第082話:娘の待つこの街を、絶対に譲らねぇ
地鳴りは、大地そのものを波打たせるほどの激震となって押し寄せていた。
荒野の地平線。
紫がかった魔素の靄を突き破り、第1波を遥かに凌駕する黒い津波が姿を現した。
数千頭におよぶ変異魔獣の第二波。
しかも今回は、大地を疾走する牙獣や甲殻種だけではない。
上空の雲を切り裂き、翼長8メートルを超える飛翔翼獣アストラル・ワイバーンや、鎌状の鉤爪を持つ飛行種の群れが、防壁の内側を目掛けて無数に急降下してきていた。
「敵第二波、接近! 上空からも来ます! 防空迎撃が追いつきません!」
胸壁の通信兵が悲鳴を上げる。
防壁上部に配置された自動防空タレットが火を噴き、上空へ対空砲火の弾幕を張り巡らせるが、空を埋め尽くす飛行種の数に押し切られ、数頭のワイバーンが防壁の上空をすり抜けて降下してきた。
「行かせるかよッ!」
葵が叫び、愛銃ヴァルキリーの銃口を斜め上空へ跳ね上げた。
両肩から射出された2機の燕型ビット『スワロー』が青い軌跡を描いて急上昇し、交差展開された偏向シールドがワイバーンの急降下角を強引に逸らす。
体勢を崩した巨鳥の喉元へ、葵の放った3点バーストが正確に吸い込まれた。
「一条、落ちてきます!」
「任せろ!」
道着ローブを翻した一条岳が、胸壁の縁を蹴って垂直に跳躍した。
落下してくるワイバーンの胸元へ、青白く輝く黒鉄の手甲を叩き込む。
「金剛勁・震天!」
ドォォォンッ!
掌底から放たれた強烈な魔導衝撃波が、巨大な胸骨を粉砕し、内臓ごと吹き飛ばした。
絶命した怪鳥の巨体が、防壁の外側へ向かって放り出される。
その直後、防壁の足場へ飛び降りてきたもう一頭の爪獣に対し、タケが全体重を乗せた大型タワーシールドを叩きつけた。
「ここから先は進入禁止だ、ボケがぁッ!」
ガギィィィンッ!
重厚な金属音が響き、爪獣の牙が盾の表面を滑って弾かれる。
タケは一歩も引かず、そのままシールドを押し込んで魔獣の顎を砕き、外壁の下へと突き落とした。
防壁の上層は、仲間たちの連携で辛うじて持ちこたえていた。
だが、問題は下層だった。
防壁の足元、第3ゲートの装甲扉へ、大地を埋め尽くす地上部隊が雪崩を打って突進してきていた。
「坂東、橘! 扉の前に寄せ付けるな!」
俺が胸壁から身を乗り出して叫ぶ。
下層の荒野で、大地を踏みしめた橘が、スーツの拡声デバイスから咆哮を返してきた。
「言われるまでもない! 現場の美しき調和を、この僕が乱すと思うかね!」
橘が、抱え持った最新試作兵装を水平に構える。
6連回転バレルが再び猛烈な唸りを上げた。
「薙ぎ払え! パルス・ビーム、バァァァルカンッ!!」
ドババババババババッ!!
青白い熱線弾の豪雨が、ゲート前50メートルの大地を横一文字に焼き払った。
毎分3,000発の弾幕が、突進してきた変異狼や突角獣の前脚を根こそぎ粉砕する。
横転する魔獣の群れ。その死角を縫うように、背嚢から機械腕を伸ばした坂東が重機関銃を連射し、装甲の隙間へ徹甲弾を叩き込んでいく。
「橘、次が来るぞ! 右から突進角2頭!」
「承知! 下段セラフィム、出力70パーセント、照射!」
橘は全門斉射の誘惑を完璧にねじ伏せ、下段の2門だけを前方にスライドさせた。
排熱限界を正確に計算した2条の極太熱線が、砂煙を切り裂いて放たれる。
ズドォォォォンッ!!
突進してきた中型巨獣2頭が、一撃で胴体を両断されて大地へ沈黙した。
白煙を逃がす冷却ベント。
過熱計はイエローゾーンの手前でぴたりと止まり、キャノンのレスポンスは寸分も落ちていない。
坂東が機械腕の溶接バーナーをゲートの補強リブへ叩きつけながら、思わずニヤリと笑った。
「へっ、やるじゃねえかロマン野郎!」
「フッ、賞賛は勝利の美酒とともに受け取ろう!」
地上ゲート前の防衛線は、完全に機能していた。
だが、その時だった。
ジリリリリリッ!
