第043話:深層拒否のパパと、ギルド受付の悲鳴
第七外郭門の探索者ギルド出張所、受付カウンター。
銀色に輝く真新しいBランクライセンスを受け取り、俺はさっそく本日の現場作業へ向かおうとした。
「ありがとな、長谷川さん。これで手続きは終わりだな? じゃあ、今日の現場の依頼伝票を、」
「ふふふ、間宮さん、待ってください」
長谷川さんの顔に、満面のビジネススマイルが浮かんだ。
彼女はカウンターの下から、重厚な金色の革張りファイルを恭しそうに取り出し、俺の目の前に差し出してきた。
その瞬間、受付ロビーのざわめきがピタリと止まった。
遠巻きに様子を窺っていた探索者たちが、息を呑んでファイルを凝視する。
「おい、あの金色のファイルって、本部特命の深層推奨案件じゃねえか」
「Bランクに上がりたてのホヤホヤに、いきなり特命ファイル直撃かよ」
「さすが中層フロアマスターを単独解体したバケモンだぜ」
周囲から羨望と畏怖の混ざった視線が突き刺さる中、長谷川さんは胸を張り、誇らしげに告げた。
「晴れてBランクになられた間宮さんには、ギルド本部より特別推奨依頼が届いております! 【深層第31層から第35層における古代金属神殿の未踏ルート先行調査】、および【深層変異種の討伐指名依頼】です! 成功報酬は1件につき最低1500万円から! 深層への正式な道が拓けたんですよ!」
長谷川さんは期待に満ちた目で俺を見つめてくる。眼鏡の奥の瞳が、まるで手柄を立てた愛弟子を見つめる師匠のようにキラキラと輝いていた。
俺は差し出されたファイルの内容を1秒だけ眺め、指先で即座に押し返した。
「断る」
「はい?」
長谷川さんの笑顔がピキリと凍りついた。
ロビーの探索者たちも「は?」「今、断ったのか?」と顎を外している。
「拘束時間が長すぎる。深層の調査なんて潜ったら最低でも丸2日、下手をすりゃ1週間は帰ってこれねぇだろ。俺は今日の夕方17時に、保育所へ鈴を迎えに行かなきゃならん」
「は、はい?」
「今日の仕事はこれにする」
俺は受付横の掲示板から、画鋲で留められていたペラペラの依頼票を1枚引き抜き、カウンターに置いた。
『浅層第8層:薬草および青燐苔の採取代行(報酬:3万5000円)』
窓口に、墓場のような静寂が落ちた。
1500万円の深層特命を秒殺で押し返し、3万5000円の薬草むしり。
長谷川さんは無言のまま、完全に石のように固まっていた。
数秒の沈黙の後、彼女の額とこめかみに、青筋がバキバキと音を立てて浮かび上がる。
「間宮さぁぁぁぁぁぁんっっ!!」
鬼の形相へと豹変した長谷川さんが、カウンターを両手でバンッ!と叩いて身を乗り出した。
窓口のアクリル仕切り板がビシビシと激しく震える。
「Bランクですよ!? あなたはいまBランクになったんですよ!? 本部の上層部が血眼になって待っている深層指名依頼を秒で突き返して、なんで駆け出しのFランクがやるような薬草採取なんですかぁぁぁぁっ!!」
「いや、第8層なら高速シャフトで降りて30分で採取して、昼過ぎには地上に戻ってこれるだろ。スーパーの特売で挽肉を買って、17時のお迎えに余裕で間に合う」
「お迎えと挽肉のために深層を蹴るBランクが世界のどこにいるんですかぁぁぁっ!!」
ロビー中の探索者たちが、ビクッと肩を震わせてこちらの窓口を凝視している。
あまりの怒声に、カウンターの奥で端末を叩いていた職員たちまで怯えて縮こまっていた。
だが、長谷川さんの猛攻はそこで終わらなかった。
彼女は激しく肩で息をしながら、さらにもう1冊、赤色の警告バインダーを机に叩きつけた。
「それに間宮さん! Bランクになった以上、あなたには逃れられない法的な義務が発生するんです!」
「義務?」
「これを見てください!」
突きつけられた書類の表紙には、物々しい黒文字が並んでいた。
『Bランク以上公認探索者における地上治安維持・防壁外公務出動規程』。
「Bランク以上の探索者は、民間探索者であると同時に、ギルドおよび国家防衛軍の準防衛戦力として指定されます。そのため、都市防衛と物流幹線を守るため、【月一定日数の地上哨戒パトロール、変異魔獣の早期駆除、他都市への警備出張】が法的に義務付けられているんです!」
「は?」
俺は怪訝そうに眉をひそめた。
「地上出動、出張?」
「そうです! あなたが普段、ダンジョンの中層やロビーでBランク以上の探索者をあまり見かけない理由を考えたことがありますか!? 彼らはダンジョンに潜っていないのではなく、防壁外の哨戒基地や、他都市を結ぶ物流ルートの出張警備に駆り出されているからなんです!」
長谷川さんの言葉が、俺の脳天を直撃した。
出張。
泊まりがけ。
防壁外への遠征。
「ちょ、ちょっと待て。出張ってことは、夜、家に帰れないのか?」
「任務の内容によっては、2泊3日や1週間の遠征出張になることも普通にありますよ」
サーッと血の気が引いていくのが分かった。
手のひらに嫌な汗が滲み出し、心臓がドクンと嫌な跳ね方をする。
泊まりがけの出張。
そんなことをしたら、誰が夕方17時に鈴を迎えに行くんだ?
