第044話:荒野の残影と、父としての自問
自動ドアへ向かって歩き出した俺の背中に、慌てた足音が追いついてきた。
「ま、間宮さん! 待ってください!」
振り返ると、眼鏡を指先で直しながら長谷川さんが小走りで駆け寄ってくるところだった。
先ほどまでの怒り肩とは打って変わり、その表情には真剣な憂いが混ざっている。長谷川さんは周囲に配慮するように声を潜めた。
「鈴ちゃんを保護された、防壁外の旧消滅集落の件です。古い開拓記録を照会した結果、ご両親は旧富士山麓の第8開拓プラントに勤務していた民間機械工の夫婦だと判明しました。プラント管理棟の防護端末に、未回収の個人記録や音声ログが残存している可能性が高いんです」
「現地の端末に?」
「はい。一般の調査隊は入れませんが、ちょうど今朝、旧第8プラント周辺の荒野に【早期変異魔獣の単独哨戒任務】が出されました。これ、Bランクの公務出動ノルマ1回分として正式認定されます。哨戒のついでに現地端末のデータを回収できませんか? 日帰りですから、昼過ぎには戻れます」
昼過ぎ。
その言葉に、俺は即座に頷いた。
「受ける。出撃手続きを頼む」
「分かりました! すぐに臨時出動コードを発行します!」
*
第七外郭門の西側にある、アルス・テック社の出張車両整備ドック。
重油と冷却水の匂いが立ち込めるピットへ駆け込むと、倉田チーフがパイプ椅子から飛び上がった。
「なにぃ!? Bランクの公務哨戒で、旧第8プラントの荒野まで単独出動だと!?」
「ああ。17時には保育所へ戻らなきゃならん。防壁外までひとっ飛びできる足が必要だ。何か貸せる車はあるか?」
「あるに決まってるだろうが! おい結衣、ドック3番のシャッターを開けろ!」
重い鉄製シャッターが跳ね上がった。
そこに鎮座していたのは、極限まで軽量化された漆黒の四輪ビークルだった。
岩場を噛み砕く巨大なラグタイヤに、剥き出しのロールケージ。車体後部には高出力の魔導タービンが唸りを潜めている。
「高速哨戒用魔導四輪ビークル『アイアン・ハウンド』試作1号機だ! 最高時速140キロ、小型魔導シールドと全方位ソナー完備だ。実走ログも欲しかったところだ、遠慮なく乗り回してこい!」
「助かる」
俺はロッカールームで漆黒の耐刃装甲服『レイヴン・ワーカー』に着替え、4機のレイヴンを腰のスリングケースに収めた。
背中に剛鉈『アダマン・クリーバー』を背負い、大口径魔導拳銃『レクス・マグナム』を右腿のホルスターに差す。
ピットへ戻ると、息を切らせた葵が駆け込んできた。
「間宮さん! 私も行くわ! 防壁外の単独哨戒なんて危険すぎる!」
「いや、葵は残れ。今回は旧集落の調査だ。それに、お前を連れて行ったら17時のタイムリミットに気を遣わせる」
「でも、」
「大丈夫だ。危ない橋は渡らん。17時ぴったりに、鈴を迎えに行くためだけの仕事だ」
俺はシートに乗り込み、エンジンの始動キーを捻った。
魔導タービンが重低音の咆哮を上げ、車体が震える。
「行ってくる」
アクセルを踏み込むと、アイアン・ハウンドはピットを飛び出し、重厚な防壁ゲートをくぐり抜けて荒野へと躍り出た。
*
見渡す限りの赤茶けた大地。
乾燥した砂煙を巻き上げながら、アイアン・ハウンドは時速120キロで荒野を疾走する。
戦術モニターには、車載全方位ソナーが捉えた周囲の生体反応が投影されていた。
ピピッ、とコンソールの警告灯が点滅する。
『警告:前方1キロ、生体反応多数。高速接近中』
「さっそくお出ましだな」
地平線の向こうから砂煙を上げて迫るのは、体長2メートルを超える地上変異魔獣『ブレード・ハイエナ(刃甲鬣犬)』の群れだった。
鋼鉄のように硬化した背甲を持ち、前足の関節から鋭利な骨刃を生やした凶暴な肉食獣。その数、およそ12頭。時速100キロ近い猛スピードで、アイアン・ハウンドを取り囲むように扇状に展開して突進してくる。
(走ったまま突っ込まれたら足回りをやられるな)
俺は即座にブレーキを踏み抜いた。
全地形タイヤが砂利を噛み砕き、車体を180度スライド旋回させて停車させる。
魔導タービンをアイドリングさせたまま、ロールケージを蹴って運転席から外へ躍り出た。
車体を背に大地を踏みしめ、腰を深く落とす。
ギシャァァァァッ!
