第054話:蒼き射手の矜持と、タワマンの子育て談義
排莢口から弾け飛んだ真鍮の薬莢が、コンクリートの床に鋭い金属音を響かせた。
硝煙が漂うアルス・テック社の地下射撃ブース。
神崎葵は腰を低く落とし、空になった弾倉を叩き落とすと同時に、予備マガジンを新型ライフルの装填口へ滑り込ませた。
カチャリと冷たい機械音が響く。
その頭上を、2筋のチタンシルバーの光が掠め飛んだ。
チィィン!
燕の翼を模した、全長30センチほどの超小型自律支援ビット『スワロー』。
凌の操るレイヴンが時速数百キロで獲物の腱を切り裂く凶暴な猟犬だとすれば、この2機のスワローは、射手を死角から守るための静かな守護翼だ。
物陰から飛び出してきた模擬標的の頭上へ滑り込み、瞬間的な閃光バーストを照射。
標的の光学センサーが白濁し、突進軌道が外れた隙に、もう1機のスワローが前方に小型偏向シールドを張って跳弾を防ぐ。
タ、タン、タン!
葵の指先がトリガーを3度引く。
寸分の狂いもなく標的の胸部魔力核へ吸い込まれた青白い魔力徹甲弾。
火花を散らして崩れ落ちる標的を見届け、葵は銃口を下げて低く息を吐き出した。
2機のスワローが葵の両肩へふわりと戻り、背部のマグネットドックへカチリと収まる。
「試験終了。オールクリアよ」
防弾ガラスの向こうから、瀬名結衣の落ち着いた声がスピーカー越しに響いた。
射撃ブースの重い防音扉を開けて外へ出ると、大柄な熊井剛三が豪快に白い歯を見せて待っていた。
「上出来だ、葵! ライフルとの連携ラグは完全にゼロ。魔力消費も計画値の70パーセント台に抑えられてるぞ」
「バイタルサインも終始安定していたわ」
端末を操作する瀬名が、眼鏡の奥の瞳を和らげる。
「魔力保有量200前後の一般的なCランク探索者でも、脳波への負荷は実用許容範囲内よ。これなら量産モデルとして防衛軍に十分アピールできる」
「よかった」
葵は額の汗をタオルで拭い、小さく肩の力を抜いた。
脳裏に浮かぶのは、防壁外迎撃平原で見た間宮凌の異次元の立ち回りだ。
魔力保有量480、変換効率85パーセント。生体腱で直結した4機のレイヴンを自在に走らせ、50トンの巨獣を瞬殺解体してみせたあの神業。
「間宮さんは、規格外だから」
葵は愛用のライフルを抱き締め、静かに微笑んだ。
「あんな超人的な芸当、普通の探索者には絶対に真似できない。でも、だからこそ、普通の探索者が無傷で帰ってくるための兵器を作るのが、私の役目であり、アルス・テックの誇りよ」
「がはは! 頼もしいな、葵!」
熊井が太い腕で葵の肩を叩く。
「来週のエキスポ、お前たちの技術を胸を張って見せつけてやれ!」
「ええ、任せて!」
*
同じ日の夕方17時。
保育所へ迎えに行き、鈴の手を引いてタワーマンションのエントランスをくぐった。
エレベーターで最上階へ上がる間、鈴は胸に下げた紙のメダルを指差し、嬉しそうに声をあげる。
「ぱぱ! みー!」
「ああ、上手に塗れてるな」
廊下に降り立ち、我が家へ向かって歩き始めた、その時だった。
斜め向かいの角部屋のドアから、激しいドタバタ音と甲高い悲鳴が響き渡った。
「あーっ! ちょっと陽菜、靴下脱ぎ散らかさないで! 芽依ちゃん、それクレヨン! 壁に描いちゃダメええええっ!!」
ガチャリと扉が開き、小さな影が2つ廊下へ飛び出してくる。
4歳くらいのツインテールの女の子と、2歳半くらいのショートヘアの女の子だ。
「わーい! お外だー!」
「おそとー!」
猛烈な勢いで駆けてくる二人を見て、鈴がピタリと足を止めた。
驚いた拍子に、小さな手で握りしめていた木彫りの小鳥のキーホルダーが床に落ちる。
カツン、と乾いた音を立てて転がるキーホルダー。
飛び出してきた上の女の子が急ブレーキをかけ、素早く拾い上げた。
「あ、おちたよ!」
