第045話:グルメ配信者の突撃と、塩対応パパの離乳食
週末の午前10時。
第七外郭安全特区にあるタワーマンションのリビングには、穏やかな陽光が差し込んでいた。
防音マットの上で、鈴が木製の積み木を夢中で積み上げている。
「あぅ、よいしょ。こえ、ぽん!」
小さな手で四角い積み木を重ね、バランスを取って収まると、満面の笑みで振り返った。
「りょー! ぽん、できた!」
「おう、上出来だ。ちゃんと立ってるぞ」
鈴のふわふわとした髪を撫でると、鈴は嬉しそうに目を細め、「えへー」と擦り寄ってきた。
一昨日の防壁外哨戒任務の疲れなど、この温もり一つで吹き飛んでしまう。
だが、背後のオープンキッチンからは、まったく平穏ではない緊張感が漂っていた。
「ここから刃角を45度に保ち、手首を引く。これでよろしいでしょうか、葵さん」
「如月さん、包丁に力が入りすぎ! まな板が軋んでるわよ! ニンジンを爆散させる気!?」
「ば、爆散などさせません! 完璧な離乳食用スティックに仕立ててみせます!」
エプロン姿の雫と、腕まくりをした葵が並んでいた。
天才魔導少女は、まな板の上の有機ニンジンを前に、フロアマスターと対峙するかのような鬼気迫る表情で包丁を構えている。
「雫、肩の力を抜け。力んだら細胞が潰れて苦味が出るぞ」
「は、はい、先生! 細胞を潰さず、優しくですね」
アカデミーを除籍となって以降、雫は「道具の理と魔力制御を学びます」と宣言し、なぜか毎日のようにうちの台所に通い詰めていた。弟子入りを志願されたはずだが、今のところ葵に叱られながら離乳食の仕込みをしている時間の方が多い。
ピーンポーーーーン!
突如として、リビングの壁掛けモニターが鳴り響いた。
1階エントランスのカメラが起動し、オートロック前の映像が映し出される。
そこに立っていたのは、見慣れたニヤケ面のタケと、パティシエ風のエプロンドレスを着て浮遊カメラを構えた小柄な若い女だった。
『よお凌! 休みの朝っぱらから悪ぃな!』
スピーカー越しにタケが気安く手を振る。
『ギルドの酒場で飲んでたらよ、料理配信者のねねちゃんが「どうしてもアダマン・ボアを解体した神職人に会いたい」って泣きついてきてよ! 鈴ちゃんへの最高級の手土産があるって言うから、オートロックの前まで連れてきてやったぜ!』
タケの隣で、女がモニターに向かって身を乗り出し、満面の営業スマイルを振りまいた。
『神解体士さまー! 初めまして! 登録者120万人のダンジョン料理系ストリーマー、【ねねちゃんクッキング】の宇佐美ねねです! お願いですからオートロック開けてくださーい!』
「あの馬鹿タケが」
俺はため息をつき、即座に通話終了ボタンを押した。
「居留守だ。ほっとけ」
「ちょ、ちょっと間宮さん、タケさんごと切っちゃったの!?」
「当然だ。休日に動画配信なんざに関わって得することなんか一つもねえ」
厄介な火種を招き入れる気は微塵もない。
だが、切られた側の執念は凄まじかった。
ピンポンピンポンピンポン!