先頭の大型ハイエナが跳躍した。鋭利な骨刃を振り上げ、俺の喉首を刈り取ろうと頭上から襲いかかってくる。
俺は腰のスリングケースへ魔力を流した。
「行け、レイヴン」
シュパパパパッ!
4機の漆黒のビットが、弾かれたように空中へ射出された。
濃密な魔力流動が、寸分のタイムラグもなく神経リレーへ雪崩れ込む。
激しい目眩や負荷は微塵もない。まるで自分の指先が空間を自在に泳いでいる感覚だった。
キィィィィン!
超高速反転したレイヴン・クアッドが、音速の衝撃波を纏って急降下した。
4条の黒い軌跡が交差した瞬間、跳躍してきたハイエナの強靭な腱と関節が滑らかに両断される。
ギャインッ!?
推進力を失った巨体が空中でバランスを崩し、荒野の地面を転がった。
「グルルルルァッ!」
残る11頭が一斉に散開し、包囲殲滅の陣形で飛びかかってくる。
速い。だが、上空のレイヴン4機から投影される俯瞰視界により、敵の跳躍軌道は手に取るように分かっていた。
俺は背中から剛鉈『アダマン・クリーバー』を一気に引き抜いた。
右から飛びかかってきた1頭の顎下を、低く潜り込みながらすれ違いざまに切り上げる。
ズバァッ!
アダマン・ボアの金剛角から鍛え出された剛刃は、ハイエナの骨格を抵抗なく両断し、中枢核を一撃で叩き割った。
背後から迫る2頭には、レイヴンが高周波振動の刃を突き立てて急所を貫通。
左から回り込もうとした残りの群れには、右手のレクス・マグナムから大口径魔導弾を叩き込んだ。
ドォン! ドォン! ドォン!
砲撃のような炸裂音が荒野に木霊し、強烈な威力が魔獣の頭蓋を粉砕する。
わずか30秒。
12頭の変異魔獣の群れは、1頭残らず荒野の土の上に沈んでいた。
残心を取り、剛鉈の青黒い体液をひと振りで払い落とす。
息の乱れはない。体内の魔力も底に触れる気配すらない。
かつてなら膝をついていた激闘を、小手調べ程度に流せる圧倒的な余力。
これこそが、Bランクという領域の力だった。
「よし、急ぐぞ」
俺は魔石を手早く回収し、再びアイアン・ハウンドへ乗り込んだ。
*
ハイエナの群れを蹴散らしてから15分後。
崩落した防壁の先に、赤錆びた巨大な鉄骨群が現れた。旧第8開拓プラント跡地だ。
朽ち果てた中央管理棟の瓦礫を乗り越え、地下サーバルームへと滑り込む。
非常用コンソールの端子へ、ギルドの解析キーを差し込んだ。
カチリ、と電子音が鳴り、埃をかぶったモニターに緑色の文字列が浮かび上がる。
『第8プラント個別退避ログ:機械工班・水島 誠(31歳)/ 水島 遥(28歳)/ 扶養:紬(1歳)』
水島 紬。
それが、あいつの本当の名前だった。
再生ボタンを押すと、ノイズ混じりの音声が室内に響いた。
『緊急警報! 外郭防壁突破! 全住民は直ちに退避カプセルへ!』
『誠さん! カプセルが岩盤崩落で埋まってるわ! もう逃げ場がない!』
『遥、紬を抱け! 集落の裏手の地蔵堂だ! あそこなら昔の耐震石室が残っている!』
激しい地鳴りと、木立を薙ぎ倒す凶悪な魔獣の咆哮。その中に、泣き叫ぶ赤ん坊の声が混ざっていた。聞き間違えるはずもない、あいつの声だ。
『誠さん、野犬の群れが道を塞いで、その奥から、あの巨大な鉤爪の化け物がすぐそこまで迫ってるわ!』
