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地蔵堂の鈴と、解体屋の黒い刃 〜保育所のお迎えに間に合わせるため魔獣を解体していたら、勝手に伝説の解体士と呼ばれていた〜  作者: 草むしり50年
第8章:深層の咆哮と、黒き狙撃手編

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第062話:初めての「行ってきます」と、深層進入ゲート

 朝の光が、リビングの遮光カーテンの隙間から細く差し込んでいた。

 普段ならまだ寝息を立てている時間帯だが、室内の空気はいつもと違っていた。


 テーブルの上には、早川家に持参する2泊3日分の荷物が整理されて並んでいる。着替えの肌着が4組、予備のタオル、スティック状の粉ミルク、おむつのパック、そして鈴がお気に入りの小さな羊のぬいぐるみ。


 鈴はカーペットの上に座り込み、そのぬいぐるみの耳を小さな手でぎゅっと握りしめていた。

 俺が身につけている装備を、大きな瞳でじっと見つめている。


 アルス・テック社製の実戦特化型タクティカルスーツ『レイヴン・ワーカー』。

 深みのあるチャコールブラックの耐刃ジャケットと、マルチポケットカーゴパンツ。特殊魔導ケブラー繊維と耐衝撃ゲルを何層も積層し、俺の身体強化魔力を滞りなく全身へ循環させる超高純度の微細魔導糸が編み込まれている。