下の女の子もトコトコと駆け寄ってきて、鈴の顔を覗き込む。
「どーじょ!」
差し出されたキーホルダーを見て、鈴は小さな口をぽかんと開けた。
小さな両手で受け取ると、ペコリと頭を下げる。
「あーと!」
「いい子! えらいねー!」
上の女の子が鈴の頭を優しく撫でる。
そこへ、部屋の中から明るい茶髪を後ろで束ねた女性が、エプロン姿で肩で息をしながら飛び出してきた。
「ちょっと二人とも待ちなさいって、あ! ごめんなさい! うちの怪獣どもがご迷惑を!」
早川志保だった。
居住特区タワマンの入居手続きの際、ギルドの特区支所窓口で見かけたことのある女性だ。
「いえ、落とし物を拾ってもらいました。助かりましたよ」
「もう、本当にすいません。幼稚園と保育園から帰ってきた瞬間これなんです。あ、ちゃんとご挨拶するのは初めてですね。斜め向かいの早川です。支所の入居書類でお名前をお見かけして、間宮さん、ですよね?」
「ええ、間宮です。こちらこそよろしくお願いします」
志保は膝に手をつき、鈴の目線に合わせて優しく笑いかけた。
「あ、お名前、なんていうの?」
「鈴です」
「鈴ちゃんね、可愛いお名前! 本当にお利口さんね。男手一つでこんなにきちんと育ててて、間宮さん本当にすごいわ。私なんて夫が防衛軍の長期遠征で年の大半留守だから、毎日この2人相手にワンオペで白目剥いてるのに」
「いや、俺なんて毎日手探りですよ」
足元で、上の女の子が鈴の手をそっと握ろうとして、志保が慌てて声をかけた。
「こら陽菜、急に引っ張っちゃダメでしょ。ごめんなさい、この子が長女の陽菜で、下が次女の芽依です。陽菜は下の子のお世話が大好きで、すぐお姉ちゃんぶりたがるのよ」
陽菜は得意そうに鈴の手を包み込み、満面の笑顔を向けた。
「すずちゃん、おててつなぐ!」
「めいもー! いっしょー!」
陽菜と芽依にはさまれ、鈴も嬉しそうに小さな足をバタつかせ、声を上げて笑っていた。
その様子を見ていた志保が、ふと思い立ったように顔を上げる。
「あの、間宮さん。もしお時間大丈夫なら、1階のキッズルームで少し遊ばせませんか? うちの子たち、帰ってきたばかりで体力が有り余ってて、家の中だと壁が壊されそうで。鈴ちゃんも、もしよければ」
「うちはこれから夕飯の仕込みですけど、少しなら大丈夫ですよ」
「よかった! ほら、陽菜、芽依、みんなでキッズルーム行くわよ!」
「わーい! すずちゃん、いこ!」
エレベーターで1階へ降り、居住者専用のキッズルームへ向かった。
広々としたスペースには柔らかいウレタンマットが敷き詰められ、カラフルな大型遊具やブロック、おままごと用のキッチンセットが並んでいる。
マットに上がった瞬間、陽菜がおままごとセットのプラスチックの鍋とお玉を両手に取った。
「はい! ごはんつくるよ! すずちゃん、すわっててね!」
「めいも、おさら! おさらにんじん!」
芽依がおもちゃのニンジンをせっせと小皿に並べる。
鈴はお行儀よく正座し、差し出されたプラスチックの皿を両手で受け取ると、満面の笑みを咲かせた。
「んま!」
「ふふっ、まだ入ってないよー! いまスープいれるね!」
陽菜がお玉で空っぽの鍋をかき混ぜ、鈴の皿によそう真似をする。
鈴はもぐもぐと口を動かし、体を揺らして喜んでいる。
3人で顔を見合わせては、きゃっきゃと笑い声を上げていた。
「すごいな。あっという間に仲良くなってる」
マットの脇のベンチに腰を下ろすと、志保が自販機で買った温かい缶コーヒーを差し出してくれた。
「どうぞ、間宮さん。男手一つのパパさんには、カフェインが必要でしょ?」
「ありがとうございます」
温かいスチール缶を受け取り、一口すする。
志保もお茶のペットボトルのキャップを開け、マットの上を走る子供たちに目を細めた。