『俺が発煙筒を焚いて、あの熊を東の谷へ引きつける! お前は紬を地蔵堂の石室に隠して、内側からロックをかけろ!』
『そんな、誠さん! 行かないで!』
『紬を頼む! 紬、生きなさい! 誰か、どうかこの子を、』
ブツリ、とそこで音声ログは途切れていた。
コンソールの脇、開け放たれたロッカーの奥に、油にまみれた小さな工具箱が転がっていた。
中には、黒く焦げた発煙筒の撃発殻と、ボロボロになった革製の作業日誌。
表紙の裏には、生まれたばかりの赤ん坊を抱いて、泥だらけの作業着姿で誇らしげに笑う若い夫婦の写真が挟まれていた。
写真の裏には、不器用な筆跡で『水島 誠・遥・紬。私たちの宝物へ』と鉛筆で書き残されている。
父親の顔は、不器用そうな職人の顔をしていた。
その胸元の作業着は、下請け解体屋だった頃の俺の作業着と、驚くほどよく似ていた。
俺は写真を指先でそっとなぞり、日誌とともに胸のポケットへ大切にしまい込んだ。
「立派な父親だったんだな、あんたは」
管理棟の外へ出ると、乾いた風が吹き抜け、荒野の土煙を巻き上げていた。
視界の先、遠くの丘の上に、かつてあの子を拾い上げた小さな地蔵堂の屋根が見えている。
なぜ、俺はあいつにここまで必死なんだろうか。
ふと、胸の内にそんな問いが浮かんだ。
血の繋がりなんてない。他人の子供だ。
下請け解体屋の時代、俺は誰からも名前を呼ばれず、誰からも必要とされず、ただ生きるためだけに刃物を握って日銭を稼いでいた。
明日死のうが誰も困らない、そんな冷え切った毎日に、あの日、地蔵堂で出会ったのだ。
薄暗い石室の中で、たった一人で震えていた小さな温もり。
ボロアパートに連れ帰り、オムツの替え方も分からず、ミルクの温度に戸惑い、夜泣きにオロオロしながら朝を迎えた日々。
俺の指を、あいつの小さな手がぎゅっと握りしめてくれた時の感触。
初めて「りょー!」と呼んで笑ってくれた時の、胸の奥が熱くなった瞬間。
違う。
俺があいつを救ったんじゃない。
あいつが、俺に生きる意味をくれたのだ。
あいつが笑ってくれるから、俺は今日を生きられる。
あいつの待つ家へ帰るためだから、俺はどんな死線からも生きて帰ってこられる。
水島 紬。
あいつの実の両親が、命がけで繋ごうとした本物の名前。
だが、今の俺に、あいつを別の名前で呼ぶことなどできるだろうか。
あいつが初めて呼んでくれた俺の名前が「りょー」だったように、俺があいつへ最初に与えた名前が「鈴」だった。
この名前をどうすべきなのか。実の両親の想いと、自分が重ねてきた日々。
その答えは、まだ出ない。
だが、確かなことが一つだけある。
「鈴」
胸ポケットの写真に手を当て、地蔵堂へ向けて深く頭を下げた。
「安心しろ。あんたたちが命がけで繋いだその命は、俺が絶対に守り抜く。美味い飯を食わせて、誰よりも幸せにしてやる」
迷いは完全に消え去っていた。
俺はアイアン・ハウンドの運転席へ飛び乗り、コンソールの時計を見上げた。
午後2時30分。
ここから第七外郭門まで飛ばせば1時間。
浅層の薬草採取をサクッと片付けて、スーパーの特売で挽肉を買っても、17時の保育所には余裕で間に合う。
「待ってろよ、鈴。すぐに帰るからな」
アクセルを床まで踏み込むと、アイアン・ハウンドは爆音とともに唸りを上げ、娘の待つ防壁都市へと向けて一直線に砂煙を突き抜けた。