 右腰には、佐伯の親父が仕上げた刃渡り35センチの剛鉈、アダマン・クリーバー。大腿部には、大口径魔導拳銃『レクス・マグナム』のホルスター。

 そして背中には、試作ビット『レイヴン』4機を収納した薄型バックパックホルダーを背負っている。


 さらにその上から、頑丈なタクティカルハーネスを回し、長大なライフルケースを斜めに背負い込んだ。


 総重量およそ25キロ。

 大口径対物魔導狙撃ライフル『黒曜』本体と、ストック後部にスロットインする試作バッテリーカートリッジ。


 倉田たちが昨夜遅くまで調整を重ね、今朝の始発前に社宅の受け渡しロッカーへ届けてくれた完成品だ。


 背負いベルトを締め上げると、肩の骨にずっしりとした金属の質量が食い込む。

 中層の探索では決して背負うことのない、規格外の重みだった。


「ぱぱ?」


 鈴が立ち上がり、トタトタと覚束ない足取りで近寄ってきた。

 自由な左手で俺のズボンの裾を小さく掴み、首をかしげて見上げてくる。

 いつもと違う重装備の物々しさと、玄関に置かれた大きなボストンバッグ。幼いなりに、何かが普段と違うことを敏感に察知しているようだった。


「鈴」


 膝を折り、鈴の目線まで腰を落とした。

 伸ばした手で、柔らかな頭をそっと撫でる。

 いつもなら「すぐ戻る」と言って頭を撫でるだけで済むが、今回は違う。地下数千メートル、電波も届かない深層への2泊3日の遠征だ。


 鈴は俺の指先にすり寄るように頭を傾け、握りしめたぬいぐるみを胸元に抱き直した。


「ちょっと遠くまで仕事に行ってくる。志保さんの家で、陽菜ちゃんや芽依ちゃんと一緒にお留守番だ。いい子にして待っててくれな」


 鈴は瞬きを二度繰り返し、俺の顔と、背中の黒いライフルケースを交互に見つめた。

 意味が完全に通じているわけではないだろう。だが、俺の声のトーンから、離れる時間がいつもより長いことだけは伝わったようだった。


 小さな指先が、ズボンの布地をもう一度ぎゅっと握り直した。


 7時45分。

 リビングのインターホンが低く鳴った。

 モニターを確認すると、エプロン姿の志保と、その後ろで飛び跳ねている陽菜と芽依の姿が映っていた。

 深呼吸をひとつ落とし、ボストンバッグの持ち手を掴んで立ち上がる。


「よし、行こうか」


 鈴を抱き上げ、玄関のドアを開けた。


「おはようございます、凌さん。準備は大丈夫?」


 志保が朗らかな声で迎えてくれた。

 その足元から、陽菜と芽依が顔を覗かせる。


「すずちゃん、おはよー!」

「すずちゃん、あそぼー!」


 元気いっぱいの二人の声に、鈴の肩がぴくりと跳ねた。

 俺の首筋に回されていた鈴の小さな腕が、わずかに緩む。


「おはようございます、志保さん。朝早くからすみません」

「いいのよ、お互い様なんだから。昨日のうちに陽菜たちの部屋も片付けて、すずちゃん用の布団も敷いてあるからね」


 志保は手際よく俺の手からボストンバッグを受け取り、中身の重さを確かめるように小さく頷いた。


「着替えとミルク、おむつはここにまとめました。あとは、寝る時用のタオルと、このぬいぐるみです」

「了解。葵ちゃんたちからも連絡があって、夕方には定時で上がって手伝いに来てくれるって言ってたわ。だから、後ろの心配は一切しないで」


 志保は視線を俺の背中へと向け、目を細めた。

 元Bランク探索者としての鋭い光が、その瞳の奥に一瞬だけ宿る。


「それが、例の深層用ライフルね。ずいぶん頑丈なケースだけど、相当重いんじゃない?」

「総重量で25キロあります。近接で振り回す獲物じゃないですが、深層の化け物を抜くにはこれが必要になります」

「そう。道具の準備に抜かりがないなら、私から言うことはひとつだけよ。自分の足元だけ、しっかり見てきなさい」


 志保は俺の目をまっすぐに見据えて言った。


「後ろ髪を引かれて迷うのが、一番危ない。子供のことは私たちが絶対に守るから、凌さんは自分の命を守ることに集中しなさい。無事に帰ってくるのが、すずちゃんへの一番のお土産よ」

