第060話:黒曜の咆哮と、職人の制約
耳を圧するような静寂が、地下深くの空間を満たしていた。
アルス・テック社本社ビルの地下4階。分厚い耐衝撃魔導コンクリートと衝撃吸収ゲルで覆われた特殊兵装用の地下射撃壕だ。
無機質な照明の下、頑丈なスチール製射撃台の上にそいつは横たわっていた。
大口径対物魔導狙撃ライフル『黒曜』。試作型番、AMR-01 オブシディアン。
アルス社の開発申請書類にはカタカナの型番が並んでいたが、佐伯親方は「俺が魂込めて叩いた鉄塊に、そんな気取った名前は似合わねぇ」と頑なに『黒曜』の銘を譲らなかった。将来、量産して市販カタログに載せる時は『オブシディアン』にするという条件で倉田と折り合いをつけたらしいが、光を吸い込む漆黒のヘビーバレルを見れば、なるほど親方の言う通りだと納得してしまう。
全長およそ140センチ、重量約9.5キロ。
普段使っている30センチの解体ナイフと比べれば、小銃というより小型の対戦車砲に近い。
銃身は光を吸い込む漆黒。佐伯親方が炉で赤熱させ、槌を幾千回と振り下ろして鍛え上げた超高耐熱魔導鋼の手打ちヘビーバレルだ。機械削り出しには出せない鋼の密度と、微かな槌目が鈍く光る。
銃身から機関部にかけては、如月雫が設計した幾何学模様の極細ラインが銀色の象嵌のように刻まれていた。膨大な魔力を減衰させずに弾頭へ送り込む、二重螺旋励起回路だ。
「図面で見たときも思ったが、実物は輪をかけて物騒だな」
俺が呟くと、背後からがははと野太い笑い声が響いた。
「なに言ってやがる間宮! 男のロマンを形にしたような見事な鉄塊じゃねぇか!」
腕を組んで白い歯を見せるのは、アルス社の先輩テストパイロットである熊井剛三だ。その隣では、胸元に支給されたばかりの『魔導兵装開発部・主任テストパイロット』の銀バッジをつけた神崎葵が、記録用タブレットを抱えている。
「熊井先輩、ロマンではなく実用性の極限です。ただ、間宮さんの言う通り凄まじい威圧感ですね」
葵が苦笑混じりに頷いた。
「ふん、見た目なんざ二の次だ」
パイプを咥えた佐伯親方が鼻を鳴らした。
「俺が叩いたのは、深層のバケモンの硬度をへし折る芯だ。市販カタログで気取ったカタカナ名をつけるのは勝手だが、この初号機は正真正銘の『黒曜』だからな」
「分かってるよ親方。外販モデルの『オブシディアン』は機械削り出しの量産仕様だ。親方が手打ちで鍛えたこのマスターピースをどうこう言う気はねぇよ」
作業用ゴーグルを上げた倉田チーフが笑い、隣の雫が白衣の裾を正して深々と頭を下げた。
「私の理論も、親方の魔導鋼が持つ圧倒的な熱伝導性と耐久限界があって初めて成立したものです」
共同嘱託研究員となった彼女の瞳には、現場への敬意が満ちていた。
「よし、間宮さん、試射の準備に入ってくれ」
倉田の合図に、俺は一つ息を吐いて頷いた。
まずは動力源の装着だ。
耐衝撃樹脂製の背負い式バッテリーパックに腕を通す。ずしりと両肩に重みが食い込んだ。
高密度魔導蓄電池を4基束ねた特注品で、単体で15キロを超える。銃本体と合わせれば総重量はおよそ25キロ。背筋に力を込め、ハーネスを固く締め上げた。
底面から伸びる太い耐熱給電ケーブルをライフルの給電ポートへ差し込むと、カチリと硬質なラッチ音が響いた。
「バッテリー直結、確認しました」
雫が手元の端末を操作する。
「先生、魔力波形の同調率92パーセントです。二重螺旋回路への励起導通、正常。エネルギー漏洩、ゼロです」
「了解だ」
俺はライフルを抱え、射撃ブースの床にラバーマットを敷いて伏射の姿勢を取った。
銃口下のバイポッドを開き、コンクリート床に食い込ませる。銃床を右肩の付け根へ深く押し当てた。分厚いゴム越しにも、魔導鋼の芯の通った冷たさが骨に伝わる。
スコープに右目を寄せる。
500メートル先の標的エリアが、目の前にあるかのように拡大された。
設置されているのは、主力戦車の前面装甲に用いられる厚さ200ミリの多層複合装甲板だ。アストラル偏向コーティングが施され、通常の魔導弾を何千発撃ち込もうと傷一つつけられない。
「ターゲット、500メートル先の重装甲標的。防護フィールド展開完了」
葵のアナウンスとともに、射撃レーンに青白い力場隔壁が何重にも立ち上がった。
