浅層じゃ、半日粘っても素材代で5000円残るかどうかですし」
「全くだ。深層が塞がれたせいで、ギルドの掲示板は仕事にあぶれた探索者で溢れかえってるらしいからな。飯が食えるだけマシだ」
佐野が麦茶のペットボトルを煽りながら言った。
タケはタバコを取り出し、ジッポライターの銀色の蓋を弾いた。
紫煙を細く吐き出し、遠くそびえる黒い東京ピラーを眺める。
「そういえばタケさん」
小野寺が唐揚げを口に放り込みながら、興味深そうに身を乗り出してきた。
「朝、詰所の出頭名簿でタケさんの名前を見て、もしやと思ったんですが。タケさんって、あの『間宮凌』の知り合いなんですよね?」
「ん? ああ、下請け解体屋時代からの腐れ縁だな」
「やっぱり! 昨夜の第3防壁、ネットの動画で見ましたよ。あの空挺ボスを一撃で落とした黒いレールガンと二重の長剣、あれ絶対に間宮さんですよね」
「ああ、あいつに間違いない」
タケは笑いながら煙草の灰を携帯灰皿へ落とした。
「今頃、ギルド本部から表彰でも受けて、個室でふんぞり返ってるんですかね。羨ましい話ですよ」
佐野がペットボトルの茶を飲みながら呟くと、タケは紫煙を吹き出して首を振った。
「いや、あいつは今頃タワマンの部屋で、娘に昼飯食わせてるところだよ。朝、崩落ゲートの救助に呼ばれたらしいが、昼までに帰るって約束してたからな。あいつの頭の中にあるのは、名誉でも大金でもなく、定時退勤と娘の飯の心配だけだ」
「ぶれないなぁ、トップランカーなのに」
小野寺たちが声を上げて笑った。
あいつがこの街のどこかで、相変わらず不器用そうに娘の面倒を見ている。
その事実を思い浮かべるだけで、現場の埃っぽい重労働の疲れが、わずかに軽くなる気がした。
*
作業が再開されたのは、午後1時を回った頃だった。
防壁の基礎部分、地下排水溝に詰まった瓦礫を取り除く作業に入った時だった。
ゴゴゴ、と足元のマンホールの底から、不気味な地鳴りが響いた。
「ん?」
タケが足を止めた瞬間。
ドガァンッ!
凄まじい破壊音とともに、厚さ10センチの鋳鉄製マンホール蓋が空高く吹き飛んだ。
噴き出した泥水と土砂の中から、黒褐色の剛毛と鋭利な削岩爪を持つ獣が飛び出してきた。
モール・レイダー。体長3メートルの削岩強襲獣だ。
ピラーの余震魔素に刺激され、地下水路伝いに地上へ這い出してきたらしい。
それも、1頭ではない。背後の瓦礫の隙間からも、赤い複眼をぎらつかせた2頭が続けて姿を現した。
合計3頭。
「うわあああッ! 魔獣だッ!」
「逃げろ! 重機を捨てて走れッ!」
一般の作業員たちが道具を放り出し、パニックになって四散した。
先頭のモール・レイダーが、逃げ遅れた老作業員めがけて猛然と突進を開始する。
「逃がすかよッ!」
タケの身体が反射的に動いていた。
腰のホルダーから大型タワーシールドを引き抜き、泥を蹴って老作業員の前に割り込む。
「伏せてろッ!」
ガツゥゥゥンッ!
時速60キロの肉弾突進が、タケの構えた大盾の正面へ激突した。
強烈な衝撃波が腕の骨を軋ませ、靴底がアスファルトを2メートル削りながら後退する。
だが、タケの膝は折れなかった。
奥歯を噛み締め、腹の底から魔力を盾の表面へ流し込む。
「小野寺、右の脚を払え! 佐野、目を射抜け!」
「任せろッ!」
小野寺のショートソードが閃き、突進の勢いで前のめりになった魔獣の右前脚の腱を切り裂いた。
ギャッと甲高い悲鳴を上げた瞬間、佐野の放った魔導矢が魔獣の右目を正確に貫く。
「三島、風を叩き込め!」
「は、はいッ! エア・カッター!」
三島の杖から放たれた真空の刃が、怯んだ魔獣の無防備な首筋を切り刻んだ。
タケは盾を力任せに押し返して魔獣の体勢を完全に崩すと、右腰の魔導戦斧を両手で振り下ろした。
ドカァンッ!
脳天を一撃で叩き割られた先頭のモール・レイダーが痙攣し、光の粒子となって霧散した。
残る2頭が威嚇の唸り声を上げる。
「残り2頭! 慌てんな、俺の後ろから出るなよ!」
タケは大盾の前面をガンガンと戦斧で叩き、魔獣のヘイトを一身に引きつけた。
固定パーティーではない。今朝たまたま同じ班になっただけの、即席の寄せ集めだ。
だが、探索者としての場数は全員伊達じゃない。前衛が身体を張って足止めし、斥候が死角から目を潰し、魔導士が詠唱を合わせて削り、戦斧で息の根を止める。
それぞれが自分の役割を泥臭く全うする。ソロや野良で生き延びてきた者たちだからこその、即席の現場連携だった。
2分後。
3頭目のモール・レイダーが地面に倒れ伏し、紫色の魔石を残して消滅した。
静寂が戻った防壁の前に、遠巻きに見ていた作業員たちから、わぁっと歓声と拍手が沸き起こった。
「助かった! ありがとう、探索者さん!」
「怪我はないか? すげぇな、あんたたち!」
助け出された老作業員が、震える手でタケの分厚い手袋を握りしめてきた。
タケは照れくさそうに頭を掻きながら、戦斧の汚れを作業着で拭った。
「いいってことよ。怪我人が出なくて何よりだ。監督、これ魔獣討伐の特別手当、色付けてくれよな!」
現場監督が苦笑いしながら「善処する!」と親指を立てた。
タケは傷だらけのタワーシールドを地面に立てかけ、深く息を吐いた。
腕はパンパンに張り、腰も痛い。
だが、胸の奥には確かな手応えが残っていた。
世界を救うような大層な戦いじゃない。
ネットで何十万人に生配信されるような派手な見せ場でもない。
だが、凌やAランクたちトップランカーだけがこの街を守っているわけじゃないのだ。
泥にまみれて瓦礫を片付け、スコップを握り、目の前の名もなき住民たちを守る。
自分たちのような下請けの歩兵がいてこそ、この街の日常は回っている。
「さてと。日当分はきっちり働いたが、午後もひと踏ん張りすっか」
タケは作業着のポケットから煙草を取り出し、カチリとライターの火をつけた。
青空の下、立ち上る煙の向こうで、同じ班の探索者たちが笑いながらスコップを握り直していた。




