第080話:二正面と、黒き狙撃手と天鷲の初陣
非常用シャフトの重い鉄扉が開き、俺は煙と油の匂いが充満する地上ターミナルへと駆け出した。
全身の筋肉が軋み、スーツの各所には崩落した岩盤の削り粉と魔獣の体液がこびりついている。
中層第28層から第30層にかけての崩落現場。
瓦礫をアキュラの梃子で跳ね上げ、迫り来るアストラル生命体を撃退しながら、取り残されていた探索者たちを浅層避難路へと押し上げることおよそ1時間。
孤立していた120名全員の無事退避を確認し、俺自身も地上へと這い上がってきたところだった。
「間宮さん!」
迎えてくれたのは、防護ヘルメットを被り、両手に分厚い予備弾倉のケースを抱えた長谷川さんだった。
息を切らし、額に張り付いた髪を乱暴に払う。
「深層の探索者、全員の地上帰還を確認しました! ですが休む暇はありません! 外郭第3防壁ラインに、変異魔獣の先頭集団が到達しました!」
長谷川さんはケースを開き、アルス・テック社製の大容量魔力バッテリー2基と、大口径徹甲魔弾の予備弾倉を俺の装甲ベストのホルダーへ手際よく差し込んだ。
「鈴ちゃんは志保さんと一緒に、特区の第1種強化防護シェルターへ無事収容されました。背後の心配は一切要りません!」
「助かる、長谷川さん」
俺はバッテリーのロック音を確認し、短く頷いた。
娘が無事だ。その事実だけで、身体の奥底から再び力が湧き上がってくるのが分かった。
「行ってきます」
「定時までに、無傷で帰ってきなさいよ!」
長谷川さんの激飛ばしを背に受け、俺は防壁の上層へと続く軍用スロープを駆け上がった。
*
重装甲のハッチを押し開けた瞬間、凄まじい地鳴りと硝煙の熱波が叩きつけてきた。
高さ20メートルの外郭防壁の上。
眼前には、見渡す限りの荒野を埋め尽くす黒い津波が広がっていた。
数キロ離れた中央正面ゲートの前では、国家防衛軍の第3師団が全戦力を展開していた。
十数機もの制式マナ・フレーム部隊や大型魔導列車が濃密な弾幕を張り巡らせ、数千頭の魔獣本隊と死闘を繰り広げている重低音が、足元のコンクリートを絶え間なく震わせている。
だが、今回のスタンピードは都市全周を覆う異常事態だった。
中央正面の激戦区を迂回した別動隊が、防壁の垂直壁面へと殺到している。
全高4メートルを超える巨体のマナ・フレームでは、この高さ20メートルの狭い胸壁やキャットウォークの上には上がれない。
垂直の壁を這い上がる壁登り種や、防壁の裂け目に取りつく魔獣を食い止められるのは、足元を踏みしめて戦う生身の歩兵と工兵たちだけだった。
大砲の轟音と迎撃機銃の閃光が入り乱れ、防壁の胸壁が激しい振動で軋んでいる。
そしてその防衛ラインの最前線で、見知った仲間たちが死力を尽くしていた。
「おらぁぁぁッ! ここから先へは指一本通さねえぞ!」
胸壁の裂け目で咆哮を上げていたのは、傷だらけの大型タワーシールドを構えたタケだった。
防壁の壁面を這い上がってきた変異トカゲの群れを、全体重を乗せたシールドバッシュで次々と大地へ叩き落としている。
その隣では、道着風のローブを翻した一条岳が跳躍していた。
黒鉄の手甲を青白く励起させ、掌底から放たれた衝撃波『金剛勁』が、防壁へ飛び移ろうとした剛毛の巨大猿の頭蓋を空中で粉砕する。
「正面のマナ・フレーム部隊は本隊の相手で手一杯だ! こっちに回す機体なんざ1機もねえぞ! 装甲板のボルトが持たん!」
背嚢から機械腕を伸ばした坂東宗一郎が叫ぶ。
リグ・クラフト社の『V-RIG』のサブアームで重油圧カッターを振るい、防壁の支柱に食らいつく甲殻虫を叩き割りながら、左アームの溶接バーナーで亀裂の補修を強行していた。
さらに防壁上部のキャットウォークでは、神崎葵が2機の燕型ビット『スワロー』を旋回させていた。
交差展開された偏向シールドが、荒野から飛来する毒針や火炎弾を滑らかに弾き返し、生じた死角へ愛銃ヴァルキリーの精密な3点バーストを撃ち込んでいる。
だが、戦況は圧倒的に劣勢だった。
魔獣の数が多すぎる。
そして何より、荒野の地平線の彼方から、砂煙を巻き上げて猛進してくるひときわ巨大な影があった。
「大型突進種、接近! 体長12メートル、超重装甲種メガロ・ライノです!」
