第056話:鉄と油の職人街と、届かぬ切っ先
自動扉をくぐり抜けた瞬間、空気が一変した。
第1展示棟の洗練された空間から、むせ返るような切削油と鉄粉の匂い。頭上では大型クレーンが低く唸り、あちこちのブースからエアツールの排気音や金属を削る旋盤音が響いていた。
「うわ、一気に現場の空気ね。この匂い、現役時代を思い出すわ」
志保が鼻先を小さく動かし、懐かしそうに笑う。
足元では、陽菜と芽依が「なんかシューシューいってる!」「おおきい!」と珍しそうに首を巡らせていた。鈴も星型の風船を小さな手で握りしめ、トタトタと俺の足元にぴったりくっついて、並んだ重機や金属フレームをぽかんと見上げている。
「鈴、迷子になるから手を離すなよ」
「あい!」
鈴の手を握り直しながら、通路を進む。
第2展示棟に並ぶのは、質実剛健な町工場や独立系メーカーばかりだ。油で黒ずんだ作業着の技術者たちが、来場者の探索者相手に熱っぽく金属加工の精度を語り合っている。
少し歩いたところで、前方のブースから凄まじい歓声が上がった。
「どうだオラァ! 我がリグ・クラフト社が誇る多関節汎用マニピュレーター『ヴァーサタイル・リグ』だ! 単腕定格15トン、両腕同期で30トンの破砕吊り上げ能力! ダンジョンの大落盤だろうが崩落した巨大な岩塊だろうが、軽々と持ち上げて現場の通路を切り開くぞ!」
聞き覚えのある野太い声だった。
作業服の袖を捲り、背中のバックパックから伸びた2本の重厚なシリンダー腕を器用に動かしているのは、第30層のバイパス開削で世話になった坂東宗一郎だ。巨大なコンクリートブロックを軽々と持ち上げて見せ、観客から拍手が沸き起こる。
だが、その拍手に冷や水を浴びせるような甲高い声が響いた。
「ふっ、相変わらず無骨で野暮ったいな、坂東! 力任せに鉄を持ち上げるなど、美学の欠片もないではないか!」
純白のスーツに身を包み、背中に黄金の4門ビームランチャーを背負った男が進み出る。ハイペリオンの橘宗介だ。
「ああん!? また出やがったな金ピカ野郎! すぐ熱暴走で煙吹いて止まるロマン砲のケツを、現場で拭いてんのが誰だと思ってやがる!」
「なっ、排熱問題はすでに15パーセント改善されたと先ほど申したはずだ! 我がセラフィム・キャノンの光彩こそ、新時代の秩序でありっ」
「現場で1分も立ち往生してりゃ肉塊にされるんだよ! カタログスペックで威張ってんじゃねえ!」
胸ぐらを掴み合わんばかりに怒鳴り合う二人。
その口論を見て、陽菜が「あはは! ケンカしてる!」と指を差し、芽依も「きんぴかー!」と手を叩いて笑い出した。鈴もつられたように「きゃっ」と声を上げて笑っている。
「おい、お前ら。子供が笑ってんぞ。展示会で内輪揉めしてんじゃねえよ」
俺が声をかけると、二人が同時に肩を跳ねさせてこちらを振り向いた。
「お、間宮じゃねえか! って、おいおい、なんだその可愛いちびっ子軍団は!?」
「む、間宮凌! 貴様、先ほど私のブースを素通りしただろう!」
坂東が巨大な機械腕をカシャリと畳み、呆気にとられたように口を開けて子供たちを見下ろした。
志保が苦笑いしながら頭を下げる。
「お騒がせしてすみません。お隣同士で見学に来てたんです」
「い、いや、汚ねえ声出しちまってすまねえ! ほら、お嬢ちゃんたち、これやるよ。さっき削ったばかりのリグクラ特製メダルだ」
坂東がサブアームの先端から器用に差し出したのは、アルミ製の丸いメダルだった。
陽菜と芽依が「きんきら!」と受け取り、鈴も小さな手のひらに握らせてもらって「めだー!」と嬉しそうに掲げた。
「橘、お前も油売ってねえで、次の屋外デモの準備しに行けよ」
