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地蔵堂の鈴と、解体屋の黒い刃 〜保育所のお迎えに間に合わせるため魔獣を解体していたら、勝手に伝説の解体士と呼ばれていた〜  作者: 草むしり50年
第5章:中層最奥の飛竜と、メガコープの影編

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第041話:雫の選択と、至福の夕餉

 16時58分。

 夕暮れの安全居住特区を全力で駆け抜け、俺は認可保育所の受付へ滑り込んだ。


「すいません、遅くなりました!」

「間宮さん、時間ぴったりですよ。鈴ちゃん、パパですよ」


 プレイルームからトタトタと小走りの足音が響き、黄色いスモック姿の鈴が突進してきた。


「りょー!」


「鈴、待たせて悪かったな」


 膝をついて抱き締めると、鈴は小さな両腕で俺の首にしがみつき、頬をすり寄せてきた。

 甘い匂いと、確かな命の温もり。

 地下30層での死闘も巨大企業の陰謀も、この温もりを前にすればすべて吹き飛んでいく。


 俺はこの子の笑顔を守るために、あの現場から生きて帰ってきた。


   *


 明けて翌朝、午前9時。

 第25層ベースキャンプの一角、帝都魔導アカデミー特務査問室には冷たい沈黙が満ちていた。

 半円形の演壇に居並ぶ最高評議会の長老たちと特務査問官。


 その冷徹な視線を正面から受け止めて立っていたのは、如月雫だった。

 青銀の豪奢なアカデミーローブを纏い、背筋を凛と伸ばしている。

 初老の首席査問官が、審議書類を机に叩きつけた。


「如月雫。貴女は評議会の警告を無視し、アルス・テック社と下請け歩兵らに加担して第29層の戦闘へ不当介入した。重大な利敵背任行為である」


 厳しい追及に対し、雫は静かに言葉を返した。


「不当介入ではありません。理不尽な悪意に晒され、命を落としかけていた探索者たちを救出しただけです。現場の窮地を見過ごすことこそ、真の魔導士の道に悖ると判断いたしました」


「黙りなさい!」


 長老の一人が苛立たしげに杖を鳴らした。


「貴女はアカデミー歴代最年少の首席卒業生なのだぞ! 我が校の威信を背負う看板が、あのような泥臭い下請けどもと泥にまみれてどうする! 品格を疑われるとは思わんのか!」


 品格。伝統。看板。


 並べ立てられる言葉のすべてが、あの現場で命を救い合った仲間たちの熱さから、あまりにも遠くかけ離れていた。

 首席査問官が1枚の誓約書を差し出した。


「如月雫。評議会は貴女の類まれな才能を惜しんでいる。今ここでアルス・テック社および下請け歩兵らとの関係を一切断つと誓約しなさい。そうすれば今回の独断専行は不問に付し、首席の栄誉と将来の教授ポストを保証しよう」


 それは誇りを売り渡す代わりに与えられる、甘い保身の取引だった。

 だが、今の雫の胸には別の確信があった。


 魔力131でありながら一切の淀みなく刃を振るい、ただ幼子の元へ生きて帰るためにすべてを使い切る間宮凌の背中。

 仲間のために盾を砕かれても笑っていたタケの意地。

 道具の誇りをぶつけ合った坂東や、不器用に認めてくれた一条岳の言葉。


 本物の気高さとは何かを、彼女は現場で知ってしまったのだ。


「お断りいたします」


 澄み切った声が室内に響いた。

 査問官たちがぎょっと息を呑む。


「な、何だと!?」


「私は私の目で、現場の真実を見ました。仲間が理不尽な死に瀕している時、体面と保身のために見殺しにするのがアカデミーの誇りだと言うのなら、そんな薄っぺらい看板はこちらから願い下げです」