無骨なボルトレバーを跳ね上げ、後方へ引き絞る。
ジャキン、と重い金属音が響いた。親方が研磨した機関部は油膜のように滑らかだ。
開いた薬室に、20ミリ相当の超高密度魔導徹甲弾を1発滑り込ませる。星霊鋼の粉末を高圧圧縮した特殊弾頭は、掌でずっしりと重い。
ボルトレバーを押し込み、下へ倒して完全密閉。
雫の回路が魔力に反応し、スコープ内に青い照準十字と補正光点が浮かび上がった。
肺の空気を半分吐き出し、止める。
引き金に指の腹を添え、抵抗を感じた瞬間、最後の一押しを迷わず絞り込んだ。
空間そのものが弾け飛んだような、重低音の破裂波が地下を揺るがした。
射撃壕の空気が銃口へ吸い寄せられる。
直後、暴走トラックに正面衝突されたような暴力的な衝撃が肩を襲った。
だが、大型マズルブレーキが排圧を斜め後方へ逃し、俺自身の体幹が衝撃を床面へ受け流す。
銃口から放たれた白銀の閃光が、音速を遥かに超えて空間を切り裂いた。
500メートルの距離を瞬時に踏み越える。
標的エリアで純白の閃光が弾けた。
着弾音すら遅れて届く衝撃波が、防護フィールドを激しく軋ませる。
200ミリの複合装甲板の中心部が、一瞬で赤熱、融解し、そして蒸発した。
中央に直径40センチを超える巨大な風穴が開き、弾頭の余波は背後の耐衝撃コンクリート防壁にまで達して擂鉢状のクレーターを抉り取っていた。
銃身のスリットから、シューッという蒸気音とともに白い排熱煙が噴き出す。焦げたオゾンの匂いが立ち込めた。
「う、嘘だろ」
背後で倉田が呆然と声を漏らした。
「がはははは! なんだそりゃあ!」
熊井が腹を抱えて大爆笑し、床を踏み鳴らす。
「蒸発しちまったぞ! 戦車用の複合装甲が一撃で丸ごと消し飛んだ! 如月、数値はどうだ!?」
「初速、マッハ6.2! 火薬銃の物理限界を軽々と超えて、電磁加速砲に匹敵する極超音速に達しています! 二重螺旋励起による魔力減衰率は0.03パーセント未満、ほぼ理論値通りです! 成功です!」
雫が歓喜の声を上げ、葵も満面の笑みで雫の手を握りしめた。
「レールガン並みの弾速を手持ちライフルで叩き出しやがったか」
倉田が額の汗を拭い、呆気にとられたように呟いた。
「へっ、当たり前だ。俺が鍛えたバレルに歪みなんざ1ミクロンもねぇよ」
親方は腕を組んだまま鼻を鳴らしたが、咥えたパイプから燻る紫煙を細く吐き出す横顔には、確かな矜持が滲んでいた。
全員が沸き立つ中、俺は静かに息を吐いた。
ボルトレバーを引くと、カキンと星霊鋼の空薬莢が跳ね出され、火傷しそうな熱気を放ちながらゴムマットを転がった。
俺は身を起こし、あぐらをかいて銃身の熱を確かめた。
威力は文句なしだ。先日のエキスポで地上を揺るがしたような巨獣でも、眉間に叩き込めば装甲ごと脳幹を消し飛ばせる。
だが、俺の頭の中は冷徹な計算で埋まっていた。
「親方、倉田チーフ」
俺が声をかけると、連中がピタリとこちらを振り向いた。
「威力は100点満点だ。だが、こいつは現場で気楽に振り回せる代物じゃねぇな」
俺は床の銃と背中のバッテリーを指差した。
「制約が、はっきり言って4つある」
空気が引き締まり、職人たちの目が真剣な色を帯びた。
「1つ目は重量と、この背負い式バッテリーだ。本体9.5キロ、バッテリー15キロ強で総重量25キロ近い。だが重さ以上に致命的なのは、俺の背中にあるレイヴンのスリングケースと完全に干渉することだ」
俺の言葉に、倉田がハッとしたように顔を上げた。
「それに、体と銃が太い給電ケーブルで繋がれてちゃ、敵に接近された瞬間に銃を放り出してナイフやレイヴンに切り替えることすらできねぇ。中層の乱戦で持ち歩けば、武器も切り替えられずに餌食になるだけだ」
「確かにそうだ! 背負い式バッテリーじゃ、レイヴンのホルダーを背負うスペースが丸ごと潰れちまうな。緊急時の持ち替えも致命的に遅れる」
倉田が顎に手を当て、険しい顔で頷いた。
「2つ目は連射が利かねぇことだ。単発の手動装填に加えて排熱が凄まじい。冷却が終わるまで最低でも10秒は次弾が撃てねぇ。外して接近されたら詰みだ」
「先生の仰る通り、二重螺旋の魔力負荷を考えると、連続射撃はバレル破裂の恐れがあります」
雫が端末を見ながら事実を補足した。