「言われずとも行く! 間宮、屋外演習場での我が勇姿、しかと目に焼き付けるがいい!」
橘はマントを翻して去っていき、坂東も手を振って実演へ戻っていった。
*
さらに奥の区画へと足を踏み入れる。
通路の脇にある調理用魔導バーナーや特殊包丁のブースでは、先ほどアルスで別れたはずの宇佐美ねねが小型カメラを手に「見てくださいリスナー! 町工場の超精密魔導フライパンです! 熱伝導が神がかってます!」と元気いっぱいに生配信を行っていた。
アルスの試食ショーを終えて、職人街の調理器具の取材に回っていたらしい。相変わらずタフなやつだ。
志保も「グルメ配信者って、こういう道具の紹介もするのね」と感心したように見つめている。
金属粉の匂いがいっそう濃くなる中、ひときわ静まり返った一角があった。
黒漆と白木で設えられたブース。看板には重厚な毛筆体で『叢雲重工』と刻まれている。
最新鋭のビーム兵装が並ぶエキスポの中で、そこだけが古城の武器庫のような異彩を放っていた。
「ここ、刀剣専門の老舗ね」
志保が声を潜める。
ブースの中央、黒塗りの刀掛けの上に、1本の長大な武器が鎮座していた。
全長180センチ。
刃渡りだけでも140センチを超える、規格外の対巨獣大太刀だ。
鈍く黒紫色の燐光を放つ刀身は、装甲車輪の鋼鉄すら両断しそうな質量感を湛えていた。
「銘は『大蛇断ち(オロチダチ)』。深層の超大型甲殻種を解体するために打たれた一振りだ」
静かな声とともに、柱に背を預けていた男が歩み出てくる。
漆黒の陣羽織を羽織り、引き締まった顎髭を蓄えた長身の青年。
叢雲重工専属テスト剣士、真壁惣一(27歳 / Bランク)。
真壁の鋭い視線が、俺の腰元へ向けられた。
「ほう。腰の鉈、佐伯の親父が打ったな。いい刃付けだ。アダマン・ボアの極太の角を、繊維を殺さずに叩き割ってある」
「目利きだな。あんたがこの刀のテスターか」
問いかけると、真壁は無言で大太刀の柄に手をかけた。
チャキン、と冷たい金属音が響き、白刃が鞘から滑り出る。
180センチの巨躯から繰り出された抜刀は、驚くほど静かで滑らかだった。切っ先が空気を切り裂いた瞬間、周囲の空気がピンと張り詰める。
「現代の魔導工学は、銃とビットばかりを重宝する。だが、深層には小銃の弾丸ごときではビクともしない超重装甲の化け物が確実に存在する」
真壁は大太刀を水平に構えた。
「奴らの前足の爪は、振り回すだけでリーチが4メートルを超える。並の探索者が間合いに入ろうとすれば、飛び込む前に薙ぎ払われてミンチだ。だからこそ、この180センチの切っ先が必要になる。敵の致死圏の外側から、己の質量魔力を刃先に乗せ、一撃で装甲ごと腱を両断する」
チャキン、と大太刀が滑らかに鞘へと収まり、真壁が静かに俺を見据えた。
「あんたの鉈、刃渡りは35センチか。中層の狭い坑道や、小型の群れを捌くには最高の獲物だろう。だが、深層の巨獣相手に、その35センチの刃先が届くか?」
喉の奥がわずかに渇く。
腰のアダマン・クリーバーの柄に指先を触れ、静かに息を吐いた。
「届かねぇな」
スタンピードで対峙した50トンのメガロ・ベヒーモス。あの巨体が地響きを立てて迫ってきた時、間合いに入る前に轢き殺される圧力を肌で感じていた。
遠距離から装甲を貫く大口径狙撃兵装の開発は進んでいる。だが、もし近接戦に持ち込まれた時、35センチの剛鉈では、敵の巨大な爪の間合いの外から急所を捉えることはできない。
指先が触れる革巻きの柄が、いつもよりわずかに短く感じられた。
「届かないと自覚しているなら、まだ死なずに済む。深層は、妥協した奴から肉片になる場所だ」
真壁は短く告げると、背後の刀掛けへと視線を戻した。