「陽菜が4歳で、芽依が2歳半。鈴ちゃんは1歳半くらい?」
「ええ、それくらいです」
「一番手がかかる時期よね。言葉も少しずつ覚えて、歩き回って、目が離せなくて。それに、旦那が防衛軍のアウトランド警戒隊にいてね。装甲列車に乗って防壁の外を数ヶ月単位で巡回してるから、普段は家にいないのよ」
「数ヶ月もですか」
「ええ。だから基本はワンオペ。毎日が戦場よ。だから間宮さんが一人で鈴ちゃんを連れて歩いてるのを見て、本当に頭が下がる思いだったの」
志保の横顔は、サバサバとしていながらも、母親としての芯の強さが滲み出ていた。
缶コーヒーを両手で握りしめ、ふっと息を漏らす。
「俺なんて、全然ですよ。今日だって、ギルドの窓口で現実を突きつけられて、途方に暮れてたところです」
「現実? あ、もしかして深層の昇降シャフトのこと?」
志保の言葉に、思わず顔を上げた。
「知ってるんですか」
「私、ギルドの居住特区支所の総務職員よ? それに昔はBランクで索敵やってたから、深層の仕様くらい知ってるわよ。第31層へ降りる巨大シャフト、魔力炉の冷却サイクルで3日に1便しか動かないでしょ?」
「ええ。最短でも2泊3日、日帰りは絶対に不可能だって長谷川さんに宣告されました」
ため息とともに言葉を落とす。
「深層へ潜る資格はもらえましたし、新しい獲物の開発も動き出しました。ですが、2泊3日じゃ潜れません。鈴を3日間も一人にするわけにはいかないですから。深層アタックは諦めるしかないかと思っていました」
そう呟いた瞬間だった。
志保が吹き出すように笑い声を上げた。
「あははははっ! なに言ってるのよ、間宮さん!」
「え?」
呆気にとられて固まる俺を見つめ、彼女は豪快に胸をポンと叩いて見せた。
「深層へ行くなら、遠慮なくうちに鈴ちゃんを預けなさいよ!」
「は?」
「だから、預かるわよって言ってるの! うちは年子の怪獣2人で毎日大戦争やってるのよ? 2人も3人でも大して変わらないわよ! まとめてご飯食べさせて、お風呂入れて、川の字で並べて寝かせちゃえば一緒一緒!」
あまりの豪快さに、喉が詰まりそうになった。
「いや、さすがに悪すぎますよ。ただでさえワンオペで大変なのに、よその子供まで預けるなんて」
「なーに遠慮してんのよ。困った時はお互い様! それに見てごらんなさいよ、あの三人」
志保が指差した先。
ウレタンマットの上で、陽菜と芽依が鈴の両手を引き、3人で輪になってピョンピョンと跳ねていた。
鈴は小さな口を開けて、息を弾ませながらケラケラと声を上げて笑っている。
かつて荒野の過疎集落で一人震えていたあの子が、同年代の子供たちに囲まれて、こんなにも楽しそうに笑っている。
「鈴ちゃん、うちの娘たちと相性抜群じゃない。陽菜はお世話ができる妹ができて大喜びだし、芽依も遊び相手が増えて楽しそうよ。それにね、間宮さん」
志保は笑みを収め、真剣な眼差しをこちらに向けてきた。
「あなたが深層で強い魔獣を倒して、街を守ってくれるなら、私たちは安心してこの安全特区で暮らせるの。探索者が命を張って街を守るように、残された家族を守るのが後ろにいる者の役目でしょ。元探索者としても、母親としても、当然のことよ」
重くのしかかっていた2泊3日の壁。
解けないはずだったパズルの最後に、思いがけない温かなピースが嵌まったような気がした。
「ありがとうございます、早川さん」
深く頭を下げると、志保は快活に笑い飛ばした。
「いいのいいの! その代わり、深層から無事に帰ってきたら、飛びっきり美味しいお土産でも買ってきてよね!」
「ああ。絶対に無事に帰ってきます」
マットの上から、鈴が満面の笑顔でこちらを振り返り、小さな手を振った。
「ぱぱー!」
三人娘の賑やかな笑い声が、夕暮れのキッズルームにどこまでも温かく響き渡っていた。