防壁上層の監視コンソールから、耳をつんざくような非常警報が鳴り響いた。
コンソールの前にいた防衛軍の通信兵が、顔色を変えて叫び声を上げる。
「じょ、状況報告! 中央正面ゲート前、魔獣本隊の総数、推定3,000以上! 防衛軍第3師団の迎撃ラインが突破されました! 主力部隊、後退します!」
「何だと!?」
タケが盾の陰から顔色を変えた。
「中央が抜かれたら、この第3ラインどころか都市全体が背後から包囲されるぞ!」
数キロ離れた中央正面ゲート。
都市の生命線とも言える最重要ゲートが破られれば、避難シェルターのある居住特区まで一直線に蹂躙される。
俺の背筋に冷たい戦慄が走った。
だが、通信兵の叫びはそこで途切れなかった。
モニターの数値を凝視したまま、信じられないといった声で喉を震わせる。
「い、いえ、違います! 突破されていません! 中央ゲートの前で、敵の進軍が停止しました!」
「停止しただと? 誰が止めてるんだ!」
「単騎です! Aランク探索者、鳴神駿! たった一人で、3,000頭の正面本隊に突入しました!」
その言葉に、俺は思わず防壁の胸壁へ駆け寄り、遠く数キロ先の中央正面ゲートの空を見上げた。
胸壁のコンクリートを掴む指先に、思わず力が籠もった。
夜の帳が下り始めた荒野の彼方。
中央正面の地平線が、白銀と黄金の光柱によって、昼間のように照らし出されていた。
ドォォォォォォンッ!!
遥か彼方から、大気を震わせる轟音が届く。
巨大な結晶大剣を振るう、白銀のシルエット。
鳴神駿が一閃を放つたび、大地を覆い尽くしていた魔獣の群れが、百頭単位で光の奔流に呑み込まれ、宙へと消し飛んでいた。
さらに機動する4基のオーブ・ビットが、上空の飛行魔獣群の真下へ超音速で展開。
全方位へ張り巡らされた無数のレーザー網が、空を埋め尽くしていた翼獣の群れを、一羽残らず空中で蒸発させていく。
援護はない。
周囲に味方の姿は1機もいない。
数千頭の津波を前に、たった一人で立ち塞がり、全ての攻撃を己の剣とビットだけで受け止め、逆に大群を一方的にすり潰している。
あれが、国内最高峰のAランク探索者。
孤高の看板ストリーマー、鳴神駿の本当の戦いだった。
「すげえな」
タケが呆然と呟いた。
橘も荒野の彼方を見上げ、珍しく言葉を失っている。
たった一人で持ち場を守り抜き、地獄のような中央正面を完全に封殺している男の背中が、荒野の彼方に輝いていた。
「見とれてる暇はねえぞ」
俺の声に、仲間たちがハッと我に返った。
「中央は、あいつが一人で食い止めてくれてる。なら、この第3防壁を破らせるわけにはいかねえ」
俺は、先の狙撃から畳まずにいた黒曜を掴んだ。三脚もリブへの固定も生きたままだ。撤収さえしていなければ、面倒な5分の再展開はいらない。
新品のバッテリーカートリッジが青白い燐光を放ち、二重螺旋回路が交差励起を開始する。
キィィィィン!
スコープの視界。
上空の暗雲を突き破り、ひときわ巨大な影が旋回降下してくるのが見えた。
第二波の空挺ボス。
翼長15メートルを超える超大型の変異巨竜、メガロ・ワイバーン。
全身を分厚い紫黒の竜鱗で覆い、防壁の胸壁を踏み潰さんと、巨大な嘴を開いて急降下してきていた。
距離、上空1,000メートル。
時速150キロを超える突進速度。
「凌、あんなのが直撃したら防壁の上が吹き飛ぶぞ!」
タケが叫ぶ。
だが、俺の心は静まり返っていた。
恐怖はあった。
だが、その恐怖の底には、何があっても揺らがない確信があった。
俺には、この道具がある。
佐伯親方が研ぎ上げた刃があり、雫が編み上げた回路があり、倉田チーフたちが託してくれた技術がある。
そして何より、背中を預け合える仲間たちがいる。
レティクルの十字が、急降下する巨竜の眉間、竜鱗が交差する急所核と寸分違わず一致した。
距離、600メートル。
400メートル。
ここだ。
娘の待つこの街を、絶対に譲らねぇ。
引き金を引いた。
ドォォォォォンッ!!
