第058話:蒼き射手の到達点と、主任テストパイロット
防衛軍屋外演習場での模擬デモが終了してから、およそ1時間。
第1区見本市ホールに戻ったアルス・テック社の出展ブースは、黒山の人だかりに包まれていた。
「おい、さっきのテストパイロットはどこだ!?」
「防衛軍第3師団の装備調達課だ。あの燕型ビットの仕様書と、先行配備の枠を今すぐ押さえたい!」
「民間探索者ギルド連盟の購買担当です! 量産化の時期はいつになりますか!?」
押し寄せる人波の最前線で、白衣姿の瀬名結衣が手元のデータ端末を高速で操作しながら、悲鳴のような嬉しい悲鳴を上げていた。
「あ、ありがとうございます! 順番にご案内しますので、こちらの列へどうぞ! く、熊井チーフ、パンフレットがもう底をつきそうです!」
「がはは! 嬉しい悲鳴だな結衣! 段ボールごと予備を持ってこい! 見ろよ、向かいのハイペリオンの連中、顔を真っ青にしてこっちを睨みつけてやがるぞ!」
巨漢のチーフメカニック、熊井剛三が太い腕を振り回しながら豪快に笑い飛ばしている。
展示ブースの中央に掲げられた巨大モニターには、先ほどの演習場での交戦記録が繰り返し流されていた。
暴走した体長8メートルの巨獣グラウンド・モールの突進。
その鼻先へ割り込み、光の軌跡を描いて偏向シールドを交差展開させた2機の『スワロー』。
そして、突進の軸が逸れたわずかな隙を突き、精密な3点バーストで魔獣の眼球と膝関節を寸分の狂いもなく撃ち抜いた、青いスーツの射手。
その画面を見上げる群衆の熱気は、留まる気配がなかった。
*
ブース奥の応接室。
防音ドアが閉まると、外の喧騒がすっと遠のいた。
群青色のテストスーツの上に私服のジャケットを羽織った神崎葵は、パイプ椅子に腰を下ろし、深く息を吐き出した。
トリガーを引き続けた人差し指の付け根には、まだかすかな痺れと熱が残っている。
「お疲れ様、神崎」
静かな声とともに、銀縁メガネを押し上げながらデスクの向かいに座ったのは、開発部チーフエンジニアの倉田巌だった。
手元には、防衛軍とギルドの公印が押された何枚もの書類が積まれている。
「倉田チーフ。あ、いえ、外の様子、本当にすごいことになってますね」
「ああ。先ほどまで防衛軍装備庁の幹部、それにギルド査定本部長と直接面談していたところだ」
倉田はメガネを外し、胸ポケットから取り出したクロスでレンズを丁寧に拭った。
普段は感情を表に出さず、常に冷徹な数値とグラフだけで物を語る男の口元が、わずかに緩んでいた。
「単刀直入に伝えよう。君が現場で見せた機転、そして何より『スワロー』の実戦稼働データは、軍の上層部に極めて強い衝撃を与えた。ハイペリオンのような大出力兵装による力押しではなく、一般兵士や探索者の生存率を跳ね上げる支援ビットというコンセプトが、完全に証明されたんだ」
倉田は机の引き出しから、厚手の用紙で製本された一通の封筒を取り出し、葵の前に置いた。
「国家防衛軍の次期制式兵装として、低負荷燕型支援ビット『スワロー』の先行量産採用が正式に決定した。初年度の配備数は300機。アルス・テックの兵装開発部門において、過去最大の受注規模だ」
「300機、ですか」
葵は思わず息を呑んだ。
300機ということは、それだけの数の現場の兵士や探索者が、あのビットを手にして前線へ立つということだ。
自分たちが地下ラボで夜遅くまで泥臭く実験を繰り返し、熱暴走や魔力負荷と戦いながら削り出してきた装備が、本当に現場の命を守る盾になる。
胸の奥から、熱い塊が込み上げてきた。
「そして、これだ」
倉田が封筒の上へ、もう一枚の辞令書を重ねた。
『辞令:神崎葵殿。貴殿をアルス・テック社魔導兵装開発部、主任テストパイロットに任命する』
鮮やかな社判が押されたその文字を、葵はまじまじと見つめた。
「主任テストパイロット、ですか。私が」
「他に適任がいると思うかね」
倉田は眼鏡をかけ直し、真直ぐに葵を見つめた。
「君はただ銃を撃つだけのパイロットじゃない。泥にまみれ、魔獣の爪の届く距離で命を張りながら、現場の兵士が何を求め、どこで引き金を引くのかを肌で知っている。君が実戦で持ち帰る生きたデータがなければ、スワローも、新型アサルトライフルも、ここまで完成度を高めることはできなかった」
「チーフ」
「今日から君が、うちのテストチームのトップだ。現場での装備運用、実戦評価、次世代機の開発テスト、すべて君の判断を最優先する。胸を張りなさい、神崎主任」
倉田が椅子から立ち上がり、右手を差し出してきた。