連打されるチャイムとともに、タケの怒号が響き渡る。
『おい切るなよ凌! 住民に変な目で見られてんだよ! 開けろぉぉぉ!』
『開けてくれないと、ここで【アダマン・ボアを神速解体した伝説のパパのお家はこちらですかー!?】って大声叫んじゃいますよっ!』
「なっ、なんだあいつらは!?」
「なんて不躾な! 先生、私がエントランスごと氷結魔法で黙らせてまいります!」
「待て、エントランスを凍らせたら全住民に迷惑がかかる」
「もう、近所迷惑だから開けてあげるわよ!」
葵が慌ててエントランス解錠ボタンを押した。
数分後、廊下を小走りで近づいてくる足音が響き、玄関チャイムが鳴った。
俺はため息をつき、チェーンをかけたままわずか10センチだけドアを開けた。
「タケ、テメエは廊下に立ってろ。個人情報をペラペラ喋るな」
「いてっ、ドア挟むなよ! いや、話を聞いてくれって! ねねちゃんが持ってきた食材がガチですげえんだよ!」
「そうです神解体士さま! あなたが解体したアダマン・ボアの肩ロース肉を落札したんです! 筋膜一枚傷つかない神業に感動して、ぜひ時短料理のコラボをお願いしたくて! 今日のコラボ用に、最高級の謝礼を持ってきましたから!」
「金なら足りてる」
「お金じゃないです! これを見てください!」
ねねが足元の特大魔導保冷コンテナを開けた。白煙の中から現れたのは、見事な食材だった。
「安全特区直営オーガニック農園の【極上スイートキャロット】! それから、防壁外指定清浄エリアの【金剛牛の極上赤身フィレ肉】です! 魔力汚染ゼロ、添加物ゼロ、完全チルド! 赤ちゃんの離乳食に最高峰の素材です!」
鮮やかな橙色のニンジンと、透き通るような紅色の赤身肉。
清らかな香りに、俺の手が止まった。
「おい」
「は、はいっ!?」
「そのニンジン、糖度は」
「糖度18度です! 加熱すればジャムみたいに甘くなります!」
「赤身フィレの解体からの時間は」
「完全チルドで、解体からちょうど1時間40分です!」
俺はチェーンを外し、ドアを全開にした。
「入れ。靴は揃えろ。鈴、今日のお昼はごちそうだぞ」
「えええええっ!? いいんですか!?」
リビングの奥から、葵の絶叫が飛んできた。
「釣られるのが早すぎるわよ間宮さんっ!!」
「先生、あんなに頑固だったのに、鈴ちゃんの食材と聞いた途端に手のひらを返すなんて」
「おい凌、俺も入っていいよな!?」
「タケは外で立ってろ」
「なんでだよぉぉぉぉっ!?」
叫ぶタケを置き去りに、俺はねねだけをリビングへ通した。
120万人の配信者だろうが何だろうが、極上の有機野菜と最高鮮度の赤身肉を持参したなら、尊ぶべき優良納入業者だ。
「わあ、ここが神解体士さまのお部屋! って、アルス・テック社の神崎葵テスター!? それにアカデミー首席の如月雫さんまで!? なんでここに!?」
リビングに入ったねねは息を呑んでたじろいだが、プレイマットの鈴を見るや否や突進しかけた。
「ぎゃわいいいいっ! なんですかこの天使ちゃんはっ!」
「待て。急に近寄ると怯える」
俺が襟首を掴んで止めると、鈴は俺の足元へ駆け寄り、ズボンを握って警戒するようにねねを見上げた。
「12時に鈴の昼飯、13時に昼寝だ。手短に済ませろ」
「は、はいっ! 手元とお料理中心で生配信をお願いします!」
ねねが浮遊カメラを起動し、魔導ネットへ接続した。
『みなさーん、【ねねちゃんクッキング】の緊急ゲリラ配信です! 今日はあのアダマン・ボアを神速解体した伝説の職人パパのお宅にお邪魔しちゃいました! 最高級食材を使った時短離乳食を作っていただきます!』
コメント欄が猛烈な勢いで流れ出す。
『マジで突撃したのかよwww』
『待って、後ろに神崎葵と如月雫がいるんだけど!?』
『首席のエリートがなんでエプロン着てんだよ!?』
「手元だけ映せ。顔を映したらカメラごと解体する」
俺が冷淡に告げると、コメント欄がさらに加速した。
『声かっけえええ!』
『塩対応すぎるwww』
『カメラごと解体は草』
俺は手を洗い、まな板の上に金剛牛の赤身フィレ肉を載せた。
筋繊維が強靭な金剛牛は、離乳食にするならミンチにして裏ごしするのに30分はかかる素材だ。
「先生、包丁をお使いですか?」
「いや、包丁は使わねえ」
俺が引き出しから取り出したのは、ごく普通の銀色の食卓用フォークだった。
「フォーク? それで塊肉をどうするんですか?」
「ミンチに叩くと肉汁が逃げる。赤ん坊に食わせるなら、繊維の結合組織だけを解せばいい」