俺はその背中に無言で頭を下げ、ブースを後にした。
*
少し離れた通路のベンチで、志保が子供たちに麦茶を飲ませていた。
三人娘がストローをちゅーちゅーと吸いながら、アルミメダルを見せ合っている。
ふと視線を巡らせると、先ほど見かけたねねが取材配信を終えたらしく、ブース脇のパイプ椅子でカメラのバッテリーを交換しながら一息ついているのが見えた。
子供と母親が、絶対に飛び上がって喜ぶ手土産。
食に関する情報なら、あのグルメストリーマーに聞くのが一番確実なはずだ。
「志保さん、ちょっと向こうの自販機見てきます」
「ええ、いってらっしゃい」
志保に声をかけてから、俺はねねの背後へと足早に近づいた。
「おい、ねね」
「ふぇっ!? か、神解体士さま!?」
首から小型の配信カメラを提げた宇佐美ねねが、飛び上がるように振り返った。
「ど、どうしたんですか急に! まさか私の食レポにダメ出しですか!?」
「違う。お前に、真面目な相談がある」
周囲に人がいないのを見計らい、声を落とす。
「子供と母親が、絶対に飛び上がって喜ぶような、一番うまいケーキを知らねえか」
ねねがぽかんと固まった後、パッと表情を華やかせた。
「か、神解体士さまからのスイーツ相談!? あの超塩対応の間宮さんがケーキ!? スクープ、これ世紀のスクープですよ!」
「騒ぐな。声がでかい」
「だ、だって! 鈴ちゃんのお誕生日とかですか!?」
「いや、近々、数日間深層へ潜らなきゃならなくなった。昇降シャフトの都合で日帰りができねぇ。その間、鈴の夜の面倒を隣の早川さんに頼むことになったんだ。世話になる母親と子供たちに、ちゃんとした礼がしたい」
ねねはふざけた空気を一瞬で引っ込め、真剣な眼差しで力強く頷いた。
「そういうことでしたら、全力で私にお任せください! 一口食べた瞬間に昇天する最高峰のケーキがあります!」
「あるのか?」
「ありますとも! 帝都安全特区にある、完全会員制・予約半年待ちの超名店『パティスリー・エトワール』! そこの【幻のプレミアム苺ショートケーキ】です! 毎朝直送される極上の完熟苺と、異なる3種の北海道生クリームを絶妙にブレンドした国宝級の一品です!」
「半年待ち、今から頼んで間に合うのか?」
「ふふん、私を誰だと思ってるんですか! 登録者120万人のグルメストリーマーですよ! 私の個人的な枠を使って、祝宴の夜にホールで1台、絶対にねじ込んでみせます!」
ねねが誇らしげに胸を張る。
その頼もしさに、俺は深く頭を下げた。
「助かる。金ならいくらでも払う。頼めるか」
「お任せあれです! その代わり、今度また美味しいジビエ肉が入ったら、一口味見させてくださいね!」
「ああ、いくらでも食わせてやる」
話がまとまったところで、会場のスピーカーから重低音のチャイムが鳴り響いた。
『来場者の皆様にご案内いたします。これより、外郭防壁沿い緩衝地帯・屋外演習場におきまして、各社新型魔導兵装の実戦模擬デモを開始いたします。観覧をご希望の方は、中央シャトルステーションより専用便をご利用ください』
館内アナウンスに、周囲の探索者たちが一斉にざわめき立ち、移動を始める。
「間宮さーん! デモが始まるみたいですよ!」
志保が子供たちの手を引きながら小走りで駆け寄ってくる。
陽菜が「おそといくー!」と手を振り、芽依も「ぶーん!」と真似をし、鈴も俺の姿を見つけると嬉しそうに両手を伸ばしてきた。
「りょお!」
「ああ、行くか」
鈴を抱き上げ、シャトルステーションへと歩き出す。
真壁に突きつけられた深層近接戦の課題、そして次なる屋外デモ。
秋晴れの空の下、俺たちは巨大な演習場へ向かう連絡シャトルへと乗り込んだ。