初速マッハ6.2の徹甲魔弾が、大気を筒状に押し広げながら一直線に天を穿った。
閃光が巨竜の眉間へ吸い込まれる。
超音速の魔弾は、分厚い竜鱗を紙のように貫通し、頭蓋の奥にある中枢魔核を跡形もなく粉砕した。
ギャァァァッ!
断末魔の叫びとともに、巨竜の首が跳ね上がる。
だが、15メートルの巨体は突進の慣性を残したまま、防壁の胸壁目掛けて一直線に落下してくる。
「アキュラッ!」
俺は黒曜から手を離し、両腰の長剣を抜いた。
ハイブリッドモード、全展開。
右手に実体長剣。
頭上へ飛翔長剣を撃ち上げ、左右から小型レイヴン2機を超音速で射出。
俺は胸壁の縁から、落下してくる巨竜の骸目掛けて、正面から跳躍した。
「間宮さんッ!?」
葵の悲鳴のような声が響いた。
だが、俺の視界は研ぎ澄まされていた。
空中で交差する4つの刃。
左右のレイヴンが両翼の基部関節を音速でスライスし、頭上の飛翔アキュラが太い頸動脈と腱を水平に両断。
そして俺自身が、右手の実体アキュラを渾身の力で振り抜き、巨竜の胸骨を縦一文字に断ち割った。
ズバァァァッ!!
空中で四散する巨大な翼と首。
推進力を完全に失った巨竜の残骸は、防壁の胸壁をかすめるようにして外壁の外側へと落下し、荒野の大地へ轟音とともに激突した。
ズズゥゥゥンッ!
巻き上がる土煙。
俺はワイヤーを射出し、防壁のキャットウォークへ滑らかに着地した。
4つの刃が、青白い待機光を放ちながら俺の周囲へと舞い戻ってくる。
静寂が訪れた。
ボスの撃墜を見届けた周囲の魔獣たちが、潮が引くように足を止め、次々と荒野の彼方へと逃走を始めていた。
防壁の足元でも、橘のバルカンと坂東の弾幕に押し返された魔獣群が、蜘蛛の子を散らすように散開していく。
そして遠く中央正面ゲートでも、白銀の光柱が静かに収束し、荒野を埋め尽くしていた数千頭の本隊が、完全に壊滅・敗走していた。
「勝った、のか?」
タケが、へたり込むように削り削られた盾の縁に座り込んだ。
だが、誰からも歓声は上がらなかった。
一条が荒い息を吐きながら防壁の縁に手をつき、葵は煤に汚れた顔で、焼け焦げた胸壁を見下ろしている。
ゲートの下では、橘が激しい白煙を吹き上げるセラフィム・キャノンを背負ったまま片膝をついていた。スーツの装甲板は各所が食い千切られ、パルス・ビームバルカンのバレルは過熱で赤く変色している。坂東の機械腕も、油圧ホースが弾け飛んで火花を散らしていた。
ジリリリリ、と胸壁の無線機が耳障りなノイズをまき散らし始める。
スピーカーから飛び込んできたのは、防衛軍とギルドの悲痛な怒号だった。
『各セクター、状況を報告しろ! 第2外郭ライン、胸壁が30メートルにわたって崩壊!』
『医療班、至急ストレッチャーを回せ! 搬送が追いつかない!』
『第1区、深層進入ゲート付近で大規模な落盤! 地下管制室との通信が途絶した! 坑道内に取り残された探索者が多数いる模様!』
重苦しい報告が、途切れることなく積み上がっていく。
荒野の魔獣群は敗走した。
だが、これを勝利と呼ぶには、あまりにも払った代償が大きすぎた。
防壁のあちこちから黒煙が立ち上り、都市の奥からは途絶えることのない救急サイレンが夜の空へと響き渡っている。
それでも。
俺は血と煤にまみれたグローブを外し、夜の帳の中に佇む街、あのシェルターのある方角を見つめた。
辛うじて、繋ぎ止めた。
防壁は軋み、傷だらけになりながらも、娘の待つこの街への突破だけは、仲間たちと全員で死守したのだ。
夜風が、熱気と硝煙を冷たく撫でていく。
俺は胸の奥で静かに息を吐き、傷だらけの獲物を腰へと収めた。