防衛軍の監視兵が悲鳴を上げた。
全身を分厚い生体黒鋼の甲殻で覆った巨大な角獣が、時速80キロを超える突進速度で、防壁のメインゲート目掛けて一直線に迫っていた。
防壁の迎撃カノン砲が連続着弾するが、分厚い衝角と前面装甲に弾かれ、火花を散らすだけで足を止められない。
「あんな質量で突っ込まれたら、第3ゲートが内側から吹き飛ぶぞ!」
坂東が歯を食いしばる。
距離、およそ1,200メートル。
誰もが絶望的な衝撃に備えて身構えた、その時だった。
「伏せてろ!」
俺は防壁の最高地点にある狙撃銃架へ駆け寄り、背負っていた細長いコンテナを叩きつけた。
ラッチが外れ、黒曜の銃身が油圧アシストとともに展開する。
三脚を展開し、銃底を胸壁の金属リブへ固定。
外部魔力バッテリーを直結すると、銃身に刻まれた如月雫の二重螺旋回路が、鮮やかな白銀の燐光を放ちながら交差励起を始めた。
キィィィィン、と大気を切り裂く励起音が鳴り響く。
スコープの接眼レンズに視線を落とす。
1,200メートル先で猛進するメガロ・ライノ。
体長12メートルの巨体。
狙うべき急所は、巨大な角の根元、頭蓋骨の装甲板がわずかに重なり合う、直径わずか20センチの隙間。
風速、右から秒速4メートル。
魔素干渉、平原の歪曲率プラス0.04。
息を吐き出し、鼓動の合間に意識を沈める。
レティクルの十字が、猛進する巨獣の角の根元と寸分の狂いもなく一致した。
撃て。
指先が、冷たいトリガーを引き絞った。
ドォォォォォンッ!!
落雷のような発砲音が防壁全体を揺るがした。
銃口から撃ち出された初速マッハ6.2の徹甲魔弾が、大気を真空の筒のように押し広げながら、荒野を白銀の閃光となって一直線に切り裂いた。
1,200メートルの距離を、コンマ6秒で踏破。
ズドォォォッ!!
閃光はメガロ・ライノの角の根元へ吸い込まれるように着弾し、超高密度の生体装甲を紙細工のように貫通した。
直後に、頭蓋の奥で魔核が破砕。
猛進していた12メートルの巨体が、突進の慣性のまま大地へ前転し、凄まじい土煙を巻き上げながら転倒した。
防壁の手前300メートルで、巨獣が完全に沈黙する。
「な、何だ、今の射撃は!?」
防衛軍の兵士たちが叫んだ。
だが、驚愕に浸る時間はない。
防壁の壁面には、後続の変異壁登り獣や跳躍型の牙獣が群がり、タケたちの防衛ポイントへ雪崩れ込もうとしていた。
「黒曜の再装填は後だ!」
俺は狙撃銃を固定台に残し、両腰の試作アキュラを握りしめた。
ハイブリッドモード、最大展開。
キィィン!
右手に1振りの実体長剣を引き抜き、頭上へもう1振りの飛翔アキュラを射出。
両脇へ小型レイヴン2機を撃ち放ちながら、俺は高さ20メートルの防壁から、魔獣が密集する胸壁の裂け目へと飛び降りた。
「凌!?」
タケの叫び声が響く中、俺は着地と同時に全身の魔力を解放した。
小型レイヴン2機が左右の死角へ超音速で旋回し、飛びかかってきた変異狼の腱と喉笛を高周波刃で寸断。
頭上の飛翔アキュラが、青い螺旋の光を帯びて水平に音速回転し、防壁を登り切った魔獣の群れを次々と首から両断していく。
そして俺自身は、右手の実体アキュラを真一文字に一閃させ、タケの盾を押し込んでいた大型爪獣の腕を骨ごと断ち割った。
ズバァァッ!!
滑らかな切断の手応え。
手持ち、頭上、左右。
4つの刃が、防壁の裂け目に鉄壁の制圧圏を形成していた。
「凌、お前その剣、飛ばしてんのかよ!?」
タケが盾の陰から叫んだ。
「後で話す! タケ、盾を引くな! 一条、右の壁面を! 葵、上空の牽制を頼む!」
「了解!」
「応よ!」
俺の号令に、散り散りになりかけていた仲間たちが即座に呼応した。
タケが盾を構え直して前線を固定し、一条が衝撃波で側面の敵を叩き落とし、葵のスワローが偏向シールドで頭上を防御する。
そして俺のアキュラとレイヴンが、防壁の突破口に群がる敵を神速の勢いで解体していく。
崩れかけていた防衛ラインが、一瞬にして鉄壁の迎撃陣形へと生まれ変わった。
娘の待つこの街を、絶対に踏み荒らさせはしない。
二正面の危機の中、地上の守人たちの反撃の咆哮が、荒野の空へと響き渡った。