 雫は胸元へ手を伸ばした。

 黄金のアカデミー首席記章。

 躊躇うことなくピンを外し、大理石の机の上へとカチリと置いた。


「貴女、自分が何を言っているのか分かっているのか! 首席の資格を剥奪され、除籍されるのだぞ!」


「望むところです」


 雫は美しく微笑み、満場の長老たちを見据えてはっきりと言い放った。


「除籍上等です!」


 静まり返る査問室に背を向け、雫は一度も振り返ることなく大扉を開けた。

 通路の壁際に立っていた一条岳が、不敵な笑みを浮かべて歩み寄ってくる。


「言ったな、大馬鹿者」


「一条先輩、聞いていらしたのですか」


「ああ。査問官どもの青ざめた顔は見ものだったぞ。だが如月、俺はお前のその馬鹿さを買う。看板を捨ててからが、本当の魔導士の勝負だ」


「はい!」


 雫の瞳に涙はなかった。

 あるのは、自らの足で歩み出す者だけが持つ、晴れやかな光だった。


   *


 午前10時。


 特区タワーマンションのリビングで、玄関のインターホンが鳴った。

 ドアを開けると、見慣れない私服姿の雫が背筋を伸ばして立っていた。

 ネイビーのブラウスとプリーツスカート。後ろには一条岳も控えている。


「雫? 一条も一緒か。査問はどうなったんだ」


 すると、雫は胸を張り、眩しい満面の笑みを浮かべた。


「先生、私、アカデミーを除籍されてきました!」


「は?」


 俺は思わず耳を疑った。あまりにも誇らしげな宣言だったからだ。


「ふふん、晴れて自由の身となりました! これからは組織の縛りなく、先生の現場の教えを心ゆくまで享受できます!」


「おいおい、首席の肩書を放り出してきたのかよ」


 俺が頭を抱えると、一条が肩をすくめた。


「全くだ。だが間宮、こいつの顔を見ろ。アカデミーの鳥籠にいた頃より、遥かにいい目をしている」


 確かに、一切の迷いのない瞳だった。


「まあ、上がれよ。お茶くらいなら出せるぞ」


「お邪魔いたします、先生!」


 リビングに入ると、ソファでお絵描きをしていた鈴が、クレヨンを置いてトタトタと駆け寄ってきた。

 雫のスカートの裾をちょんと掴み、首を傾げる。


「しーく?」


「鈴ちゃん! そうです、しずくお姉ちゃんですよ!」


 先ほどまでの毅然とした態度は消え去り、雫は目尻をとろけさせて鈴をぎゅっと抱きしめた。

 鈴も嬉しそうにキャッキャと声を上げて笑っている。


   *


 夕暮れ時になると、部屋は一気に賑やかな宴の場へと変わった。


「うおらぁ! 凌、祝いに来てやったぞ!」


 ギプスをはめた腕を吊り、巨大な高級ケーキの箱を抱えたタケが押し入ってきた。

 後ろからは坂東宗一郎が、特大の保冷バッグを担ぎ込んでくる。


「ガハハ! 中層ボス討伐と九条の失脚祝いだ! 最高級の金剛猪ジビエ肉をブロックで仕入れてきたぜ!」


 さらに仕事を終えた神崎葵が、両手にジュースや特製タレを抱えて駆け込んできた。


「間宮さん、お疲れ様! って、ちょっと如月さん!? なんであなたが当たり前のようにエプロン着けて台所に立ってるのよ!」


「ふふん、神崎さん。私は本日をもってアカデミーを離脱し、自由の身となりました。先生の直弟子として料理を学ぶ権利は私にあります!」


「はぁぁ!? 除籍されたの!? 何やってんのよあなた!」


 いつもの葵と雫の舌戦が始まり、タケと坂東が腹を抱えて笑い転げる。

 一条は壁際に立ちながら、苦笑混じりに眺めていた。


 ピロン、とモニターにギルドからの公式通知が届いた。

 長谷川さんからの個別通信だ。


『間宮凌探索者。第30層フロアマスター単独討伐、および第29層スタンピードにおける被害極小化の功績を高く評価し、ギルド査定部より正式に通達いたします。報奨金4000万円の支給、ならびに【Bランクへの特例昇格】の推薦枠が決定いたしました』


 画面を見たタケが絶叫した。


「ぶっ!? 4000万にBランク特例昇格打診だと!? おい凌、ついこの前Cランクに上がったばっかりだろ! どこまで爆走する気だ!」


「俺が頼んだわけじゃねぇよ。現場の片付けをしただけだ」


「ガハハ! いいじゃねぇか! 元下請け解体屋がBランクなんて夢があるぜ! さあ肉を焼くぞ肉を!」


 ホットプレートの上に、厚切りの極上ジビエ肉が並べられた。

 ジューッ、と心地よい音とともに香ばしい脂の香りが広がる。


 俺は変換効率80パーセントの微細な魔力をフォークに通し、肉の繊維を柔らかくほぐしてから、一口大に冷ました肉を鈴の口元へ運んだ。


「ほら鈴、あーんだ」


 鈴は大きなお口を開けてパクリと食らいついた。

 もぐもぐと咀嚼した瞬間、小さな頬がぱんぱんに膨らんだ。

 小さな両手でほっぺたをむぎゅっと押さえ、満面の笑みで叫んだ。


「んま! んまーーーーっ!!」


「「「可愛いぃぃぃっ!!」」」


 葵と雫が同時に悶絶して胸を押さえ、坂東とタケが歓声を上げ、一条ですら口元を緩めていた。

 部屋中が温かな笑い声と幸福な熱気に包まれる。

 誰一人欠けることなく、仲間たちと笑い合えるこの食卓こそが、俺の守りたかったすべてだった。


   *


 宴が終わり、仲間たちが家路へとついた後。

 部屋には静かな夜の帳が下りていた。


 お腹いっぱいにお肉を食べた鈴は、俺の腕の中でスースーと寝息を立てている。

 俺は鈴をベッドへ運び、柔らかな毛布をかけて頭を撫でた。


 リビングに戻り、昇格書類を端末で確認する。

 その添付データの最下部、長谷川さんからの個人的な業務連絡の欄に、小さな追記事項が記されていた。


『追記:先日ご照会いただいた、防壁外の旧消滅集落、鈴ちゃんを保護された地蔵堂周辺地区の生存者記録および戸籍データの復元作業が、ギルド情報管理部により一部完了いたしました。現地の古い住民記録の中に、気になる記載が含まれています。公にはできない内容のため、詳細は後日、ギルド窓口にて直接お伝えいたします』


 俺の指が、画面の上でピタリと止まった。

 鈴の出自。

 あの日、全滅した集落の地蔵堂で、たった一人で泣いていた小さな命。


 寝室の扉の向こう、穏やかに眠る鈴の姿を思い浮かべる。

 どんな過去があろうと、どんな血が流れていようと、関係ない。

 あいつは俺の娘で、俺はあいつの父親だ。

 その事実だけは、何があっても揺らぐことはない。


 俺は迷わず端末の画面を閉じた。

 今は知る必要のないことだ。

 いつか鈴が大きくなって、知りたがった時に受け止めればいい。


 窓の外を見上げれば、特区の夜景の向こう、第31層以降の深層へと続く大ダンジョンの光柱が静かに夜空を貫いていた。


 未知の領域、さらなる強敵たちが待ち受ける深層。

 だが、今の俺には信頼できる仲間たちがいて、最高の道具があり、何より帰るべき温かな家がある。


「明日も、ちゃんと稼いで帰ってくるからな」


 静かな部屋に、自分の声だけが優しく溶けていった。


お読みいただきありがとうございます。

ここまでで第5章が区切りとなりました。

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