誰が夜、鈴をお風呂に入れて、離乳食を食べさせて、絵本を読んで寝かしつけるんだ?
脳裏に、あの日が蘇る。
全滅した過疎集落の地蔵堂で、冷たい石室の中で泣いていた鈴。
ボロアパートに連れ帰り、初めて迎えた夜。暗闇の中で不安そうに泣きじゃくり、俺の指を握りしめて離さなかった小さな手の平の温もり。
あいつが夜中に目を覚まして、俺がいなかったら。
あんなに小さくて無力な鈴が、暗闇の中でたった一人で泣き叫ぶことになるんじゃないのか。
冷や汗が背筋を伝い、激しい焦燥感が全身を駆け巡った。
深層のどんな凶悪なフロアマスターを前にした時よりも、強烈な危機が俺の胸元を締め上げる。
「長谷川さん」
「な、何ですか、急に真面目な顔をして」
俺は両手をカウンターに突き、身を乗り出して真剣に告げた。
「降格させろ」
「は?」
「今すぐ俺をCランクに降格させろ! ライセンスをCに戻せば、その出張義務とやらは消えるんだろ!? ほら、このBランクカードは返す! さっき振り込まれた報奨金も返してやるから、今すぐCランクのカードを再発行してくれ!!」
「降格なんてできるわけないでしょうがぁぁぁぁぁぁっっ!!」
本日一番の絶叫がギルドロビーを激しく揺るがした。
長谷川さんが髪を振り乱しながら頭を抱える。
「自分の手で中層のフロアマスターを単独解体討伐しておいて! 魔力測定で規格外の数値を叩き出しておいて! 出張が嫌だからCランクに降格しろなんて申請が通るわけないでしょうがぁぁぁっ!! 前代未聞ですよ!!」
「冗談じゃねぇ! 鈴を一人で留守番させられるわけねぇだろ! 25歳の男が子育てしてんだぞ、少しは現場の事情を汲め!!」
「事情を汲んだから安全特区の社宅をアルス社から手配してもらったんでしょうがぁぁぁ!!」
受付カウンターを挟んでの怒号の応酬に、周囲の探索者たちが完全に引いていた。
「おいおい、あいつ本気でBランク返上しようとしてるぞ」
「どんな贅沢な逆ギレだよ」
「俺たちが血反吐吐いて目指してるBランクを、ゴミみたいに突き返しやがって」
遠巻きに見守る探索者たちの呆れと羨望が入り混じった呟きが聞こえてくるが、俺にとってはそれどころではなかった。
「はぁ、はぁ、もういいです! 今日のところは浅層の薬草採取を受理します!」
長谷川さんは荒い息を吐きながら、俺が置いた薬草採取の伝票にバンッ!と受付印を押した。
「ただし! 近いうちにギルド本部から防壁外の公務出動要請が正式に届きますからね! その時は絶対に拒否できませんから、覚悟しておいてくださいよ!」
「くそっ」
俺は伝票をひったくるように受け取り、カウンターに背を向けた。
出張、泊まりがけ。
誰が喜ぶか、そんな肩書。
国家公務だろうがエリート探索者の栄誉だろうが、定時で娘の待つ家に帰れる平穏な日常に比べれば、鼻紙一枚の価値もない。
(どうする。出張要請が来たら誰に預ける。葵や雫か? いや、あいつらに任せて大丈夫なのか。離乳食の温度調節や、夜泣きしたときの抱き方をあいつらは知っているのか)
頭の中でぐるぐると対策を巡らせながら、俺は足早に出張所の自動ドアを抜けた。
時計を見上げる。
すでに午前10時30分を過ぎていた。
生体測定室での騒動や窓口での大喧嘩で、思った以上に時間を食ってしまった。
17時のお迎えまで、あと6時間半しかない。
余計なことを考えている暇はない。
とにかく今は、目の前の現場を最速で片付け、スーパーの特売に寄って、17時の保育所に駆け込むのが先決だった。




