第059話:雫の選択と、武導の先輩
第1区国際見本市ホールの別館、2階に位置する大国際会議場。
普段は各国の軍需関係者や高名な学識経験者が集うその巨大なホールは、立ち見が出るほどの超満員で埋め尽くされていた。
壇上に投影された大型ホログラムスクリーンには、複雑に絡み合う魔力循環の数式と、青白い光条が交差する三次元結晶モデルが浮かび上がっている。
『二重螺旋励起理論による魔導兵装のエネルギー減衰防止と超長距離収束機構』
その文字の下、演壇の前に立つのは、銀青色の長髪を凛とハーフアップにまとめた18歳の少女、如月雫だった。
帝都魔導アカデミーを歴代最年少で飛び級首席卒業した神童。
だが今日の彼女が身に纏っていたのは、アカデミーの権威を象徴する豪奢な式典用ローブではなく、無駄な装飾を削ぎ落とした濃紺のジャケットとスラックスだった。
「以上が、外部魔力バッテリーから供給される高圧魔素を、銃身内部の共鳴結晶回路によって二重螺旋状に交差励起させる基礎理論です。従来の単一励起では不可避とされていた銃身先端での魔力減衰と拡散を、相互干渉の位相制御によって極限まで相殺することが可能となります」
静まり返った会場に、雫の澄んだ凛とした声が響き渡る。
演壇のレーザーポインターが、ホログラムの数式を的確に指し示した。
「これにより、大口径魔導徹甲弾の有効射程は従来の3倍以上に延伸され、500メートル先の戦車用複合装甲に対しても、威力を一切減衰させることなく急所へ全エネルギーを叩き込むことができます」
沈黙。
最前列に陣取ったアカデミーの伝統派教授陣が、顔を見合わせながら息を呑んでいた。
彼らが長年頑なに墨守してきたのは、「魔導の真理とは己の肉体と精神を高めて放つ純粋生体魔力にこそあり、機械や外部器具に頼るなど邪道」という教条主義だった。
だが、壇上の少女が提示したデータは、机上の理論ではなかった。
町工場の泥臭い鍛造技術と、現場の探索者が直面する生存への切実な要求から導き出された、生きた魔導工学の結晶だったのだ。
会場のあちこちから、パラパラと乾いた拍手が起こり、やがてそれはホール全体を揺るがす地鳴りのような大拍手へと変わっていった。
軍の技術将校たちが身を乗り出してメモを取り、海外のバイヤーたちが一斉に通話端末へ向かって早口で指示を飛ばしている。
教授陣は苦々しい表情で腕を組み、誰一人として反論の言葉を口にすることができなかった。
雫は演壇の前で深く一礼し、静かにステージの袖へと下がった。
*
熱狂に包まれたシンポジウム会場を後にし、関係者用通路へ出ると、ひんやりとした空気が頬を撫でた。
雫は抱えていた発表資料のバインダーを胸元でぎゅっと抱きしめ、細く長い息を吐き出した。
指先がわずかに震えている。
恐怖からではない。
かつて自分が絶対だと信じ込まされていた象牙の塔に、現場で培った本物の理論で風穴を開けたのだという、身体の底から湧き上がる昂ぶりだった。
「いい顔になったな、如月」
不意に、頭上からぶっきらぼうな低い声が降ってきた。
雫がハッと顔を上げると、通路のコンクリート壁に背中を預けて腕を組む、一人の男が立っていた。
短髪の精悍な顔つき。
引き締まった体躯に道着風のコンバットローブを纏い、両手には黒鉄のオープンフィンガー手甲が嵌められている。
帝都魔導アカデミー武導研究室・特任研究員、一条岳。
「一条先輩!」
雫の喉が小さく鳴った。
己の生体魔力と肉体強化だけを武器に魔獣の懐へ飛び込む、アカデミー屈指の近接格闘魔導士。
雫のアカデミー時代のお目付け役であり、兄貴分のように厳しく、そして温かく目をかけてくれていた先輩だった。
「シンポジウム、見に来てくださっていたんですか」
「ああ。一番後ろの席で聞かせてもらったよ」
一条は壁から背中を離し、ゆっくりと雫の前へ歩み寄ってきた。
手甲の魔導結晶が、通路の薄暗い蛍光灯を反射して鈍く光る。
「アカデミーを蹴って町工場の油臭い現場に下りたと聞いた時は、どうなることかと思ったが。だが、自分の足で立ってるじゃねえか」
その声音には、かつて雫を監視し、牽制していた時のような刺々しさは微塵もなかった。
雫は胸元のバインダーを握る手に力を込め、一条の視線を正面から受け止めた。
「はい。私は、現場を選びました。机の上で美しい数式をこねくり回して満足するのではなく、先生たちの現場から、魔導の真理を証明します」
「先生、ね」
「はい。間宮先生は、決して恵まれた魔力量を持っているわけではありません。ですが、指先の魔力1滴すら無駄にせず、手にした刃物を手足のように操って、どんな窮地でも仲間を無傷で守り抜きます。あの徹底した合理性と、生きて帰ることへの執念に触れて、私は自分の浅薄さを知りました。机上の美しい数式ではなく、現場で命を張る人たちが無傷で帰るための力こそが、私の追求すべき生きた魔導です」