「3つ目は弾数とバッテリーの持ちだ。さっきの射撃で残量はどれだけ減った?」
問いかけると、雫が画面の数値を告げた。
「1発で全体の31パーセントを消費しました。安全を考慮すると最大3発が限界です。4発目はセルが焼き切れるか出力が激減します」
「たった3発しか撃てないんですね」
葵がタブレットを抱える指先に力を込めた。
「探索に持っていく兵器としては致命的な少なさだ」
俺は頷き、指を4本立てた。
「そして4つ目。展開と撤収にかかる時間だ。射撃ポイントを決めてバイポッドを固定し、ケーブルを繋いで照準器を合わせるまでに最低5分。撃ち終わって冷まし、片付けるのにも同じく5分はかかる」
俺は給電ケーブルのロックを外し、床に置いた。
「つまり、敵に見つかってから構えて撃てる代物じゃねぇ。あらかじめルートや巣を特定し、500メートル以上離れた安全圏から先制で初撃を叩き込むためだけの、完全な待ち伏せ用超長距離兵装だ」
地下射撃壕に、静かな納得が広がった。
無双の破壊力への興奮が引き、道具の限界が全員の共通認識となる。
佐伯親方がニヤリと笑った。
「へっ、分かってんじゃねぇか小僧。万能の武器なんてものは三流の小説の中にしかねぇ。制約を骨の髄まで理解して、使い所を違えねぇのが本物の使い手ってもんだ」
「まったくだ、親方の言う通りだな」
倉田も深く頷き、真剣な眼差しで俺を見た。
「特化型として割り切った方が兵器としての完成度は高くなるぜ。それで間宮さん、さっきのバッテリーとレイヴンの干渉問題、現場の使い手としてどう改善したい?」
「背負い式をやめたい」
俺は即答した。
「バッテリーを高密度セルとして、銃本体、ストックの後部にカウンターウェイトとしてスロットインするカートリッジ式にできねぇか?」
その言葉に、倉田が身を乗り出した。
「それだ! 親方の手打ちヘビーバレルはどうしても前方に重心が偏ってた。だが、ストック後部にバッテリーセルを内蔵すれば、前後の重量バランスが劇的に改善される! 背中のレイヴンも普段通り背負えるし、ケーブルがないから銃を床に置いて即座に近接戦へ移行できる!」
「ただし、本体内蔵型にするとセルの容積が限られます」
雫が即座に端末で計算しながら告げる。
「最大出力での射撃は、予備セルを持たない限り、装填されたカートリッジ1本で本当に3発が限界になります」
「上等だ。深層の巨獣相手に、4発も撃ち合うような状況じゃ最初から生きて帰れねぇ。3発あれば急所を仕留めるには十分すぎる」
俺が言うと、親方ががははと笑った。
「決まりだな! おい倉田、ストックの削り出しとセルスロットの加工、今夜中に叩き直すぞ!」
「おうよ親方! 引き金の重さも遊びを詰めて、バイポッドもスパイク付きの可変脚に換装してやるぜ!」
倉田が腕をまくり、工具を握りしめた。
「深層アタックの切り札ですね」
葵が歩み寄り、頼もしそうに俺を見た。
「第31層以降の大型変異種、これならどんな装甲を持つ相手でも確実に致命傷を与えられます」
「ああ。だが頼り切りにはならねぇよ。俺の本分は、あくまで解体ナイフと足元を固める泥臭い立ち回りだ。こいつは手が届かねぇ時の奥の手だな」
壁の時計を見上げると、針はすでに17時を回っていた。
「さて、長居しすぎたな。そろそろ片付けて上がらねぇと、家で待たせてる連中に怒られちまう」
「あ、もうそんな時間ですか!」
雫が慌てて時計を確認し、葵も口元をふっと緩めた。
「そうでした。今夜は間宮さんの新居でお祝いパーティーなんですから!」
「熊井先輩、親方、倉田チーフ、ありがとうございました。私たちはこれで失礼します」
二人が頭を下げる。
「おう、行ってこい! 若い連中は美味いもん食って英気を養え!」
熊井が豪快に手を振り、親方も背中を向けたまま「果物でも食ってろ」と手を振った。
射撃壕を出て、地上へ向かうエレベーターに乗り込む。
両肩に残る25キロの重みと、指先に染み付いた冷たい鉄の感触。
深層という未知の領域へ挑むための牙は、確かに手に入った。
だが今夜は、その物騒な鉄の匂いを洗い流して、娘の笑顔と甘いケーキの待つ家へ帰るだけだ。
俺は作業着の袖口で額の汗を拭い、エレベーターの上昇ボタンを押した。