俺はフォークの柄を軽く握り、息を吸った。
体内の魔力を指先へ通し、4本の刃先へ超高周波の微細な振動魔力を送り込む。変換効率85パーセントの極限制御。
キィィィィン。
フォークの先端に、針先ほどの青白い燐光が灯った。
「金属食器に魔力を均一に励起させている!? ただの銀フォークに、なぜあんな超高密度の振動波が定着するのですか!?」
雫が息を呑む中、俺は赤身肉にフォークを静かに突き立てた。
サクッ。
手首をわずか1ミリ、繊維の流れに沿ってスライドさせる。
シャララララッ。
極小の擦過音とともに、赤身肉が劇的に姿を変えた。
強靭な筋繊維が、編み目を解かれた毛糸のようにスルスルとほどけていく。
肉汁を一滴も逃がすことなく、赤ん坊の歯茎でもすり潰せる極上のペーストへと一瞬で解離したのだ。
「ひゃあああっ!? フォークで撫でただけなのに、お肉が溶けましたよ!?」
「溶けてねえ。繊維を解しただけだ」
わずか10秒で赤身肉ブロックがきめ細やかな肉ペーストへと変貌した。コメント欄が狂乱する。
『は????????』
『フォークから青白い光出たぞ!?』
『包丁使ってねええええ!!』
『高周波メスの原理をフォークでやってんのかよ!?』
『魔力の無駄遣いが神の領域すぎるwww』
『同接10万人突破ァァァッ!!』
俺は小鍋に肉ペーストを入れ、すりおろしたスイートキャロットと極微量の野菜出汁を加えた。
弱火で静かに混ぜ合わせることわずか30秒。
自然な甘みと豊かな肉の香りが立ち上り、とろとろの離乳食が完成した。
調理時間は素材を出してから2分足らず。まな板には肉汁の染み一つ残っていない。
「すごすぎる。下茹でも裏ごしもなしで、こんな離乳食ができるなんて」
「ただのフォークに、コンマ1ミリの狂いもなく振動魔力を同期させるなんて、教授たちが見たら卒倒しますよ」
葵と雫の感嘆をよそに、俺はベビーチェアに鈴を座らせた。
スプーンですくって息を吹きかけ、口元へ運ぶ。
「ほら、鈴。あーん」
「あーむ!」
鈴は小さな口を大きく開けてぱくりとくわえた。
もぐもぐと口が動き、次の瞬間、パッと表情が輝いた。
両手でぽよんとしたほっぺたをぎゅっと押さえ、叫ぶ。
「んま! んまーーーーっ!!」
足をバタバタと揺らし、満面の笑みで全身を弾ませた。
「おにく! あまーい! んまーいっ!!」
「おう、美味いか。いっぱい食え」
その光景に、ねねが悶絶した。
「ぎゃああ可愛い! 天使の【んまー!】いただきましたっ! 同接15万人行きましたーっ!!」
ねねは小鍋に残った一口分を小皿ですくい、口に運んだ。
「わ、私も一口だけ、いただきます。んむっ!?」
途端にねねの動きが止まり、頬を一筋の涙が伝った。
「な、なにこれぇぇぇっ!? 噛まなくても舌の上でとろけて、旨味と甘みが爆発して! 3ツ星レストランの料理より美味しいですっ!!」
「素材がいいからな」
鈴はあっという間に完食し、「ぷはーっ!」とお腹を擦った。
「りょー、ごちそさまでした!」
「おう、お利口だったな」
鈴の口元を拭いて抱き上げると、お腹がいっぱいになった鈴は早くも眠たげに目を細めた。
「さて。約束通りカメラを止めてさっさと帰れ。13時は鈴の昼寝の時間だ」
「ええっ、もうちょっと配信させてくださいよぉ!」
「騒ぐと叩き出すぞ」
鋭く睨むと、ねねは慌てて配信を切った。
「ありがとうございましたっ! 食材は置いていきますから、また絶対に来ますね神解体士さまーっ!」
荷物をまとめて飛び出していくねねを、俺は容赦なくドアを閉めて締め出した。
玄関の外で待たされていたタケの「おい! 俺の肉は!? ねねちゃん待ってくれよー!」という叫び声が遠ざかっていく。
玄関ロックをかけると、リビングにはようやく静寂が戻ってきた。
「ふう、まったく、嵐みたいな連中だったな」
葵が苦笑しながら片付けをし、雫はまな板の上のフォークを食い入るように見つめていた。
俺の腕の中では、鈴がすっかり安心しきった様子で、小さな寝息を立て始めている。
俺はテーブルの上の銀フォークに目を落とした。
今回は俺の魔力でほぐしたが、鈴が成長すれば、自分でスプーンやフォークを持って食べるようになる。
(鈴が自分で握りやすく、食べ物が喉に詰まらず、自然に喉を通るような、そんな安全な子供用の食器があればいいんだがな)
市販のプラスチック製スプーンを思い浮かべながら、俺はふと、佐伯工房の頑固親方の顔を思い出していた。
今度、相談に行ってみるか。
鈴の確かな温もりを抱きながら、俺は静かに決意を固めていた。