一切の迷いがない、澄んだ眼差し。
一条は虚を突かれたように黙り、それから、ふっと口元を緩めた。
「参ったな。あのお高くとまってツンツンしてた首席のお嬢ちゃんが、すっかり一人前の顔になりやがって」
「も、もう! お高くとまってなんていませんでした!」
頬を朱に染めて抗議する雫に、一条は低く笑い声を漏らし、それから真剣な光を瞳に宿して頷いた。
「いい理論だったぞ。あのアカデミーの石頭のジジイどもが、ぐうの音も出ない顔をしてたのを見て、胸がすいたぜ。俺も、己の拳を磨く武導者として、負けてられねぇな」
「一条先輩」
「間宮によろしく言っとけ。『今度ダンジョンで会ったら、あの無駄のない身のこなしについてじっくり語り合おうぜ』ってな」
一条は背を向け、片手をひらりと振った。
武導者らしい堂々とした足取りで、通路の向こうへと去っていく。
雫はその広い背中が角を曲がって見えなくなるまで、姿勢を正し、深々と一礼を捧げ続けた。
かつての確執が溶け落ち、自分を認めてくれた先輩の背中に、胸の奥がじんわりと温かくなっていた。
*
「おーい、如月ぃ! お嬢ちゃーーん!!」
一条の足音が消えてほどなく、通路の奥から地響きのような騒がしい足音が響いてきた。
慌てて頭を上げると、白衣の裾をはためかせて走ってくる倉田巌チーフと、頑固そうな眉を吊り上げてドスドスと迫ってくる佐伯鍛冶工房の親方の姿があった。
「倉田チーフ、親方!」
「聞いたぞ! シンポジウムは大成功だったそうだな!」
倉田が息を切らしながらメガネの位置を直し、興奮で顔を紅潮させている。
隣の佐伯親方は腕を組み、フンと鼻を鳴らした。
「難しい数式のこたぁ俺にはさっぱり分からんが、お前の二重螺旋とかいう理論のおかげで、どうしても解決できなかった銃身の熱歪みと魔力の抜け穴が、綺麗サッパリ解消したぞ。図面の線が、全部一本に繋がった」
「親方! 本当ですか!」
「ああ、本当だとも」
倉田がスーツの内ポケットから、青い表紙の分厚いファイルを厳かに取り出し、雫の両手の上へ手渡した。
「アルス・テック社と佐伯工房の特命開発提携による、正式な嘱託研究員の契約書だ。親方の手打ち鍛造と、うちの兵器開発ラインを繋ぐ要として、君を正式に迎え入れたい。条件は確認してくれ。機密保持の手当に加え、新兵装の特許配分、それに第3ラボと佐伯工房の炉を、君の研究のために24時間自由に使っていい」
佐伯工房は下町の小さな鍛冶屋にすぎない。だが、大手メーカーの自動化ラインでは不可能な極薄刃先の焼き入れ技術を持ち、先日の『奇跡の銀匙』の共同開発でも業界を揺るがした、知る人ぞ知る名工の工房だ。
表紙をめくると、アルス社の社判と佐伯工房の角印が並び、明確な文字が刻まれていた。
『アルス・テック社 × 佐伯鍛冶工房 特命共同嘱託研究員 就任承諾書』
『被委嘱者:如月 雫 殿』
アカデミーという巨大な権威の傘ではなく、自分の足で選び取った、現場の職人たちとの対等な絆。
雫の瞳に、熱い滲みが広がった。
だが、すぐに袖口で目元を拭い、ポケットから愛用の万年筆を取り出した。
手すりの平らな部分にファイルを広げ、一切の迷いなく、端正な文字で自らの名前を署名した。
「如月雫、喜んでお引き受けいたします!」
「よし! 契約成立だ!」
倉田が歓声を上げ、佐伯親方が豪快にバインダーを広げた。
通路の蛍光灯の下に広げられたのは、巨大な青焼きの設計図面。
そこには、太く頑強なロングバレルと、無骨なボルトアクション機構、そして銃身に沿って刻まれた繊細な二重螺旋の魔力回路が、精密な線で描き込まれていた。
図面の最下部に刻まれた制式コードネーム。
『大口径対物魔導狙撃ライフル「黒曜」(AMR-01 OBSIDIAN)』
「これが、先生の新しい獲物」
雫は息を呑み、図面の美しい曲線にそっと指先を触れた。
背負い式の外部バッテリー直結、20ミリ相当の超高密度魔導徹甲弾。
深層の巨大な魔獣の複合装甲を、500メートルの彼方から一撃で貫き通すための、究極の長距離兵装。
自分たちの理論と、親方の鍛造技術、倉田の機構設計が、寸分の狂いもなく融合していた。
「親方、今夜からすぐに削り出しに入れますね」
「おうよ! 素材の星霊鋼インゴットはもう炉で温めてある! 朝まで槌を叩き続けて、最高のバレルを鍛え上げてやるぜ!」
親方が分厚い拳を握りしめ、倉田もニヤリと不敵に笑う。
職人たちの熱い血が、現場の空気を震わせていた。
雫は完成した図面を胸元に抱きしめ、通路の窓から見える青空を見つめた。
展示ホールの向こう、演習場の彼方で、娘の手を引いて歩いているであろう先生の姿が、鮮やかに思い浮かぶ。
「待っていてください、先生。先生のための最高の切り札、私たちが絶対に完成させてみせます」