葵は背筋を伸ばし、両手でしっかりと、その温かい手を握り返した。
「はい! 身命を賭して、務めさせていただきます!」
応接室のドアが、ノックもなしに勢いよく開いたのはその直後だった。
「がはは! 固い挨拶はそこまでだ!」
飛び込んできたのは熊井だった。
丸太のような太い腕で、葵の背中を力任せにバシッと叩く。
「痛っ!? ちょっと熊井さん、痛いですって!」
「でかしたぞ、葵! いや、主任サマだな! 見たかよ、あの巨獣の目をぶち抜いた3点バースト! 俺が丹精込めて組み上げたスワローとライフルを、完璧に使いこなしてくれたじゃねえか!」
「おめでとうございます、葵先輩! いえ、主任!」
熊井の背後から、瀬名結衣が両手を広げて飛び込んできた。
勢いあまって葵の首に抱きつき、丸メガネの奥の目を涙で潤ませている。
「私、データを見ながら鳥肌が立ちました! 偏向シールドの展開タイミングも、魔力波の収束率も、シミュレーションの理論値を軽々と超えていて! 私たち、本当にハイペリオンの鼻を明かしたんですね!」
「結衣、苦しい、首絞まってるから!」
苦笑しながらも、葵は抱きついてくる結衣の背中を優しく叩いた。
熊井が豪快に笑い、倉田が苦笑交じりに眼鏡のブリッジを押し上げる。
大企業の看板や予算の規模では到底かなわない相手に、泥臭い技術と現場への誠実さだけで挑み、勝ち取った成果。
この仲間たちと一緒に戦ってきて、本当によかった。
葵の胸の奥に、確かな誇りと温かな熱が広がっていった。
*
仲間たちとの祝杯の約束を交わし、ブースの片付けを一段落させた後。
葵は一人、展示ホールの最上階にある屋外展望デッキへと足を運んでいた。
心地よい秋の風が、吹き抜けていく。
テストスーツの襟元を緩め、葵は手すりに両手を預けて深呼吸を一つした。
眼下には、見本市ホールの広大な敷地と、その向こうに広がる関東第3防壁都市の街並みが一望できる。
さらに遠く、都市の東側には、巨大なコンクリートの外郭防壁と、先ほど激闘を繰り広げた屋外演習場のすり鉢状の輪郭が小さく霞んでいた。
ジャケットの内ポケットから、先ほど受け取ったばかりの辞令書を取り出す。
厚手の紙の感触と、主任テストパイロットという文字。
指先でその文字をそっと撫でながら、葵は空を仰いだ。
頭に浮かんだのは、ある一人の男の姿だった。
間宮凌。
第15層の暗がりで、中層の変異魔獣に囲まれて死を覚悟したあの日。
作業着姿で現れ、ただの解体ナイフ一本で魔獣の関節を泥臭く抉り取り、瞬く間に状況を覆した、あの規格外の解体士。
あの男の圧倒的な強さを間近で見るたびに、葵は握るライフルのグリップに、無意識に力を込めていた。
魔力変換効率85パーセント。
どんな魔導兵器よりも精密で、一切の迷いがない神速の身体操作。
凌の隣で戦い、彼の背中を追いかけるたびに、「私なんかが、この人の隣に立っていていいのだろうか」「私には、いったい何ができるんだろう」と、人知れず思い悩んでいた。
凌はあまりにも強すぎる。
あの男は、誰の助けも借りずに、一人でどこまでも遠くへ行ってしまうのではないか。
そんな考えが頭をよぎるたび、指先が決まって冷たくなった。
だが、今日、演習場で逃げ遅れた親子の前に飛び出した時。
葵の身体からは、迷いが完全に消えていた。
自分は、凌のように一人で巨獣の装甲を叩き割る解体士にはなれない。
あの男のような超人的な立ち回りは真似できない。
けれど、自分には、自分の信じた道がある。
倉田が設計し、熊井が組み上げ、結衣が数値を突き詰めてくれた、最高の兵装。
それを誰よりも深く理解し、手足のように引き金を引いて、現場で戦う仲間たちの命を守り抜くこと。
前衛の死角を補い、一瞬の隙を作り出し、誰も死なせずに生きて帰ること。
それが、テストパイロット神崎葵の戦い方だ。
演習場の客席から聞こえた、大歓声。
そして、頬を真っ赤に染めて小さな両手を懸命に叩きながら、「あおいー!」と叫んでくれた、あの愛らしい少女の笑顔。
その隣で、いつもの飄々とした顔で、静かに親指を立ててみせていた凌の姿。
「ふふっ」
葵の唇から、自然と笑みがこぼれた。
伸ばした背筋に、風がまっすぐ通り抜けていく。
「私も、ちゃんと一歩進めたわよね」
吹き抜ける風に向かって、小さく呟く。
辞令書を丁寧に折り畳み、胸ポケットへとしっかりとしまい直した。
手すりを掴む指先に、ぐっと確かな力を込める。
「待ってなさいよ、間宮さん。深層だろうがどこだろうが、絶対に置いていかせないんだから」