「はい。肝に銘じます」


 俺は深く頭を下げた。

 腕の中の鈴を、ゆっくりと床へと下ろす。

 足が床に着いた瞬間、鈴は名残惜しそうに俺の太ももに手を伸ばしたが、そこへ陽菜と芽依が両脇から駆け寄ってきた。


「すずちゃん、てぇつなご!」

「おままごと、するー!」


 二人の小さな手が、鈴の小さな手を左右から包み込む。

 鈴は驚いたように丸い目をしばたたかせ、それから俺の顔を見上げた。

 俺は口元をわずかに緩め、片手を小さく上げてみせる。


「行ってくる」


 鈴は眉根を少しだけ寄せ、それから、ぎゅっと握られた左右の手を確かめるように見下ろした。

 陽菜と芽依が満面の笑顔で引っ張ると、鈴は小さな足を一歩踏み出し、振り返って空いた左手を一生懸命に振った。


「ばいばー!」


 澄んだ、濁りのない声だった。

 一度も泣き顔を見せず、しっかりと前を向いて歩き出す。

 志保が優しくその背中に手を添え、俺に向かって力強く頷いてみせた。


「いってらっしゃい、凌さん」

「行ってきます」


 ドアが静かに閉まる。

 廊下に残された静寂の中で、俺は背中のハーネスを一段強く締め直した。


 脳裏に蘇るのは、あの演習場でグラウンド・モールが地面を突き破った瞬間だ。防壁の上がどれだけ鉄壁でも、地面の下はがら空きだった。

 あの化け物どもの巣が、鈴の眠るこの部屋の真下に繋がっていないと、誰が言い切れる。


 だったら、上で震えて待ってるより先に、俺が下で潰しておく方が早い。

 エレベーターホールへ向かう足取りに、迷いはなかった。


   *


 第1区、世界探索者ギルド中央ターミナル。

 中層や地上防壁の任務へ向かう一般探索者で溢れかえるメインロビーを抜け、俺は地下4階の専用エレベーターへと向かった。


 重厚なセキュリティゲートの前には、分厚い防爆ガラスで仕切られた『深層進入管理セクション』が設置されている。

 壁面の警告灯が鈍い赤色に明滅し、大型ディスプレイには極太の警告文字が並んでいた。


『注意:深度数千メートル/第31層以降進入区画』

『進入制限:Bランク以上、または防衛軍特務認証保持者のみ』


 ゲートの手前には、十数名の探索者が待機していた。

 だが、その顔ぶれと装備の重厚さは、中層のロビーとは完全に隔絶していた。


 全身を重厚な耐魔複合装甲で固めた前衛重装兵、大口径の対大型魔導キャノンを肩に担いだ砲撃士、漆黒のローブを纏ったベテランの支援魔導士。いずれも歴戦の傷跡を隠そうともしない、名の知れた大手クランの精鋭部隊ばかりだった。

 4人から6人のフルパーティで陣を組み、互いに無言で装備の最終点検を行っている。漂う空気は刃のように冷たく張り詰めていた。


 そこへ、俺が足音を響かせて近づいていく。

 周囲の視線が、一斉にこちらへと向けられた。


「おい、見ろよ」

「ソロか? 冗談だろ、深層行きだぞ」

「見かけない顔だな。Bランクの新顔か?」


 ひそひそとした囁き声が耳に届く。

 無理もない。周囲が巨大な大盾や全身鎧、大型の携行火器で身を固める中、俺の格好はチャコールブラックのタクティカルスーツ『レイヴン・ワーカー』という、一見すると無骨な作業服に近い軽装だ。

 腰にぶら下げた35センチの鉈と拳銃は、彼らの目には中層用の小道具にしか映らないだろう。


 だが、彼らの視線はすぐに、俺の背中に固定された。


「なんだあの長物。ケースごと背負ってやがるが」

「対物ライフルか? だが妙に太いな」

「それに、あの背中の細長い端末、ビット兵装か? ソロでビットと重狙撃銃だと?」


 熟練者たちだからこそ、背中の異様な質量と、ビットホルダーの放つ微かな魔力波の異質さに気づく。

 訝しむ視線、品定めするような冷たい光。

 俺はそれらの視線を意に介さず、管理ゲートの認証端末へと歩み寄った。


「探索者証をどうぞ」


 防護スーツを着た受付官が、事務的な声で促す。

 胸ポケットから金属製のライセンスカードを取り出し、読み取りスキャナーにかざした。


 ピピッ、と電子音が鳴り、モニターにデータが展開される。


『認証:間宮凌 / ランク:B』

『魔力保有量:480 / 変換効率:85%(実効出力81)』

『所属:第七外郭門管区 / アルス・テック社専属テスター』

『特別携行兵装:大口径対物魔導狙撃ライフル「黒曜」試作1型 / 遠隔誘導端末「レイヴン」4機』

『進入許可コード:アルス・防衛軍合同認可 第092号』


 画面を覗き込んだ受付官の眉が、ピクリと跳ね上がった。

 変換効率85%という異常値と、防衛軍直轄の合同認可コード。

 受付官は画面と俺の顔を二度見比べた後、居住まいを正してカードを返却してきた。


「確認いたしました、間宮探索者。第31層前進拠点への降下シャフトは、定刻通り9時30分に発車します。深層は現在、エキスポでの変異種地中突破事案を受け、全域で最大警戒レベルが発令されています。十分にご注意を」

「了解しました」


 カードをポケットに収め、開かれた重防壁ゲートの向こうへと進む。

 背後で、先ほどまで値踏みするように見ていたベテラン探索者たちが、モニターの数値を盗み見て息を呑む気配が伝わってきた。


 肩に食い込む黒曜の質量を背負い直し、俺は前を見据えた。

 地下数千メートルの奈落へと続く、大深度シャフトの搭乗ハッチが目前に迫っていた。



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